トッズ会長 ディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏に聞く
THE TOD’S TOUCH
トッズに息づくイタリアの美学 Part1
September 2026
マルケ州カセッテ・デテにあるトッズ本社を訪ねると、このブランドがこの地と切り離しては語ることができないことに気づかされる。職人の手から生まれるプロダクトだけでなく、そこで働く人々の生活、地域との繋がり、イタリアの文化までが、トッズのもの作りを支えている。
そして、その中心にいるのが、会長ディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏だ。今回の対話から見えてきたのは、ブランドの成長と、地域や人、文化への責任を、常にひとつのものとして捉えるデッラ・ヴァッレ氏の一貫した姿勢だった。
トッズの物語は20世紀初頭、祖父フィリッポ・デッラ・ヴァッレがマルケ州に開いた小さな靴工房から始まった。その技術と情熱を受け継いだデッラ・ヴァッレ氏は、ゴンミーノに象徴されるシューズから、バッグ、ウェアへとアイテムを広げ、イタリアン ライフスタイルを世界に発信するブランドへと育てあげた。そして今なお氏の視線は、故郷マルケ州とイタリアに向けられている。
職人が誇りをもって働ける環境を整え、従業員とその家族を支え、文化遺産の保護や地域社会に力を注ぐその根底にあるのは、ブランドを育んだ土地と人への感謝、イタリアへの愛である。
そうした思想は、トッズのプロダクトにも深く息づいている。それらは控えめな佇まいの中に確かな存在感を備え、快適さもまた、そのエレガンスを支えている。時代とともに新たな表情を見せながらも、そこに貫かれているトッズらしさは揺るがない。
本特集では、デッラ・ヴァッレ氏の言葉を通して、トッズを支えるクラフツマンシップとイタリアンライフスタイル、家族や従業員への思い、そして文化を次世代へ手渡そうとする企業家としての信念を紐解く。
そこから浮かび上がってきたのは、トッズの根底にある価値観と、氏が守り続けてきたイタリアの美意識と矜持である。
interview Yoshimasa Hoshiba
text Yuko Fujita
photography Marco Santi Amantini
ディエゴ・デッラ・ヴァッレ
Diego Della Valle
1953年、イタリア・マルケ州カセッテ・デテ生まれ。1975年に家業へ加わり、祖父の靴工房を源流とする事業を、トッズ、ホーガン、フェイ、ロジェ ヴィヴィエを擁する世界的グループへと成長させた。民間高速鉄道Italoの創業メンバーであり、フェラーリやゼネラリの取締役を歴任。現在はトッズ グループ会長を務めるほか、LVMHの諮問委員、RCS MediaGroupの取締役として、イタリア経済界に幅広い影響力をもつ。2000年にトッズをミラノ証券取引所へ上場させ、2024年に非公開化した。コロッセオやミラノのパラッツォ・マリーノの修復支援など、文化遺産の保護にも尽力している
トッズを世界的ブランドへと育てたディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏とは
白い石を基調としたモダンな建物を、広大な緑とオリーブの木々が囲む。明るく開放的なアトリエには最新の設備が整ういっぽう、もの作りの中心にいるのは、職人たちだ。その光景に、トッズが大切にしてきたもの作りの姿勢が表れている。この本社があるのは、イタリア中部のアドリア海側に広がるマルケ州。海と山に恵まれた土地で、本社のあるカセッテ・デテは、海沿いの町チヴィタノーヴァ・マルケから車で10分ほど内陸に入ったところにある。この一帯では古くから靴作りが盛んで、大小さまざまな工房やメーカーが集まり、その技術が受け継がれてきた。
トッズの歴史も、この地での靴作りとともに始まった。20世紀初頭、現会長ディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏の祖父フィリッポがこの地で靴工房を開き、父ドリーノの代に熟練した職人を擁する会社へと発展した。75年にディエゴ氏が正式に家業へ加わると、受け継いだ技術を礎にブランドは大きく発展していった。
デッラ・ヴァッレ氏はトッズ グループを率いるいっぽう、ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ氏らとイタリアの民間高速鉄道Italoの創業に参画。現在はLVMHのアドバイザリーボードメンバー、RCS MediaGroupの取締役を務め、過去にはフェラーリやゼネラリなどの取締役も歴任してきた。ファッション界にとどまらず、長年にわたりイタリア経済界の中枢に身を置いてきた人物である。
今回、デッラ・ヴァッレ氏は本誌の取材のためにミラノからマルケへ戻り、我々を自宅に招いてインタビューに応じてくれた。トッズのもの作りについてはもちろん、自身の装い、故郷マルケ、ファミリー、イタリアの文化、そして企業のあり方まで、話題は多岐にわたった。
30年ずっと変わらない、デッラ・ヴァッレスタイル
デッラ・ヴァッレ氏には、ひと目でそれとわかる独自のスタイルがある。濃紺のダブルブレステッドのスーツに、襟元を開いたシャツ、大判のストール。足元にはトッズのスニーカー「レッド ドット」。美しく仕立てられた服にスポーティなシューズを合わせながら、その装いは自然体で実にエレガントだ。
「ビエラで特別に織ってもらった紺無地のシワになりにくいウールで仕立てたジャケットを、1年を通して愛用しています。ミラノでもニューヨークでもパリでも、それぞれの自宅に同じ色、素材の服があれば、装いに迷うことがありません。1日のうちに急に誰かと会うことになることもしばしばありますから。これは私にとって制服のようなものなのです。もう30年近く、基本的には同じスタイルです。どの家にも同じワードローブを揃えているので、それぞれの家が自分のスーツケースのようなものです」
マルケの自宅でのインタビュー時に撮影したディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏。濃紺のダブルブレステッドのスーツに大判のストールを合わせた装いは、30年近く変わらない氏の象徴的なスタイルだ。かつてはカラチェーニ(主にフェルディナンド)で仕立てることが多かったが、こちらはトッズお抱えの職人に仕立ててもらったものだという。
自分自身の基準をもち、それに磨きをかけていく。興味深いのは、これほど装いに明確なこだわりをもつ人物でありながら、本人はそれを「制服」と捉えていることだ。装うたびに新しさを求めるのではなく、自分に必要なものを見極め、生活の一部として定着させている。世界各地の自宅に同じワードローブを揃えるという徹底ぶりも、効率のためだけではなく、何を着れば自分らしくいられるのか、その答えが定まっているからだ。
仕事の規模とは対照的で、故郷との距離が近い。各地を飛び回り、移動にはヘリコプターやプライベートジェットも使うが、マルケに戻れば家族や友人との時間を大切にする。世界を相手にビジネスを展開しながら、自分がどこから来たのかという感覚は揺らいでいない。
トッズの根底にある、イタリアンライフスタイル
また、マルケでの暮らしとともに、デッラ・ヴァッレ氏が大切にしているのが海で過ごす時間である。その象徴ともいえるのが「マルリン」だ。1930年、ヘンリー・フォードの息子エドセル・フォードのために造られ、その後ケネディ家が長く所有したマホガニー製のクルーザーで、ジョン・F・ケネディも家族との時間をこの船で過ごしたことで知られている。その歴史と佇まいは、2026年春夏の「トッズ マルリン コレクション」の着想源にもなったほどだ。ほかにも、1974年に建造されたモーターヨット「アルタイルIII」を所有する。
ここにも、デッラ・ヴァッレ氏のもの選びの特徴が見える。時間を経たものを、過去の遺物として眺めるのではなく、現在の自分の暮らしの中で実際に使い、楽しむ。長く受け継がれてきたものには、それだけの理由がある。その価値を見極めながら、自分の生活へ取り込んでいく姿勢は、30年間変わらない服の選び方ともどこか似ている。
大切なのは“ルッソ”ではなく“グスト”
デッラ・ヴァッレ氏がトッズについて語るとき、何度も口にするのが「上質」という言葉である。上品であること、エレガントであること、クオリティを変えないこと。そして、常に優れた素材を追求すること。それらは、時代が変わっても守り続けるべき基準だという。
ただし、彼のいうイタリアンライフスタイルは、よい製品を作ることだけではない。よいものを作る職人がいて、それを使い、楽しむ人がいる。そして、その背景には土地や文化がある。作る人、使う人、そしてその土地の暮らし。そのすべてが一緒になって、イタリアらしいスタイルが生まれる。
なかでもイタリアの魅力は、大都市よりも小さな村や町にこそあると語る。小さな教会にも、美しい建築や絵画、彫刻が残されている。そうしたものを幼い頃から身近に見てきたことが、自身の美意識を育てたという。料理も同じだ。その土地に昔からあるものを大切にし、普段の暮らしの中で楽しむ。美しいものを特別なものとして遠ざけるのではなく、日々の生活の中で自然に味わう。文化も、食も、装いも、もの作りも、すべて日常の中にある。それが、デッラ・ヴァッレ氏の考えるイタリアなのだ。
「大切なのは、ルッソ(高級)であることではなく、グストなのです」
「グスト」は、日本語の「趣味のよさ」だけでは捉えきれない。何を美しいと思い、何を選び、どのように楽しむのかという、その人自身の感覚である。高級なものに囲まれていたり豪華さを豊かさの指標にするのではなく、自分なりの基準をもつこと。取材の中で語ってくれた「人生の幸せを、贅沢の大きさで測るわけではない」という考えも、そこに重なる。つまり「グスト」は、ものの選び方であると同時に、人生の過ごし方でもある。自分が本当に価値を感じるものを知り、それを楽しむ。その感覚が一貫しているのだ。
日常のエレガンスを変えた「ゴンミーノ」
1970年代末に誕生した「ゴンミーノ」は、そうしたトッズの考え方を象徴する存在のひとつである。上質なレザーにドライビングシューズの快適さを組み合わせ、ソールには100個以上のラバー製ペブルを配した。運転時のグリップを高め、靴に柔軟性を与える機能的なディテールが、ゴンミーノをひと目で印象づけるデザインにもなった。より重要なのは、ドライビングシューズという本来スポーティな靴を、街で楽しめるエレガントな一足へと変えたことである。当時は今以上に、ドレスシューズとスポーティな靴との境界が明確だった。両者の間に新しい選択肢を作り、テーラードにも休日の装いにも合わせられる靴へと導いたところに、ゴンミーノの革新性があった。そこでは、快適さとエレガンスが対立するものとして扱われなかったのだ。柔らかく軽いからカジュアルなのではなく、快適でありながら美しく見えること。その両方を求めたことが、ゴンミーノを単なるドライビングシューズとは異なる存在にした。
デザインひとつをとっても、木型に実際に革を合わせ、ラインやバランスを目で確かめながら、職人の手で細かな調整を重ねていく。革に触れ、形を整え、仕上がりを生み出していくのは職人の手だ。その感覚が、トッズのクオリティを支えている。
そして、その魅力をいち早く見出した人物のひとりがジャンニ・アニェッリである。フィアットを率いた戦後イタリアを代表する実業家であり、独自の着こなしによって世界のメンズスタイルにも大きな影響を与えた人物だ。クラシックなスーツを自分流に着こなし、時計をシャツのカフの上から着ける。ルールを知ったうえで、それを自分の感覚で楽しんだアニェッリに、「ゴンミーノ」の軽快さはよく似合った。彼が愛用したことで、「ゴンミーノ」はドライビングシューズの枠を超え、イタリアンスタイルを象徴する一足として広く知られるようになっていった。アニェッリのスタイルがそうだったように、エレガンスは決められたルールを守ることだけから生まれるものではない。自分の暮らしや感覚に合わせて、既存のものをどう取り入れるか。「ゴンミーノ」が男性の装いにもたらしたものは、靴の新しいカテゴリーだけではなく、そうした自由さだったともいえる。
マルケで受け継がれてきた靴作りを礎に、時代のライフスタイルに求められる機能や快適さを加えていく。「ゴンミーノ」に結実したその発想は、半世紀近くを経た現在のトッズにも受け継がれている。「レッド ドット」は、その代表だ。非常に柔らかなレザーと革新的な超軽量ソールを組み合わせ、「ゴンミーノ」のシグネチャーを想起させる赤いドットをソールの踵面に配した。伝統的なクラフツマンシップと最先端のテクノロジーをひとつのプロダクトに落とし込み、都市で一日履くことのできる軽さと快適さを追求した。デッラ・ヴァッレ氏自身、伝統的な職人の仕事と最新技術をひとつの製品にまとめることは容易ではなく、「レッド ドット」はそれが成功した数少ない例のひとつだと語っている。
ゴンミーノの意匠をそのまま繰り返すのではなく、その背景にある考え方を現在へ持ち込む。そこに重要な違いがある。都市で暮らす人がどのような靴を求めるのかを考え、軽さや履き心地を新しい技術によって更新する。トッズにとって伝統とは、受け継いできた技術や考えを、その時代にふさわしい製品へ生かすことなのである。
本社に飾られている、トム・クルーズをはじめとする多くの著名人のために特別に作られたラスト。世界の名士たちとの長年にわたる関係を物語る、トッズならではのアーカイブのひとつだ。
クオリティを支えている素材へのこだわり
カセッテ・デテの本社で強く印象に残る場所のひとつが、巨大なレザー保管庫だ。天井近くまで伸びるラックがはるか奥まで続き、膨大な量の革が収められている。天然素材である革は、色や厚み、柔らかさ、表面の質感によって、それぞれ異なる表情をもつ。その中から、製品に最もふさわしい革を見極める。トッズのもの作りは、デザインに入る前の素材選びから始まっているのだ。
中でも特徴的なのが「パシュミー」だ。パシュミナを思わせる繊細な柔らかさと軽さが特徴で、靴にはゴートレザー、ウェアにはラムレザーを用いているという。デッラ・ヴァッレ氏がパシュミーについて何より大切にしているのは、実際に身につけたときの心地よさだ。手に触れ、身につけた瞬間に、その柔らかさや軽さを実感できること。彼にとって素材を選ぶ最後の基準は、そこにある。
革の巨大な保管庫。天井近くまで伸びるラックには、色や厚み、柔らかさ、表情の異なる膨大な革が収められている。長期間にわたって良好な状態を保つため、庫内は室温20~24度、湿度63%前後に管理されている。





