STYLE 101: THE SAFARI JACKET

藪で生まれ、都会を制した:サファリ・ジャケット

September 2023

サファリ・ジャケットはアフリカの藪の中で生まれたが、そのルーツを覆し、今では都会の装いにも溢れている。男のワードローブの定番となり、最も汎用性の高いウェアのひとつとなったのだ。

 

 

by charlie thomas

 

 

 

 

 紳士服の定番の多くが、人間の“殺意”から生まれたというのは驚くべきことだ。現代で広く着用されているメンズウェアの多くが、もともと軍で開発されたものであることはよく知られている。ピーコート、ボンバージャケット(A-1、A-2、G-1、MA-1、その他)、チノパンツ、パーカなど、数え上げればきりがない。

 

 しかし、考えてみれば、これはそう驚くことではない。戦闘で着用する衣服は実用的でなければならない。着る人を助け、フィールドで生き残るために。生きるか死ぬかの問題なのだ。軍隊、特に米英軍が20世紀で最も目的に適った衣服を開発した理由はこれである。

 

 だが、サファリ・ジャケットについては、別の“殺意”から生まれた。20世紀初頭に流行ったアニマル・ハンティングである。サファリ・ジャケットは、暑い季節に最も汎用性の高い服として進化した。

 

 

 

 

 

Origins

 

 その名が示すように、サファリ・ジャケットはアフリカのブッシュでの使用を想定したもので、この言葉が初めて登場したのは1930年代半ばのことである。しかし、その歴史はもっと古く、英国陸軍のドリル・カーキ製のユニフォームにまで遡る。1900年、第二次ボーア戦争で南アフリカに駐留していた際に初めて導入された。

 

 このときの兵士は、暑さの中でも重くならない、軽量で通気性の良い衣服を必要としていた。したがってユニフォームはカーキ色のコットン・ドリルで作られた。胸と腰の4つの大きな蛇腹ポケット、大きなシャツ襟、肩章、ウエスト・ベルトを特徴としていた。

 

 カーキ・ドリルでは、このポケット、エポーレット、ベルトの組み合わせが初めて採用され、後に登場したアメリカ陸軍のM-1943フィールド・ジャケットなどに継承されていった。それは非常に実用的だったのだ。蛇腹ポケットはたくさんの携行品をしまうのに便利で、幅広の襟は胸部に広がり涼しかった。そして腰のベルトにはさまざまなものをぶら下げることができ、手ぶらでトレッキングすることができた。

 

 

 

 

 これらの特徴はすべて、数十年後に登場したサファリ・ジャケットにも活かされていた。誰が最初に作ったのかは不明だが、そのスタイルは英国のカーキ・ドリル・ユニフォームを進化させたものだということは明らかである。

 

 サファリ・ジャケットの初期のデザインは、軍モノから若干変更されていた。エポーレットは取り外され、よりすっきりしたデザインとなった。ベルトは硬い革製に代わり、ジャケットと同じコットン・ドリルで作られるようになった。快適さが実用性と同じくらい重要だったのだ。

 

 このジャケットを最初に着用したのは、アフリカ横断の旅に誘惑された西ヨーロッパの裕福な男女だった。ジャケットの巨大なポケットは、弾丸やナイフを持ち運ぶのに便利で、双眼鏡や地図、丸めて運べる帽子、葉巻の1本や2本を入れるスペースも十分にあった。

 

 

 

 

 

Who Wore it Well?

 

 アーネスト・ヘミングウェイは、サファリジャケットの第一人者として特に有名だ。1933年には、彼はサファリ・ジャケットを着てアフリカを旅し、獲物の上に誇らしげに座り込む数々の写真を遺している。彼のジャケットは、アバクロンビー&フィッチに作らせたものだった。当時のアバクロは、今日の都会的でクールなイメージとはかけ離れた、スポーツウェアと旅行服のメーカーだった。1939年の広告で、アバクロはサファリ・ジャケットをこう説明している。

 

「英国から輸入したコットン・ドリル素材を使用。雨をしのぐための防水加工。非常に丈夫で、破れにくく、ソフトでしなやか。滑らかなスエードのような仕上げ。軽量で夏用として最適。色はサンドカーキ」

 

 しかし、サファリ・ジャケットが大ブレイクしたのは、1940年代から50年代にかけてのことだった。無骨で男らしい雰囲気と旅と冒険を思わせるイメージに惹かれ、ハリウッド・スターたちが着始めたのだ。

 

 スーツ姿が有名なダグラス・フェアバンクスJr.は、その名も『サファリ』(1940年)という映画で、サファリ・ジャケットにクラバットを合わせている。グレゴリー・ペックは、ヘミングウェイが原作を手がけた映画『キリマンジャロの雪』(1952年)で、サファリ・ジャケット姿を披露した。そしてクラーク・ゲーブルは、映画『モガンボ』(1953年)で着用している。これらの映画によって、サファリ・ジャケットは一時的に脚光を浴びた。

 

 

 

 

 このスタイルが広く世間に知られるようになったのは、1968年にイヴ・サンローランがアフリカをテーマにしたコレクションを発表したことがきっかけだった。サンローランは彼のミューズであったベティ・カトルーやルル・ド・ラ・ファレーズにサファリ・ジャケットを着せ、ジェンダーを超えたカッコよさとセクシーさをアピールした。このジャケットのルーツであるアウトドアとは正反対の概念である。

 

 サファリ・ジャケットのアイコンとしては、さらにふたりの人物が挙げられる。皇太子時代のチャールズ国王と故ロジャー・ムーア卿である。アンダーソン&シェパードのビスポーク・スーツをまるで部屋着のようにリラックスして着こなすチャールズは、皇太子時代にアフリカを旅する際、着込まれたサファリ・ジャケット愛用している。地球上で最も写真に撮られる人物のひとりであるにもかかわらず、どちらのスタイルを着ても、常に“ノンシャラン”であることに驚かされる。

 

 一方、ロジャー・ムーア卿は、まさにサファリ・ジャケットの王者である。5本のジェームズ・ボンド映画で着用したほか、テレビシリーズ『セイント 天国野郎』(1965年のエピソード)、『ダンディ2 華麗な冒険』(1971〜72年)、映画『シーウルフ』(1980年)でサファリ・ジャケットに袖を通している。クラシックなサファリ・ジャケットの着こなしは、このふたりの英国紳士を手本とするといいだろう。

 

 

 

 

 

The Safari Jacket Today

 

 その豊かな歴史を経て、サファリ・ジャケットは今日、かつてないほど重要なアイテムとなっている。サバンナでの出自を超越した存在となっているのだ。この服が、上質なテーラリングとストリートウェアという、相反する世界の両方にうまく跨っているのは、基本的なデザインのおかげである。

 

 特にプライベート・ホワイトV.C. のそれは、その中間に位置している。ブランドのクリエイティブ・ディレクター、ニック・アシュレイは、サファリ・ジャケットの熱烈なファンである。彼はTHE RAKEにこう語ってくれた。

 

「実用的だからこそ、いつまでもスタイリッシュなのです。タフな天然素材、アーシーなカラー、たくさんのポケットは、着る人をしっかりカバーし、小物もすべて安全に収納できることを意味しています。これこそがクールさの秘密なのです」

 

 チャールズ皇太子が選んだテーラー、アンダーソン&シェパードは、移動時に便利な合計15個のポケットを備えた、模範的なサファリ・ジャケットをプロデュースしている。このブランドは商品の呼び名まで“トラベル・ジャケット”と変えた。都会的な着こなしを示唆しているのだ。アンダーソン&シェパード ハバダッシャリーのマネージャー、オーディ・チャールズは、このデザインについてこう語る。

 

「使用されている生地はプレーンでシンプルなものばかりです。耐久性に優れ、さまざまなウエイトのものがあり、作業着に適しています。どんな気候にも合う布が用意されています。私は、サファリ・ジャケットが最も美しく見えるのは、それが長い年月を経たときだと思います。サファリ・ジャケットは時代を超越したデザインで、10年以上にわたって着続けることができるのです」

 

 

 

 

 東京をベースとするブライスランズでは、サファリ・ジャケットのテーラリングの可能性をさらに追求している。特別なジャケットで最も印象的なのは、ハーフベルトとミリタリーのインバーテッド・バックプリーツである。これらは動きやすさを向上させ、卓越した職人技を示している。

 

 サファリ・ジャケットは、現在入手可能なアウターウェアの中で最も汎用性の高いもののひとつである。もはや裕福なエリート層だけが着用する衣服ではない。多くのミリタリーウェアと同様、その起源を超えて、現代メンズウェアの重要なサブジャンルとなっている。

 

 伝統的なブレザーに代わるものを探している人も、白いTシャツとジーンズの上に羽織れる軽量のジャケットが欲しい人も、サファリ・ジャケットは有効な選択肢となり得るだろう。そしてそれは、時が経てば経つほど、いい味が出てくるのだ。