THE PARTHENON OF PUNK
パンクの聖地、CBGBの伝説
September 2016
CBGBの悪名高いトイレ
そして時代は変わった もちろん、ポップカルチャーのムーヴメントの命は短いものだ。CBGBは2007年まで営業を続けたが、ガンズ・アンド・ローゼス、ザ・ポリス、ホール、グリーン・デイといった有名アーティストの強力な演奏ですらも、このクラブの全盛期の魔法を蘇らせることはできなかった。
ニキビだらけの青春の絶頂期に、CBGBに出演していたアーティストの多くは、その後“ロックの殿堂”に入るビッグネームになった。名を挙げれば、ブロンディ(レコードを4000万枚売りいまも活動中)、イギー&ザ・ストゥージズ(現在も活発で、“ローリング・ストーン”の歴史上最も偉大なアーティスト100に入っている)、トーキング・ヘッズ(1985年のアルバム『リトル・クリーチャーズ』はアメリカで200万枚を売った)などなど、枚挙に暇がない。
このクラブは、ヒリー・クリスタルが2007年に肺がんで亡くなったのを受けて、クリスタルの娘と元妻のカレンの間で法廷闘争が起こったことにより、ふたたびニュースになった。娘は、CBGB開店時からの法的オーナーである元妻が、2005年に亡き父に事業を譲渡していたと主張したのだ。
2013年に公開された、アラン・リックマンがヒリー・クリスタルを演じる映画は、CBGBのスピリットを捉えようとしていたが、事実と異なる点がいくつもあって不評だった(この映画を擁護すると、最初に「この物語は大体が真実」とのキャプションが出されている。またデッド・ボーイズのチーター・クロームを演じるのは、ハリー・ポッター・シリーズでちょっとシャイな魔法学校生徒ロン・ウィーズリー役を演じたルパート・グリントだ。すなわちSMスタイルの犬の首輪をしたウィーズリーというのは、どんなに事実とかけ離れていようと一見の価値がある)。
その一方で、バワリー界隈はブランド化のグローバルな波に屈し、かつての面影はまったくない。かつてCBGBだった場所は、現在ジョン・バルベイトスの高級ブティックになっている。
ホールディング・カンパニーが商標権を獲得し、CBGBの名前とロゴは現在CBGB L.A.B.のものになっている。これはニューアーク空港にあるラウンジ兼バーで、顧客は“ヴェルヴィータ・アンダーグラウンズ”や“パティ・メルト・スミス”をiPadでオーダーしている。ブランドのロゴがプリントされた、スマートフォン・ケースやベビー服が販売されている。
こうした現実を目の当たりにすると、ポップカルチャー愛好家なら誰であろうと、CBGBのような店は歴史的遺産として保存しておくべきだ、と考えるだろう。人々の 記憶の中にあるうちに。