FULL MARQUIS: ALFONSO DE PORTAGO
フル・マーキス:
アルフォンソ・デ・ポルターゴ
December 2019
オートスポーツ・マガジンの創立者であるグレゴール・グラントは、「もし彼が試みれば、彼は世界一のブリッジ・プレイヤーにもなれたし、最高の兵士にもなれたし、偉大な作家にもなれただろう」と語った。
しかし、アルフォンソが見出した究極の目標はレーシング・ドライバーだった。ルイジ・チネッティ(フェラーリの米国における輸入業者)と出会い、フェラーリと契約したのだ。1953年には公道レース、“カレラ・パンアメリカーナ”に挑戦し、その年の終わりには、プライベーターとしてフェラーリ・スポーツで、耐久レース“1000 kmブエノスアイレス”に出場した。
彼はすぐに、6つの有名なレースで1位を獲得した。それらはツール・ド・フランス自動車レース、ポルトガル・グランプリ、ナッソー・ガバナーズ・カップ(2回)などであった。
彼のリスクの高い、アグレッシブな運転スタイルは、ブレーキ、クラッチ、トランスミッションに大きな損害を与えたため、レースを終えるために数台の車が必要になることがよくあった。
必然的に次のステージはF1となり、彼は5つのグランプリに出場し、1956年にシルバーストーンで2位となった。1年前の同じコースで、彼は時速220km以上出しているときに、コース上のオイルで滑り、車のコントロールを失った。
彼は車から投げ出され、一瞬で死んでいたかもしれなかったが、足を骨折しただけで済んだ。彼はそんな“死の前兆”を無視していた。
当然のことながら、彼は、若いときから女遊びが激しく、それ故に、他のドライバーからは嫌われていた。わずか20歳で、彼はキャロル・マクダニエルと結婚した。
彼らは2人の子供をもうけたが、アルフォンソはすぐに離婚を企て、今度は11歳年上のファッションモデル、ドリアン・リーとメキシコで結婚証明書を合法化させようとした。 彼には3番目の恋人もいて、彼女は彼がキスをした最後の女性となった。
『カー・アンド・ドライバー』誌によると、彼の最後のレースにおける、ローマのチェックポイントで、彼はブレーキをかけ、クルマを止め、彼女を待って、彼女にキスをし、彼女を腕に抱きしめたという。その女性はメキシコの女優、リンダ・クリスチャンで、スクリーンでゾロを演じた男、俳優タイロン・パワーの元妻だった。