THE PARTHENON OF PUNK

パンクの聖地、CBGBの伝説

September 2016

text charlie thomas
issue10

CBGBの ザ・シック・ファックス(1978年)

店内は、まさに無政府状態 ここから、パンクの名曲の数々が生まれた。トーキング・ヘッズの“サイコ・キラー”と“ライフ・デュアリング・ウォータイム”(これは歌詞でCBGBに言及している)、ブロンディの“デニス”、ジョーイ・ラモーンの“アイ・ゴット・ノック・ダウン”などがある。

 ヴィレッジ・ヴォイスのクラブ情報欄に、切手サイズの広告を出して、ささやかな数の客を集めた。リチャード・ヘル、ニューヨーク・ドールズ、ザ・ランナウェイズ、ジョニー・サンダース、テレヴィジョンらがレギュラー出演し、ルー・リードのようなベテランもステージに立っていた。

 パフォーマンスは激しく獰猛だった。イギリスのパンクバンド、ダムドがアメリカ初登場となるライヴを行ったときは、ボーカルのデイヴ・ヴァニアンは、吸血鬼の墓堀人のような装いだった。ドラマーのラット・スキャビーズは赤いレザージャケットを着ていたが、その袖をくっつけているのは安全ピンのみだった。ベースのキャプテン・センシブルは緋色のベレーをかぶり、安いサングラスをかけ、そしてバレリーナのようなチュチュを穿いていた。

 ステージ上のふるまいについては、まさに無政府状態だった。デッド・ボーイズのボーカル、スティーブ・ベイターはしばしばマイクのコードを縄に見立てて、天井に固定された照明にひっかけ、首吊りの真似事をしたが、これだけでは終わらないこともあった。“コート・ウィズ・ザ・ミート・イン・ユア・マウス”を演奏している最中に、あるウェイトレスがむき出しの彼の性器にホイップクリームをつけ、歌詞の内容を観客に向けて実演してみせたのだ。ウェイトレスをけしかけたのは、ゴールディー&ザ・ジンジャーブレッズのボーカルだったジェニア・レイヴァンだった。彼女曰く、「でもね、ウェイトレスにはスティーブがイクところまではフェラしないでいいと言ったのよ。スティーブは歌わなくちゃならなかったし、音程を外してほしくなかったからね。かわいそうなスティーブ!」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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