METHOD MAN:ED HARRIS
俳優エド・ハリス 独占インタビュー
April 2024
シャツ Ralph Lauren Purple Label
ジーンズ、ブーツ both property of Ed Harris
演劇に目覚めたとき ハリスは1950年にニュージャージーで生まれたが、両親はオクラハマ出身だ。母マーガレットは優秀な主婦であり、旅行代理店もしていた。父のボブはテレビ草創期の歌手だった。ハリスの家族は50年代半ばのペリー・コモ・ショーで、レイ・チャールズ・シンガーズとボブが競演するのを毎週見ていたという。
「父は信じがたいほどの優しさを持っていた。他の人のことを本当に気に掛けていたんだ。例えば、夕食の時の祈りは、『この食べものを私達のために、また、他の人々のために使えるようにお恵みください』というようなものだった。実際、彼の生き方がそういうものだった。とても心が広くて、人に与えることが多く、愛に溢れた人だった。時々、度が過ぎるくらいに」
実際、彼は人知れずうつ病を煩っていたが、ハリスは20代になるまでそれに気づかなかった。
ティーンエイジャーになったエド・ハリスは、彼も認めるところだが、キレやすい問題児だった。が、そのエネルギーをフットボールに昇華することができた。
「俺はアスリートとしてはかなり良かった」
当たり前のことのように彼は語る。
「フットボールと野球が好きだった。勉強もできた。すごいというわけではないけれど、まぁまぁ優秀だった。課題もやったし、意識も高かった。フットボールは一生懸命やって、コロンビア大学では1969年に、フレッシュマン・フットボールにも出場した。ハーフバックとディフェンシブ・バックだったんだ。しかし2年生の夏、フットボールに対する興味は、突然失ってしまった」
オクラホマ大学で『タルチュフ』と『ラマンチャの男』のパフォーマンスに魅了され、演劇熱に犯されたのだ。オクラホマ大学には有名な演劇コースがあったので、3年生の年は演劇を学ぶことに決めた。アルバイトをしながら、ジュエル・ボックスのような地方の劇場で演じた。最終的にハリスはロサンゼルス&カリフォルニア芸術学院に移り、1975年に卒業した。
それからの3年間はロサンゼルスの小劇場で舞台に立ち、ジョージ・A.ロメロの映画『ナイトライダーズ』で主役を演じ、1983年には『ライトスタッフ』の宇宙飛行士ジョン・グレン役でブレイクする。同じ年、サム・シェパードの『フール・フォア・ラブ』でニューヨークでのデビューを飾り、優秀俳優に贈られるオビー賞を受賞、素晴らしいメソッド・アクターとしての地位を得ることになった。