PARADISE FOUND

コリン・テナント男爵が作った島

May 2018

text james medd

バジルズ・バーのカウンターに立つバジル・チャールズ(1972年)

 マスコミが一切入れなかったことで逆に尾ひれが付き、島で乱痴気騒ぎが行われているという噂がしつこく流れた。マーガレット王女がロディ・ルウェリンとの情事に島を利用したことにより、噂はさらにエスカレートした。あまりにあからさまな王女の態度に、彼女の夫は、「君を予告なしに訪ねるぞ」と脅したという。労働党のデニス・カナヴァン下院議員は、王女の振る舞いについて議会で不満をあらわにし、「支出の削減を要請されているわれわれを尻目に、彼女はボーイフレンドと楽園の島へお出かけだ」と発言した。

 事態の真実を知る人物のひとりが、自身の名を冠したビーチサイド・バーを30年にわたって運営したバジル・チャールズである。近隣のセントビンセント島で生まれた彼は、マスティク島を訪れる富豪や貴族にとって、バーの主人から親しい友人へと変化した。また、彼は長年にわたり、かつてデビュタント・オブ・ザ・イヤーに選ばれたロイストン伯爵夫人、ヴァージニアと生活をともにした。さらに、チャールズがマーガレット王女と親しい間柄であるという噂も絶えなかった。

男爵、島を離れる マスティク島での暮らしは、確かに連日連夜のパーティーで、それが最大の魅力でもあったが、パーティーは田舎の邸宅で行われる類のものに近く、タブロイド新聞の期待とは違っていた。島は小さく、招待客も仲間内だけで決められていたため、参加者は入会条件の厳しい会員制キャンプで、一緒に休暇を過ごしているようなものだった。

 パーティーの中心にいたのは、やはりコリン・テナントだった。1976年に開かれた彼の50歳の誕生日パーティーは、彼の島づくりのビジョンが大輪の花を咲かせた瞬間だった。華やかなショーは1週間に及び、マカロニビーチでのゴールド・パーティーで最高潮に達した。ビーチの木々や草はゴールドのスプレーで色付けされ、そこへ仰々しく登場した彼は、ゴールドのコッドピース(股袋)だけを身に着けたふたりの少年を伴っていた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 22
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