Thursday, May 24th, 2018

PARADISE FOUND
男爵が作った島

1950年代まで、マスティク島は2~3平方マイルの砂地に、野生の牛が暮らす場所だった。
だが今や、カリブ海に浮かぶこの島は、富と地位を持つセレブの隠れ家となっている。
この変革を成し遂げた男は、並外れた意志の強さと財力を兼ね備えた英国貴族だった……
text james medd

男爵、島を離れる

 マスティク島での暮らしは、確かに連日連夜のパーティーで、それが最大の魅力でもあったが、パーティーは田舎の邸宅で行われる類のものに近く、タブロイド新聞の期待とは違っていた。島は小さく、招待客も仲間内だけで決められていたため、参加者は入会条件の厳しい会員制キャンプで、一緒に休暇を過ごしているようなものだった。
 パーティーの中心にいたのは、やはりコリン・テナントだった。1976年に開かれた彼の50歳の誕生日パーティーは、彼の島づくりのビジョンが大輪の花を咲かせた瞬間だった。華やかなショーは1週間に及び、マカロニビーチでのゴールド・パーティーで最高潮に達した。ビーチの木々や草はゴールドのスプレーで色付けされ、そこへ仰々しく登場した彼は、ゴールドのコッドピース(股袋)だけを身に着けたふたりの少年を伴っていた。
 だが、60歳の誕生日を祝う頃になると、テナントはもはや島の領主ではなくなっていた。彼の誕生日パーティーが開かれた1976年は、居住者を対象としたサービス料が導入された年でもあり、彼の無秩序で奇想天外な統治を容認してきた居住者たちの心は、次第に彼から離れ始めていたのだ。
 テナントはやむなく、自身の会社であるマスティク・カンパニーの株式の過半数を、ベネズエラ人実業家のハンス・ノイマンに売却した。テナントは、その後も10年にわたって島に留まり、メッセルに依頼して新たなグレート・ハウスを建設し、その土地を保有し続けた。中心にドームを設けたグレート・ハウスは、いかにも堂々とした建造物で、インドから輸入した白大理石のパビリオンまで備えていた。しかし、80年代半ば、テナントはセントルシアでの再出発を目指して、ついに島を離れた。パビリオンは、このときにクリスティーナ・オナシスの元夫であったセルゲイ・コーゾフに買い取られ、間もなく取り壊されてしまった。
 テナントがいなくなってからも、マスティク島は、エリートの遊び場であり続けている。家の数は100軒をわずかに超える程度で、メガヨットを着けられる波止場もなければ、自家用機で着陸できる場所もない。島に別荘を持つロックスター、ブライアン・アダムスは、マスティク島を訪れた記者に、こう語った。
「他の島は、まるでサントロペのようになった。ここは正反対だよ。ブティックも小さければ、レストランも小さい。そこがいいんだ」
 島には今も、コリン・テナントのビジョンが息づいている。

マスティク島のブリタニア・ベイの澄み切った海(1987年)。

ALL PHOTOGRAPHS BY PATRICK LICHFIELD/WITH THANKS TO THE LITTLE BLACK GALLERY
ALL PHOTOGRAPHS AVAILABLE FROM THE LITTLE BLACK GALLERY LONDON/WWW.THELITTLEBLACKGALLERY .COM

THE RAKE JAPAN EDITION issue 22
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