THE HISTORY OF THE GURKHA PANT

グルカ・トラウザーズの歴史

September 2021

ベルト留めのウエスト、インプリーツ、豊かなシルエットなどを特徴とし、英国軍の歴史に深く根ざしているグルカ・トラウザーズ。

カジュアルなスタイルが注目されている今、何にでも合わせられるこのグルカ・トラウザーズが、万能のマストアイテムとして再び注目されている。

 

 

by FREDDIE ANDERSON

 

 

 

1940年、エジプトで部隊を視察するアンソニー・イーデン。

 

 

 

 クラシックな紳士服の起源を探ると、ほとんどのものは軍服にそのルーツを見ることができる。数々の頑強な衣服は、戦禍の中で鍛えられてきたのだ。

 

 1803年から1815年まで、第一次フランス帝国の進撃を阻止することを目的としたナポレオン戦争は、洗練された軍服の展示会ともいえる。ヨーロッパの4大国の君主たちは、いずれも兵士の服装にこだわっていた。

 

 しかし、ワーテルローの戦いが壮大に繰り広げられていた頃、東インド会社の英国軍はまったく別の戦いに煩わされていた。そちらはあまり洗練されていなかったが、グルカ・トラウザーズのルーツとなる戦い=グルカ戦争だった。

 

 

 

 

 グルカ・トラウザーズの名前はネパールの山岳民族のグルカ兵に由来しており、さらにその「グルカ」の名はネパールのゴルカ朝に由来している。

 

 英国軍がグルカ族と初めて対立したのは、1814年、ゴルカ軍の砦であるナラパニでのことだった。英国軍は数と資源で相手をはるかに凌駕していたにもかかわらず、その抵抗に衝撃を受けた。

 

 勇敢さ、複雑な地形への知識、そして人生の大半を高地で過ごしたことによる優れたスタミナにより、グルカ族はナラパニで耐え抜いた。食糧、水、弾薬が尽きても彼らは降伏しないことを選び、ついには包囲された砦を抜け出し、丘陵地帯へ逃げ込んだのだ。

 

 英国は最終的には数の上でグルカ族を圧倒し、ネパール人は英国との和平を余儀なくされた。しかし、彼らの戦闘力に感銘を受けた英国は、異例の“スガウリ条約”を結んだ。1816年3月4日に批准されたこの条約は、グルカ族が英国の軍務に参加することを認めたものだ。

 

 現代でもグルカの徴兵プログラムは、世界で最も過酷なものとして知られている。25kgの土嚢を頭に載せて5kmの上り坂を走らなければならないことは有名だ。この同盟から生まれたグルカ・トラウザーズは、200年以上にわたる英国の軍事的伝統に根ざしているのだ。

 

 

 

 

 

 テクニカルでサルトリアル、かつ実用的なグルカ・トラウザーズというアイテムは、決して色褪せることがない。そのスピリットは今日も、多くの名門ブランドに受け継がれている。

 

 特に、“Manny”トラウザーズで有名なナポリのルビナッチは、その代表格だ。ルビナッチは、革新的で魅力的な新バージョンを常に生み出している。

 

 ルビナッチのグルカ・トラウザーズを求める者は、通常、シーズンごとのニューコレクションを待たなければならない。しかし、エクスクルーシブ・コレクション「Luca Rubinacci for The Rake」の発売により、現代最高のファッショニスタであるルカ・ルビナッチがデザインした“Manny”と“Genny”のトラウザーズをワードローブに加えることのできる機会が訪れたのだ。

 

 

 

 

 “Manny”トラウザーズは、熟練した職人が作るクラシックなトラウザーズと同じパーツで構成されている。ダブルプリーツ、ストラップサイドアジャスターなど、クラシックなディテールを再現しているが、ポイントとなるのはウエストバンドだ。このウエストバンドは、ベルトループ付きの他のローライズ・トラウザーズと比較して、男性の引き締まったウエストを際立たせることができる。

 

 一方、“Genny”トラウザーズは、プリーツがなく、よりスリムにカットされているのが特徴だ。どちらのスタイルもコレクションの中で重要な位置を占めており、スーツの一部として、またはセパレートとして購入することができる。