ボートハウスとキャプテンサンタを作った男:下山好誼さん
Monday, March 1st, 2021
下山好誼さん
ジョイマーク・デザイン “キャプテン”
text kentaro matsuo
photography kaz ogawa
今でこそ自分のことを、“ファッション・エディター”などと称していますが、中学生になるまでは、ファッションの“ファ”の字も知りませんでした。当時たまたま手にした雑誌、ホットドッグプレスやポパイによって、初めてそんな世界に触れたのです。
1970年代半ばは、第2次アイビーブームで、誌面はトラッド用語で埋め尽くされていました。しかしかつての私は、BDシャツが“ボタンダウン”シャツを略したものだという知識すらありませんでした。記事中にあった字面(じづら)だけを覚え、地元のスーパーの洋品売り場に行って、「BD(ビーディー)シャツを下さい」と大真面目に尋ね、店員に首を傾げられたものです。
ちょうどその頃、トレーナーブームというものがありました。ショップの店名ロゴ入りトレーナーが、大流行したのです。ビームスやシップスなど、今では大企業になったセレクトショップも、成長のきっかけは、このブームだったと記憶しています。私もわざわざ原宿まで出掛け、某ショップのトレーナーを買って、自慢気に着ていたのを覚えています。
数あるトレーナーのなかで、ぶっちぎりの人気を誇っていたのがボートハウスの1枚です。青山学院高等部の向かいにあった、たった7坪の店の前に、数百人を超える大行列が出来て、社会現象とまでいわれました。本当は私も、ボートハウスが欲しかったのですが、とても田舎の中学生ごときが、手に入れられるシロモノではありませんでした。
ある日、お金持ちの友人が、「ボートハウスのトレーナーを手に入れた」というので、見せてもらうと、ガゼットやエルボーパッチがついていて、生地もしっかりしており、なんというか、全体的にとても“本物感”があるのです。それまで自慢だった自分のトレーナーが、急に安っぽく見え、ひどくがっかりしたのを覚えています。「やっぱりボートハウスはぜんぜん違うな・・」と悔しくなりました(もう40年も前の話ですが、人間って、こういうことは忘れないものですね)。
そんなボートハウスをはじめ、その後これまた一時代を築いたキャラクター・ブランド、キャプテンサンタなど、数十のブランドを擁するジョイマーク・デザインの“キャプテン”こと、下山好誼さんのご登場です。
現在は油壺の別荘へ逗留中というので、盟友の小川カズちゃんと一緒に都内からクルマで出掛けました。若い頃から憧れの人だったので、ちょっと緊張していましたが、お会いするなり「まず、ランチへ行こう!」と仰り、美味しいスパゲティをご馳走になり、食べ終わると「じゃあ、隣でコーヒーを飲もう!」と言われ、行きつけの喫茶店でコーヒーを振る舞われ、すっかりリラックスさせて頂いたという次第です。
「なぜボートハウスのトレーナーがあんなにヒットしたのか、僕にはぜんぜんわからないんです。よく『どうやって仕掛けたんですか?』と聞かれたんですが、『わからない』と答えるしかなかった。一番ビックリしたのは、自分自身だったんです。僕は“これをやったらヒットするだろう”なんて思って商品を作ったことは一度もありません。ただ好きなことを楽しんでやってきただけ。それは今に至るまで変わりません。ボートハウスも、大好きだった加山雄三さんに着てもらいたいという一心で始めたブランドです。加山さんが、映画の中でボートハウスのTシャツを着てくれたときは、嬉しかったなぁ」
それから、別荘へお邪魔したのですが、これが想像を絶するカッコよさでした。3棟ある建物の外装は真っ白に塗られ、広々とした板張りのデッキやポーチへと続き、油壺の小高い丘の一角が、そのままアメリカになったようです。夏だけオープンするショップも併設されています。
「家具や照明などは、すべて海外から取り寄せました。持っている家具に合わせて、家を設計したんです。だからサイズが合っているでしょう?」
広大な邸内には、数え切れないほどのコレクション・グッズが飾られています。下山さんは、コカ・コーラ、ディズニーのコレクターとしては、世界有数だといわれています。あのマイケル・ジャクソンと、オークションで競り勝ったこともあるそうです。
「コカ・コーラは、25,000点、ディズニーは8,000点くらいあるかな。両方ともアメリカが持つパワーの象徴のような存在で、そこに惹かれるのです。コカ・コーラは砂漠のど真ん中に行ってもビルボードがある。まさに世界を制覇したブランドです。またディズニーは、本人が死んだ後も、ずっと皆に夢を与え続けている。アメリカ人が凄いのは、自分の好きなものに対しては、徹底的にこだわり、大きなエネルギーを使うところです。私の好きな言葉に“ハングリーアイ”というのがあります。言葉ではなく、目で見ればわかるというのがアメリカ流で、私もそういったものが好きなのです」
アメリカとファッションにハマったきっかけは、何と言ってもVANだったと仰います。
「VANが提案したファッション=ライフスタイルという考え方に衝撃を受けました。東京に出てきてからVANばかり着ていました。だから石津謙介先生のことは、とても尊敬しています。だいたい“トレーナー”という言葉自体、石津先生が考えられたものですからね。アメリカ人に言っても通じません。英語では“スウェット・シャツ”です」
「VANが倒産してからですが、先生と仲良くさせて頂くようになって・・ここへも何度かいらしたことがあるんですよ。でも、あんまりファッションの話はしなかったな。食べ物の話が多かった(笑)。一度『すき焼きが食べたい』と仰るので作って差し上げたら、『君、すき焼きというのは、こうやるんだよ』と箸をとって、まず肉を鉄板で直に焼いて、それから割り下をお入れになった。すべてがそんなふうで、ライフスタイル全般にこだわりのある方でした」
そんなキャプテンの着こなしは、もちろんアメリカ、そしてアイビーの本流ともいえるものです。
ウインドブレーカーは、ボートハウス。襟元にはフードが装備され、胸元と背中に大きくロゴがプリントされています。
「これは私が持っている古着をアレンジしたものです。昔の服は、相当持っています。ナイロン製で、プリントは全部自社でやっています。ウチはもともとプリント加工を手掛けていた会社なので、今でも押上に自社工場があるんですよ。そこの工場長がひとりで全行程仕上げたものです」
邸内に飾られているサインボードなども、自社でプリントしたものが多いとか。プリントものには絶対の自信をお持ちのようです。
ジーンズは、デニム&サプライ ラルフ ローレン。おや、他社ブランドもお召しなるんですね。
「もちろん着ますよ。社員にも奨励しています。特に好きなのは、J.クルーとラルフ ローレンのRRL(ダブルアールエル)。古着も大好きです。ニューヨークでスタートしたRRLは、最初はぜんぶ古着を売っていたんです。どこで仕入れているのかを調べたら、9割はシアトルの業者だった。そこは全米中の古着を集めていたんですね。そこでは僕もずいぶんと買いました。ハリウッドランチマーケットの垂水ゲンさんなんかも出入りしていたな・・。デニムの古い物は、ほとんどリーバイスですね。それからちょっとリー」
下山さんのコレクションは、今のヴィンテージ・ファンが見たら、卒倒してしまうことでしょう。
ロングスリーブのTシャツは、サンデービーチ。
サンデービーチは、かつて渋谷・ファイヤー通りにあった、下山さんの伝説のショップです。実は最近そのデザイン・ディレクターに小川カズちゃんが就任したので、今回の取材・撮影が実現したわけです。
「これ、よく出来ているねぇ。スタイリストとしてのカズ君しか知らなかったから、“あれ、こういう才能もあるんだ”って、びっくりしたよ。考えてみると、僕はいつも人に恵まれていましたね。成功をするための条件が10だとすると、そのうち9までは周りの人々だと思うんです。僕自身は1しかない・・」
よく見ると、袖先がカットオフしてあります。
「僕は、なんでも自分でイジってしまうんです。買ったばかりのTシャツやトレーナーのネックもぐいぐいと伸ばしちゃう(笑)。それから洗濯と乾燥は、必ず自分でやります。ちょっとこちらへ・・」
といいつつ、1階奥の小部屋(それでも8畳くらいはある)にご案内頂くと、そこには巨大なドラム式洗濯機と乾燥機が、ドーンと置かれていました。
「これは日本製ですが、日本では使われず、専らアメリカへ輸出されていたものです。乾燥機はガス式です。ここですべての服を、全部自分で洗って乾かします」
ここまで大きなガス式乾燥機が設置してあるお宅は、初めてみました。
ボタンダウン・シャツはボートハウス。
「ボタンダウン・シャツには、こだわりがあります。100%、ボートハウスのものしか着ません。それもオックスよりブロードが多いかな。しかし実は、他社のものもたくさん持っていて、ボタンダウンだけで2000枚はあります。ボタンダウンだけのタンスがあるほどです(笑)。ポロシャツやワークシャツも着るけど、やはりボタンダウンが一番多いですね」
シャツの上から、ロンTを重ね着していることに触れると・・
「シャツの上からトレーナーやTシャツを着るのがボートハウスのスタイル。これは僕が日本で最初に始めました。昔ニューヨークに行った時に、ビジネスマンがタイをポケットに突っ込んで、シャツの裾をパンツから出して、さっそうと街を歩いていた。それを見て“カッコいいな!”と思ってやり始めたんです」
時計は、モンブラン。
「これはもう、30年前に買ったもので、モンブランが初めて作ったダイバーズ・ウォッチです。とても気に入っていたんですが、ハワイの別荘に置いておいたら、泥棒に入られて盗まれてしまった。悔しかったので、もう1本同じものを買いました(笑)」
下山さんの、ゴールドコーストに面する三角屋根の別荘は、築100年を誇り、ハワイの歴史的建築物にも指定されている貴重なものです。
カレッジリングは、ハーバード大学の本物。
「友人がハーバードに行っていたので、頼んで買ってもらった、“本物の”ハーバードのカレッジリングです。ジャスティンズという古くからのメーカーが作っていて、ウチが出しているカレッジリングもそこで作ってもらいました。アメリカのカレッジリングは、だいたいジャスティンズ製なんです」
シューズは、クラークス。
「つい2ヶ月ほど前に買ったもので、今いちばん気に入っているシューズです。ソールがビブラム社製で、軽くて、歩きやすい。こういうコラボをするあたりは、さすがだなと思います」
「靴は大好きで、たくさん持っています。実はレッド・ウィングのポストマンシューズを日本で初めて仕入れたのは僕なんです。レッド・ウィングといえば、今はブーツのイメージだけれど、昔は何といってもポストマンでしたね。スーツにも、ジーンズにも似合う。アメリカで実際に郵便配達夫が履いているのを見たことがありますが、それはカッコよかった。やっぱり往年のモデルのほうが、トゥが丸っこくていいんです。それからローファーはオールデンのコードバンが、やっぱりいいですね。ブルックス ブラザーズで扱っていて、僕もアメリカの工場まで行ったことがあります。かつて僕がやっていたボートハウス・クラブという店では、日本製靴に頼んでコードバンのコインローファーを作っていました・・」
下山さんの、ファッションに対するこだわりは奥底が知れず、話は止まることを知りません。この方の記事については、よく、岡山の田舎から出てきて、東京で大成功を収めた“立身出世伝”として書かれることが多いのですが、そういう話については、著作『ボートハウスの奇跡 一枚のトレーナーに込められた夢』に詳しいので、ぜひご一読をおすすめします。これは本当に面白い本です。
しかし、もっと面白いのは、ご自身が語られる、細かいファッションの話です。ここでは記しきれませんでしたが、それぞれのアイテムに関する造詣がハンパない。もし皆さんのなかに、ボートハウスやキャプテンサンタ、そしてサンデービーチを、単なるキャラクター・ブランドと思われている方がいたら、それは大間違いです。そこには、アメリカとそのライフスタイルに一生をかけた男の、こだわりが詰まっています。
冒頭の“なぜボートハウスのトレーナーが売れたのか?”という問いに戻ると、やっぱりそれだけのクオリティとビジョンがあったからだと思います。当時の値段は、5,800円だったらしいですが、それを上回る素材、縫製、そして何よりも大きな夢を感じられたからこそ、大行列が出来たのではないでしょうか? ぜひ一度アーカイブを見せて頂き、それぞれの品々について、じっくりとお話をうかがってみたいところです。
「今、アパレルは大変なことになっているけれど、こんな時こそ、かつてのアメリカで学んだことを実践するべきです。まず社長が楽しむこと、そして社員も楽しむこと、それが伝わって、きっとファンたちも楽しんでくれるはずです」
これをコロナ時代の、金言と致しましょう。
まるで日本とは思えないインテリアの一部。
ハワイ関係のコレクションも充実。中には非常に貴重なものも。
サーフィン関係の書籍を集めたコーナー。
書斎スペース。キャプテン・サンタはここで生まれた。
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