THE BACH VARIATION

第二の人生を歩むボンドガール

April 2022

007に愛されて輝きを放ったバーバラ・バックが、突然スポットライトを浴びる女優業から退いて歩んだ第二の人生とは。

 

 

text david smiedt

 

 

 

Barbara Bach/バーバラ・バック

1947年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。モデルとして活躍していたときに出会ったイタリア人実業家と結婚し、イタリアへ。離婚を機にアメリカへ帰国し、『007 私を愛したスパイ』(1977年)でボンドガールに抜擢され注目を集める。その後出演した『おかしなおかしな石器人』(1981年)での共演をきっかけに、元ビートルズのリンゴ・スターと再婚。女優業から退いた後は、基金や支援団体を設立するなどチャリティ活動に専念している。

 

 

 バーバラ・バックのストーリーは、血縁関係のないもうひとりのバックから始まる。人気テレビシリーズ『爆発!デューク』のホットパンツ姿で視聴者を愉しませたキャサリン・バックだ。彼女は当時、チャーリーズ・エンジェルのメンバー全員(ただしファラは除く)に匹敵するセックスシンボルだった。1970年のロンドンでパーティに出席していたキャサリンは、007シリーズのプロデューサー“カビー”の娘であり、同じく映画プロデューサーであるバーバラ・ブロッコリの目に留まった。ブロッコリが自己紹介したとき、キャサリンはふざけているのではないかと思い、「はじめまして、私は*キャロットのキャシーちゃんよ」と答えた。

 

 このせいで、『007 私を愛したスパイ』(1977年)でロジャー・ムーアの相手役を務める別の女優を探すことになった。ここで白羽の矢が立ったのがもうひとりのバック、バーバラ・ゴールドバックだ。のちにゴールドを取ってファーストネームを短くした。ニューヨークのクイーンズで生まれた彼女は、1965年、アイリーン・フォードのエージェンシーに見いだされた。高校卒業から1年後にはモデルとして『Seventeen』誌の表紙を飾り、『Elle』誌のカバーガールとなり、その後アヴェドンが『Vogue』誌のために写真を撮り下ろしたことで、瞬く間に時の人となった。

 

 海外からも仕事が舞い込むようになったが、19歳のとき、「飛行機で素敵なイタリア人と出会って、彼が私のキャリアにとってイタリアのほうがずっといいと言ってくれた」ので、11歳の年の差をものともせず、彼女はイタリア人実業家のアウグスト・グレゴリーニと結婚した。彼女はローマに身を落ち着け、モデルとして働いていたが、彼女自身の言葉を借りれば「道で軽い感じで声をかけられました。テレビに出るつもりはないかって。その誘いに応じてテレビに出演しました」。「誰がそんなことを言うの?」「ありえない」という世間からのあからさまな反応をよそに、バックはテレビドラマだけでなく、9作のイタリア映画にも出演した。

 

 バックが英語で話す映画に出るようになると、その評判は世界的なものになった。映画プロデューサーで監督のトニー・リチャードソンは、完全に彼女に魅了されていた。彼女が1年後、カトリーヌ・ドヌーヴらを抑えてボンドガールを射止めたときのボンドチームもだ。ロジャー・ムーアの相手役として彼女が演じたアニヤ・アマソワ少佐はフィギュアにもなり、『プレイボーイ』誌の表紙も飾った。

 

 

*キャロットのキャシーちゃんよ :“ブロッコリ”という姓が冗談だと思い、ブロッコリー=野菜から連想し、にんじん型のベビートイ「Cathy the Carrot」をもじって“I’m Cathy Carrot.”と自己紹介した。

 

 

より意義のある第二の人生

 ボンドガールの職業人生は光り輝いているが、短いものだ。バックも例外ではない。彼女は1979年にチャーリーズ・エンジェルのメンバーとして最有力候補に挙がっていたが、彼女のことを「この役をするにはヨーロッパ的で洗練され過ぎている」だとか、「ジャクリーン・スミスと似すぎている」と言う人もいた。そのためバックが姿の見えないチャーリーの声のもとで働くことはなく、ヨーロッパに戻ってから、“世界の新しいカラテ・ヒーローが麻薬の売人やギャングをやっつけ、悪徳ペテン師から世界を救う”映画『ジャガーNO.1』(1979年)に出ている。

 

 彼女の“一体なにを考えているの”シリーズに入るもうひとつの映画に『おかしなおかしな石器人』(1981年)がある。この映画は1時間半を費やして、洞穴に住む男が美しい女性のために体の大きなネアンデルタール人に仕返しを企てるというあらすじである。作品自体は忘れてもよいが、この映画が育んだ愛は覚えておいてほしい。バックの相手役は長髪のミュージシャンで、彼女が15歳のときにニューヨークのシェイ・スタジアムでライブを見ていた。そのバンドはビートルズで、ドラマーはリンゴ・スター。ふたりはミュージシャンとスーパーモデルのカップルの先駆けとなった。

 

 その後バックはより社会的に意義のある活動に取り組むようにもなった。1991年、彼女は他のビートルズメンバーの妻たち、オリビア・ハリスン、リンダ・マッカートニー、オノ・ヨーコとともにルーマニアン・エンジェル・アピール基金を設立した。当初は孤児のための基金だったが、現在ではHIV/エイズや結核などによって社会的な排除の影響下にある若者たちを支援している。同年にもうひとつ大スターとのコラボレーションを実現していて、バックはジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、パティ・ボイドと共同で依存症からの回復自助プログラムSHARP(Self-Help Addiction Recovery Program)をロンドンに設立したのだ。その2年後にUCLAで心理学の修士号を取得し、さらに2年後にはアニマルケア、薬物乱用、がん、ドメスティックバイオレンス、ホームレスなどの問題に取り組むロータス財団を設立した。

 

 とあるインタビューで、最初のキャリアとは正反対の第二のキャリアについて尋ねられたとき、彼女は、「より意義のあるものになっています。将来的にはカウンセリングの仕事をすることになると思います」と答えている。(007でバックが演じた)アニヤ・アマソワ少佐が目の前に座っているのを見ただけで、もし必要ならばティッシュの箱もつけて、安全な癒やしの空間へ案内されるだなんて想像できるだろうか。今日はここまでにしようと思う。