【第4回】記憶を結ぶマリネッラのネクタイ、そして未来の紳士へ
Tuesday, May 6th, 2025
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アレッサンドロ・マリネッラさん
Instagram: @alemarinella
110年の伝統を受け継ぐマリネッラ4代目、アレッサンドロ・マリネッラ氏。静かに歴史を紐解くその姿に、ナポリの美意識が宿る。
世界のVIPに愛されるイタリア、ナポリのブランド〈E. Marinella(マリネッラ)〉は、今年で110周年を迎えました。
それは、単なる年月の積み重ねではありません。代々受け継がれてきた丁寧な手仕事と、変わることのない美意識が、今も人の心を動かし続けているという証でもあります。
イギリス国王をはじめとする各国の王室関係者や、歴代のイタリア首相、さらには世界中のリーダーたちに選ばれてきたネクタイという事実が、その信頼の証でもあります。
そして、その魅力の源は今も変わりません。創業当初と同じように、英国で手作業でプリントされたシルクファブリックを用い、ナポリの海辺の工房で職人たちが一つひとつ丁寧に仕立てる。大量生産では決して再現できない、その温かみと品格が、110年経った今も人々を惹きつけているのです。
この特別な年に、現当主であり、「Forbes Italia 30 Under 30」にも選ばれた4代目社長、アレッサンドロ・マリネッラさんに装いの哲学についてお伺いしました。
慎重に言葉を選びながらも、ナポリ男性らしい歌うような言葉の紡ぎ方に、若さのなかに揺るぎないドレスウェアに対する思いと、装いに対する深い敬意が感じられました。
エレガンスとは、楽しむこと。ナポリ流の美学は、伝統と同時に“人生を楽しむ姿勢”にも宿る。
ナポリという街の“色”と“心”
ナポリは、陽光の降り注ぐ明るい港町でありながら、長い歴史をもつ手仕事の街でもあります。
「ナポリは昔から手を使ったものづくりが盛んで、エレガンスや上質なコーディネートは自然と生活の中に根付いてきました」とアレッサンドロさん。
中でもネクタイは、装いの完成度を高めるだけでなく、ナポリの紳士たちにとって“色”や“表情”を加えるための大切なアイテムなのだそうです。
「ナポリではカラフルな組み合わせが好まれます。白いシャツに白いネクタイなど、一見奇抜に思えるような組み合わせも、私たちにとってはごく自然なエレガンスの一形態なんです」
そんな言葉からは、街の光と空気までもがネクタイに宿っているような、優美なイメージが広がります。
クラシックをまとう姿には、未来への意志が表れる。時代を超えて歩み続けるマリネッラのスタイル。
移りゆく時代の中でも、大切にしたいもの
ここ数年で、ビジネススタイルはずいぶん変わりました。ネクタイを締めない、ノージャケットで過ごす、そんなスタイルが当たり前になった一方で、アレッサンドロさんは「クラシックの価値は、むしろいま見直されている」と感じているそうです。
「ファッションには循環があります。今また、手仕事やクラシックスタイルが戻ってきている。もちろん、素材や方法には進化が必要です。たとえば地球温暖化の影響で、軽くて涼しい素材を使うことも大切。でもその中でも、伝統を土台にしながら進化していくという姿勢が大事なんです」
変化を受け入れながらも、大切な軸を失わない——。その真っすぐな姿勢に、クラシックスタイルが持つ“芯の強さ”を感じずにはいられません。
毎朝のひと結びに込める、その日の気持ちと信念。ネクタイは、自分自身を映す鏡でもある。アレッサンドロさんの定番ノットは、セミウィンザーとのこと。
ネクタイは、心を表す小さなキャンバス
ネクタイというアイテムについて、彼はこう語ります。
「ネクタイは、権威とか格式の象徴と思われがちですが、私はそうは思っていません。ネクタイは感情を表すもの。嬉しい日には明るい色を、静かな気持ちのときには落ち着いたトーンを選びます。つまり、心の状態を装いに反映させる道具なんです」
私たち日本人は、ときに周囲の目を意識して装いを選びがちです。でも本当は、自分の心に寄り添う装いこそが、もっとも自分らしさを引き出してくれるもの。
「今日は、どんな自分でありたいか」を、ネクタイ一本で表現できる——その自由さと深さに、改めて魅了されます。
若きリーダーの“静かな味方
アレッサンドロさんは、「Forbes Italia 30 Under 30」(イタリア版フォーブス:世界を変える30歳未満30人)にも選ばれた若きリーダー。
そんな彼が、装いについて語る時、とても印象的なエピソードを教えてくれました。
「仕事を始めたのは、本当に若い頃でした。ある日、ふと考えたんです。イタリアには『L’abito fa il monaco, o non fa il monaco?』(筆者注:第3回エピソードにも出てくる)ということわざがあります。つまり、“服は人を作るのか、それとも服では人は変わらないのか?”という問いですね」
服装がその人の印象に影響するのか、というテーマは、私たちも日々向き合っている課題です。
「私にとって答えは“イエス”でした。クラシックなスタイル、つまりジャケットとネクタイを着ていることで、若くても自分の意見をしっかりと聞いてもらえたんです」
そして、こう続けます。
「ネクタイは、僕にとって“静かな味方”なんです。大切な決断のとき、そっと背中を押してくれる。そしてクローゼットにある一本一本が、どれも特別な瞬間を思い出させてくれるんです」
それは、まさにこのコラムのテーマでもある「パワーオブスーツ」の姿そのものです。良い服は、単に外見を整えるのではなく、内側にある“自信”を引き出してくれる。そしてそれが、その人自身を支える力となるのです。
ナポリの街とともに育まれた感性が、一本のネクタイに宿る。背景には、110年の誇りがある。
装いは、自分を表現し、記憶を重ねていくもの
ネクタイを締めること。それは、記念日のためでも、気持ちを切り替えるためでもいい。大切なのは、それが“自分のため”であること。アレッサンドロさんは「ネクタイは記憶と結びついている」と言います。
「プロポーズの日、昇進の日、初めてのスピーチ…そういった人生の大切な瞬間には、いつもネクタイがそばにあった」と。
そして、いつかそのネクタイを次の世代へと受け継いでいく。それは、家族の物語をつなぐ小さなリレーのようにも思えます。
マリネッラのアーカイブから、自身の生年のプリントを復刻した一本。伝統を自分らしくまとう、粋な4代目当主のヘリテージ。
スタイルは文化であり、心の在り方でもあるマリネッラのネクタイは、単に「美しいもの」ではありません。
その一本には、歴史があり、職人の手仕事があり、ナポリという土地の空気が込められています。そしてなにより、それを選び、締める人の“意志”が宿るのです。
「どんな時代になっても、自分のスタイルを大切にしていたい」
アレッサンドロさんの言葉は、静かですが、強く、心に残ります。なぜなら——
「装うことは、生きること」
それは、時代や国境を越えて変わることのない、装いが持つ本質的な力だからです。
写真:本人提供
Author: 北川美雪(きたがわ みゆき)
東京・銀座のテーラー「VESTA by John Ford」のゼネラルマネージャー。英語、イタリア語、フランス語に堪能、メンズファッションのエキスパートとして25年のキャリアを持つ。確かな素材選びとセンスの良い仕立てに定評があり、国内外のトップ経営者、政治家、各国の要人・大使らが顧客として名を連ねる。歴代の駐日イタリア大使にも絶賛された。ファッションに関する深い造詣を持ち、多くの雑誌などで記事を執筆している。好きな食べ物は「てっさ」である。https://johnford.co.jp/