BN20Fで、自分のために生きていく マーク・パンサーさん
Friday, November 25th, 2022
globe
大阪芸術大学客員教授
別府市ツーリズム大使
BN20Fオーナー
text kentaro matsuo
photography tatsuya ozawa
“一世風靡”という言葉は、まさにこの方のためにあるのでしょう。globeのマーク・パンサーさんのご登場です。globeを知らない方はいないでしょうが、念のために解説しておくと、小室哲哉さん、ヴォーカルのKEIKOさん、そしてマークさんから成る音楽ユニットです。1995年にデビューすると同時に、多くの大ヒットを飛ばし、ファーストアルバムは400万枚(!)を売り上げました。
「globeは、僕の青春でした!」と興奮するカメラマンの小澤くんを助手席に乗せ、globeのベストメドレーを聞きながら、マークさんの待つ鎌倉へクルマを走らせました。私自身は当時すでにメンズ雑誌業界で働いていたため、“ドンズバ世代”というわけではないのですが、かかる曲すべてのメロディが耳に残っています。いろいろなCMに使われていたり、街中で流れていたからでしょう。globeがいかに大きな存在だったか、改めて実感してしまいます。
鎌倉・材木座に位置するマークさんのご自宅へ到着し、まずその壮麗さに仰天しました。白亜の豪邸とは、まさにこのことです。真っ白に塗られた南欧風の外観、クルマが4〜5台は入りそうなガレージ、まるでホテルのような内装、中庭を抜けた先にある離れ、そして何より驚いたのは、何十畳もありそうな吹き抜けのリビングと、その先に広がる真っ青な海です。広々としたオープン・バルコニーからは湘南の海が一望できます。ここは南フランスか? と勘違いしてしまいそうなロケーションです。
「僕は南仏マルセイユで生まれ、2歳のときに日本へやってきて茅ヶ崎で育ちました。だから湘南の海は、僕にとって切っても切れないものですね」
まずは、ファッションから拝見しましょう。上から羽織っているシャツは、BN20F(ベネバン)。(このブランドついては後ほど……)
「フランスの伝統的なシャツで“ブルー・ドゥ・シーヌ”といいます。フランス語で「中国の青」という意味です。ご覧のように、ちょっと中国風のディテールが入っています」
ボーダーシャツとハットも、BN20F。
「ボーダーシャツの縞が途中で途切れていて、そこにシトロエン2CVがあしらってあります。これは“旅はまだ終わっていない”という意味なのです」
こちらの説明も後半で。
ジーンズは、ヴィンテージのリーバイス501XXのビッグE。マニア垂涎の1本です。
時計は、ロレックス サブマリーナ。
「時計はたくさん持っていたのですが、全部酔っ払って記憶をなくしている間に、消えてしまった(笑)。フランクミュラーもヨットマスターも、たくさんのクロムハーツのアクセサリーもなくなってしまった。誰か身に覚えがあるなら、連絡してほしい……」
スニーカーは、パトリックのパンチ。ヒールタブが色違いのスペシャル・モデルです。
さすが、元・超一流モデルだけあって、何を羽織ってもお似合いですね。
マークさんのデビューは、なんと2歳のときだとか。
「僕の父はフランス人で、日本でモデルをしていました。当時はダリのようなヒゲを生やしていて、結構有名な存在だったんですよ。サンローランなどのショーに出るかたわら、日産シーマ、スーパーニッカ、ミノルタ等のCMにも出演していました。ある日、父の仕事の現場に連れて行かれて、そのまま膝の上であやされているところを写真に撮られました。そうしたら、それがリプトン紅茶の全国キャンペーンに採用されたのです。これが僕のモデルデビューとなりました」
それからお母様の勧めもあって、大手モデル・エージェンシー、セントラルファッションと契約し、ミノルタ、ブルボン、ペプシコーラなどのCMに立て続けに出演します。
「先生には怒られましたが、学校よりもオーディションを優先していましたね。『ニッコリ笑えば、ラジコンを買ってもらえるぞ』と思いながら、仕事をこなしていました。この頃から、“スマイル・イズ・マネー”だとわかっていました(笑)」
しかし地元の茅ヶ崎では、“見た目がガイジン”だということでイジメにも遭っていたとか(お母様は日本人なので、正確にはハーフです)。
「小学校の頃、楽しそうに野球をしている級友たちを、『僕も一緒に遊びたいなぁ』と指をくわえて見ていました。しかし、『お前は人形みたいな顔をしている』とバカにされ、なかなか仲間に入れてもらえなかった。当時の子どもたちは、皆巨人ファンで、全員がジャイアンツの野球帽を被っていました。そんなある日、アニメ『巨人の星』を見ていて、ひらめいたのです。『そうだ、僕は星飛雄馬でなく、花形満になろう!』と(笑)。そこで阪神タイガースの帽子を被って、縦縞の服を着て、友達のところへ行ったら、受け入れてもらえたのです。要するに誰もが巨人だと面白くなくて、ライバルが欲しかったのですね。巨人VS阪神戦ができるじゃないですか。ここで覚えたことは、皆と違うことをしたほうが、かえって皆と仲良くなれるということです。ちなみにそれ以来、僕は筋金入りの阪神ファンになりました(笑)」
15歳の頃より、雑誌『メンズノンノ』の初代専属モデルとなります。
「阿部寛さん、風間トオルさん、大沢たかおさん、加藤雅也さんなど、当時一緒にやっていた人たちは、全員俳優になってしまった。ここでも僕だけが違う道を歩んでいますね」
実はglobe以前に、レコードデビューも果たしていました。しかもスタッフは超大物揃い。
「1991年、『Ciao, l’amour…(チャオ、ラムール)恋にさよなら』という僕名義のアルバムを出しました。プロデューサーは加藤和彦さん、作曲・作詞はかしぶち哲郎さん、高橋幸宏さん、ニック・デカロさん、森雪之丞さんなど、すごいメンバーでした。全然ヒットしませんでしたけど……(笑)。この間、ヤフーオークションで自分のアルバムが売りに出されているのを見て、思わず買ってしまいました。結構高かったですよ(笑)」
その後、MTVの初代ビデオジョッキーに抜擢され……
「MTVのオーディションを受けたら、なぜか合格してしまった。たぶん、フランス語訛りの英語がよかったのですかね?」
そしてこれが、マークさんを運命の出会いへと導きます。
「小室哲哉さんがMTVを見てくれていたのです。それで声をかけられて、彼の才能に惚れ込んで、鞄持ちのようなことをするようになりました。観葉植物のように、いつも隣にいましたね。『クリームパンを買ってきて』と言われたら、『ハイ、行ってきます!』みたいな(笑)。それで2年くらい経ったとき、『そろそろマークとやるグループのために、ボーカルを探そうか』という話となり、全国行脚に出かけ、福岡でKEIKOさんを見つけたのです」
その後、前述のような日本ポップス史に残る空前の大成功を収めます。
「まさにロックンロールな生活でした。毎日のスピードが速すぎて、自分でも何が起こっているのか、よくわからなかった。小室さんはまったく食べないし、眠らないのです。ロサンゼルスやバリ島のスタジオでずっと作業をしていました。スタッフが耐えきれず、次々と帰っていく中、自分だけが始終一緒にいました。そんな中で、安室奈美恵さんの作詞を担当させてもらえました」
ジェットコースターのような生活は7年間続いたといいます。
「あの頃の僕は、恋人も親も放り出して、飛ぶ鳥を落とす勢いの男にくっついていたのです。今思っても、どうしてあんなことができたのか、よくわからない」
転機となったのは、ネットによるオーディオ配信が始まったときだそう。
「iTunesが出現してから、音楽業界にブレーキがかかりました。収入が激減して作り手のモチベーションが上がらなくなったのです。実はiTunesのインターナショナルCMのオファーは、最初はglobeに来たのですよ。たぶんビルボードでの観客動員数を評価されたのだと思います。しかし『そんなミュージシャンの敵になるシステムのCMなんかに出るもんか』と断ってしまった。そしてU2に決まったのです」
マークさんの口から語られるストーリーは、まさに音楽史秘話の連続です。
「今はパソコンが1台あれば曲作りができる。いろいろなモノを繋げたり、変化させたりして……。でもそれでは、小室さんのような“気絶するほど”美しい旋律は生まれないような気がするのです。そこで大阪芸術大学では、生徒たちに小室流のコード進行や作詞術を、時代背景とともに教えています。ドラマ『失楽園』(1997年)のビデオを見せながら、『ほら、globeの『Can’t Stop Fallin’ in Love』って、不倫の歌なんだよ』とか言いながら(笑)」
そうでした。この方は大学の先生もしておられるのですね。
「もちろん、小室さんとは今でも連絡を取り合っていますよ。globeは決して解散はしていないのです。2022年のクリスマスイブは、globeデビュー1万日目ということで、豪華ボックス・セット『10000 DAYS globe』をリリースする予定です」
さて……、そんなマークさんも半世紀を生きた今、新しいプロジェクトに取り組もうとしています。それが前出のファッション・ブランド、BN20F(ベネバン)です。この秋、鎌倉の駅前からほど近い古い物件の2階を改装し、新しいショップをオープンさせました。
「ブランド名のBN20は、かつて父が運転していたクルマのナンバーなのです。フランス生まれの彼は1965年、30歳のときに、シトロエン2CVフルゴネットのハンドルを握り、世界一周の旅に出ました。フランスから中東、インドをまわり、日本へやってきました。それは大変な旅だったそうですよ。楽しいことより、辛いことのほうが多かったらしい」
そして日本でマークさんのお母様と出会い、恋に落ち、マークさんが生まれたそうです。とてもロマンチックな話ですね。
「この話をヒピハパのデザイナー、加賀清一さんにしたら、『とても面白いコンセプトだ』と仰って下さり、意気投合して、フランスと旅をテーマにしたブランドをスタートさせることにしたのです。鎌倉は1966年以来、フランスの都市ニースと姉妹都市ということもありますし……」
なるほど、だからお店のインテリアも、フランス風にまとめてあるのですね。狭いけれど、素晴らしいセンスです。
「多くの家具はフランスから輸入しました。こちらに置いてある棚は、もともとワインラックでした。シャンデリアもフランス人アーティストが作ったもの。このハンドルは、2CVについていた本物です。加賀さんと相談して、いろいろとこだわって仕上げました」
フランス大好きな私も、シグネチャー・アイテムのボーダーシャツを購入してしまいました。途切れたボーダーの先に2CVをあしらった“旅はまだ終わっていない”というメッセージも素敵です。
「お買い上げ、ありがとうございます!」
マークさん本人にいわれると、なんだか緊張しますね。自ら店頭に立つことも多いそう。
「買ってくれたお客様には、僕自身が手書きしたショップカードをお渡しして、ツーショット・チェキを撮るサービスもしています」
私もマークさんと一緒にパチリ。これはファンの方のみならず、たまらないイベントでしょう。
ちなみに、件(くだん)のお父様はまだご健在で、北八ヶ岳ににお住まいだそう。
「父はあらゆる意味で、すごい人です。八ヶ岳の家も一から全部自分で建てた。海外からサウナキットを取り寄せて、自分で組み立てたりしていました。遊び人で、人生を楽しむ術を心得ている人。金のためには動かないけれど、人のためにはなんでもする人です。優しかったけれど、嘘だけは許さなかった……」
マークさんは、中学・高校と門前仲町に住み、九段の名門、暁星学園へ通われていたそうですが、その時代にはこんなエピソードが……。
「まわりはお坊ちゃんばかりで、何人かは黒塗りのハイヤーで送り迎えされていた。そこで僕もヘンな嘘をついて、『友達は全員クルマ通学だ。俺もクルマで送り迎えをしてくれよ』と言ったことがあります。そうしたら、次の日、一台のプジョーの自転車が家の前に置いてあって『お前は今日から、これで学校へ通え』と言われたのです。おかげで雨の日も風の日も、毎日10km近い道のりを自転車通学する羽目になりました(笑)」
なんともユニークなお父様ですね。当年とって85歳なので、さすがに自由には動き回れないそうですが、旅の続きはマークさんとその娘さんで受け継いでいきたいとか。
「僕には今年20歳になる娘がいます。娘が生まれてからは、すべて娘中心の生活となりました。globe全盛の頃は、千代田区三番町にあるワンフロアをぶち抜いた300平米のマンションに住んでいました。でもある日、娘がテレビを見ながらヨダレを垂らしているのを見て『これはイカン!』と思ったのです。そして、自然の中で娘を育てようと決意し、いきなり家族と犬3匹で石垣島へ移住しました。幼稚園まで石垣島で過ごし、小学校へ上がるタイミングで、今度はフランス、ニースへ引っ越しました。トライリンガルにしたくてニースのインターナショナル・スクールへ入れて、学校では英語、街ではフランス語、家では日本語という環境にしました」
マークさんも日・仏・英のトライリンガルですものね。それにしても、決断が早い。
「寮がある高校へ入りたいというので、神戸のカナディアンアカデミーという寄宿制のインターナショナルスクールへ編入させました。しかし結局、家族全員でついていって、僕と妻は六甲アイランドに住んでいたのですけれど(笑)」
娘さんへの溺愛ぶりが伺えます。
娘さんは現在、ロンドンにあるアートカレッジへ通われています。
「これもついて行きたかったのですが、フランスの血が流れている僕にとって、英国だけはダメなのです。メシはまずそうだし、毎日天気が悪くて気分が暗くなりそうで(笑)」
そして鎌倉(実は逗子マリーナ内にもふたつのマンションを所有)に居を定め、毎日海を眺め、サーフィンを楽しまれているというわけです。まったく羨ましい成功者の生活です。
「2歳から今までずっと、人のために笑って、人のために生きてきたので、これからは自分のためだけに生きていきたいと思っています。globe時代は契約で一切の危険なことを禁止されていたけれど、これからはサーフィンの他に、オートバイなどにも乗ってみたいな。だからブランドを立ち上げて、自分の好きなファッションを作って、好きな人に売っていければと考えています。実はショップの直ぐ側に、フランス風のプリン・カフェをオープンする予定もあるんですよ。これからは一分一秒を楽しんで暮らしていきたい」
そう仰るマークさんは、やはりとびきりの笑顔なのでした……。
BF20FのオリジナルのポケットTシャツ。2CVフルゴネットのロゴマーク付き。
オリジナルのトートバッグ。防水加工が施してあり、実際に水を汲むことができるという。
P.S.
この日……、もうひとり、ニコニコの笑顔だった人間がいます。カメラマンの小澤くんです。普段は黒子に徹している彼が、珍しく「一緒に写真を撮ってください!」とマークさんに申し出たのです。
「僕の青春でした!」を連呼しつつ、マークさんに擦り寄る彼は、本当に嬉しそうでした。
鎌倉のレジェンド、マーク・パンサーさんは、まだまだ、多くの人を幸せにする力をお持ちのようです!