THE PARTHENON OF PUNK

パンクの聖地、CBGBの伝説

September 2016

text charlie thomas
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バックステージのリチャード・ヘル(1977年)

 この箱の変わった点は、バンドにPAシステムすら提供しなかったことだ。そしてもうひとつのクリスタルの奇癖は、彼はバンドがカバー曲を演奏するのを許さなかったことだ。

「他人の曲をコピーするのではなく、自分自身の音楽を演奏するミュージシャンだけをブッキングする。その決意だけは譲れなかった」とクリスタルは語った。

「自分にとっては、オリジナリティこそ一番大切なものだった。テクニックは二番目だ」

 オリジナル曲のみが演奏されるということは、つまり楽曲使用料を支払う必要がない、というのも大きな理由のひとつだっただろう。

 インテリアについては、確かにオリジナリティがあった。壁は出演者情報とグラフィティで埋め尽くされ、衛生基準などなかった。ビールに駆り立てられて生理的欲求をもよおした客は、瓶の破片が散らばる下水路を避けつつ、糞尿を受け止めるだけにある、錆びて汚れのこびりついたポーセリン製の便器にたどり着かなくてはならなかった。

 CBGBのトイレの汚さはあまりにも有名で、メトロポリタン美術館は最近行ったエキシビション“パンク:カオスからクチュールへ”展において、これを再現してみせた。このクラブの出すフードは、“ヒリーズ・チリ”という名のひと皿だけで、これにはしばしばタバコの灰のトッピングがかかっており、ゴキブリがうじゃうじゃいるキッチンで調理されていたという。そこでは経営者の飼い犬ジョナサンが、自由気ままに排便していたそうだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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