THE PARTHENON OF PUNK

パンクの聖地、CBGBの伝説

September 2016

text charlie thomas
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下着姿で演奏し観客を魅了したザ・ランナウェイズ(1976年)

世界一汚いトイレ 70年代のニューヨークの深部で花開いたカウンターカルチャーに、大きな影響を与えたライブハウスのオーナーは、ヒリー・クリスタルといった。海兵隊員、男声合唱団のシンガー、ジャズクラブのマネージャー、イベントプロデューサーなどを経て、キャバレークラブ兼レストラン“ヒリーズ”のオーナーとなった。そこで、まだ新人だったベット・ミドラーなどを出演させていたという。クリスタルは60年代末までヒリーズを所有したが、1973年、大胆な新しい方向性を打ち出すことに決めた。

 クリスタルは店名をCBGB(=カントリー、ブルーグラス、ブルースの略)に変えることとし、元妻でスタッフのひとりだったカレンからの出資を得て、この3300平方フィートの物件で、そのヴィジョンの実現に取りかかった。

「彼はあそこをドライブインみたいにするつもりだったんだ」と、パンクのパイオニアであるテレヴィジョンの結成メンバー、リチャード・ロイドは言う。

「ステージを建物の入り口すれすれのところに作るつもりだったんだ。そうすれば外からも音楽を聴けるからって。僕は言った。『ヒリー、それはうまくいかないよ。第一に、入り口で代金を取る人が他の人の言っていることが聞こえない。第二に、帰る人がバンドの前を横切ることになる。第三に、外から苦情が来る』」

 第三のポイントは、それほど問題にならなかった。当時のバワリー界隈は、すごく寂れていたからだ。クリスタルが後に語ったところによれば、路上生活者たちの汚い格好は、出演者たちをよい身なりに見せる効果があり、それがここで開業したことの大きな利点だったとか(そして当然、家賃も安かった)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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