March 2021

THE IDLE WILD

輝ける命の刹那 Part 1
ジェントルマン・レーサーの系譜

古きよき時代に活躍したジェントルマン・レーサーたちは、
それぞれがスタイリッシュで、際立ったキャラクターを持ち、
短くも輝かしい、花火のような人生を駆け抜けた。
text nick scott

ベントレー・ブロワーに乗り、英国サリー州のブルックランズ・サーキットを周回するサー・ヘンリー“ティム”バーキン(1932年)。

 その理由は、「ただ退屈だったから」というものから、ロマン溢れるものまで、さまざまだった。参加するのに必要な膨大な資金、他では手に入らないスリルとアドレナリン……。しかし昔からエリート層が、レーシング・マシンに惹かれてきたのは事実だ。

 これはアルフレッド・ダンヒルの時代まで遡る伝統だ。ダンヒルはもともと、富裕層のための自動車用品店“ダンヒル・モートリティーズ”だったのだ。

 そして現在のグッドウッドに集まる面々を見てもわかるように、この伝統は今でも続いている。ネットフリックス製作のドキュメンタリー映画『ジェントルマンドライバー』(2018年)は、現代の富裕層ドライバーであるエド・ブラウン、リカルド・ゴンザレス、マイケル・ガッシュ、ポール・ダラ・ラナたちの活躍を描いたものだ。

大金持ちのレーサーたち 翻って、かつてのヒーローたちを見てみよう。ルイ・ズボロウスキー伯爵(1895-1924年)は英ケント育ちのアメリカ人で、20世紀初頭に若くして1,100万ポンドという巨額の遺産を相続した(彼は世界の21歳以下の人間のなかで、4番目の金持ちとなった)。

 彼はレースにのめり込み、マイバッハ製の23リッターという巨大エンジン車“チキチキ・バンバン”を乗り回していた。その名の通り、チキチキ・バンバンは、大聖堂のあるカンタベリーを通過することが禁止されるほどの大音量だった。

 ジェームズ・ボンドの生みの親、イアン・フレミングは当時小学生であり、ズボロウスキーの雄姿に夢中であった。これが後のボンドカー誕生に繋がる。

 スコッチウイスキー、ジョニー・ウォーカーの相続人ロブ・ウォーカー(1917-2002年)もすごかった。ケンブリッジ大学に在学中、ウォーカーはプライベート・パイロットの資格を得たが、すぐにポイント・ツー・ポイントのレース中にタイガーモスの複葉機で“コースに飛び込む”という違反行為をしたため、大学の飛行隊を追い出された。

 1939年にレース・ライバルであったタイのプリンス“ビラ”とル・マン24時間レースに参戦していたときには、昼間はプリンス・オブ・ウェールズ(POW)・チェック、夜は着替えて、ブルーのピンストライプのスーツを着用していた。POWチェックは昼間の服だから、という理由でだ。彼のパスポートの職業欄には“ジェントルマン”と書いてあった。

アイリッシュ・グランプリに勝利した、ティム・バーキン卿。彼のアルファロメオとメカニックと一緒に。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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