METHOD MAN:ED HARRIS
俳優エド・ハリス 独占インタビュー
April 2024
photography michael schwartz
fashion direction jo grzeszczuk
Special thanks to Flower Ave.
ジャケット Ralph Lauren Purple Label
チーフ Anderson & Sheppard Haberdashery
ジーンズ、ハット、ブーツ all property of Ed Harris
信じられない体験 1972年、オクラホマ・シティのジュエル・ボックス・コミュニティ・シアターの小さく簡素なステージにいたのは、エド・ハリスという名の若い素人俳優だった。ステージが終わる頃、劇場は満席だった。
この年は、ベトナム戦争とウォーターゲート事件があり、アメリカの政治にとっては最悪な年であったが、エンターテイメントでは最高の年だった。ローリング・ストーンズが北アメリカのツアーをしていたし、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』が、シシリアン・マフィアの魅力をアメリカ人に伝えていた。新年はエルビス・プレスリーの歌で明けた。アポロの月面着陸のときよりも、多くの視聴者が、プレスリーのハワイでのコンサート(エンターティナーによる初めての衛星中継)を見るためにチャンネルを合わせた。70年代は、文字通り、輝ける時代だったのだ。
ジュエル・ボックス・シアターでは、200人くらいの聴衆は、しばらく沈黙を守っていた。キャメロットのミュージカル版を見終わったところで、やせた、アスリートのようなアーサー王が、背が高く、背筋がピンとしているように見えるように絶え間なく努力をしながら、彼らの前に立っていた。リハーサルの時に背中にテープで貼られていた木製の物差しは、本番では落ちてしまっていた。パウダー・ブルーの目は聴衆を見つめ、何が起きているのかを理解しようとしていた。
突然、聴衆は席から立ち上がり、拍手し、そして叫んだ。このときの賞賛は、この偉大な俳優のキャリアの最初の一歩となった。70本以上の映画、数え切れない舞台、多くの賞を獲得した演出、そんなドミノ倒しの最初の駒となった。しかし、1972年、このステージに立つエド・ハリスは何が起きているのかまったくわかっていなかった。
「それは本当だった」 ハリスは、ロサンゼルスの丘の上の、22,000平方メートルもの敷地を持つランチ・ハウスに住んでいる。やはり俳優である妻のエイミー・マディガンと、33年間一緒だ。彼はそこでTHE RAKEに語った。
「その夜舞台から降りると、轟きが聞こえてきたんだ」
誰も真似することのできないしわがれ声で、思い出すように語る。
「われわれがカーテンコールで戻ったとき、みんなが足を踏みならして、喝采してくれていたんだ。かなり激しくね。私は頭が空っぽになって、ショーをやったことが思い出せなくなってしまった。ドラッグや何かとは関係なく、突然それまでに経験したことのなかった、陶酔した気分がやってきた。10分くらいは続いたかな? 信じがたい体験だった。本当に演じたことを覚えてなくて、頭が真っ白になってしまったんだ」
「それまでに演劇をたくさんやったわけではなくて、ほんの数本だった。そんなことが起きるなんてことは、まったく考えられなかった。これまで同じような経験をしたことがある人とは話したことがないけれど、われわれのモチベーションとは、そういうところから来るものではないだろうか? 一度の経験が忘れられなくて、その後の人生は、その気持ちをもう一度味わいたくてやっているようなものだ」