MICHELANGELO AND THE YEARNING FOR TRAGEDY
愛の不毛を描き続けた巨匠、ミケランジェロ・アントニオーニ
August 2020
芸術的なラストシーン
推測するに、60年代半ばにアントニオーニと3本の映画製作について契約を結んだメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)社は、自分たちが何を手に入れようとしているのか気づいていたのであろう。この契約の最初の作品が、1966年の『欲望』である。
『欲望』は、ベイリー風ファッションに身を包んだデヴィッド・ヘミングス演じるフォトグラファーが、スタジオで撮影をしたりソフトトップのロールスロイスに乗って騒いだりする姿から、スウィンギング・ロンドンのカルチャーを捉えた作品として評価されているが、全体的な印象としては、混乱を生じない程度にリアリティを追求した作品といえる。
『欲望』のポスター。
アントニオーニは、芝を青々とした緑色にペイントさせたり、鳩を最も鳩らしい色に染めさせたりするなど、ウーリッジ地区全体を各場面に合わせて整えさせた。そしてラストではストーリーの主軸である殺人の謎を否応なしに切り捨て、不安感を掻き立てるように道化師風のメイクを施した学生たちがパントマイムのテニスをするシーンで終わらせるのだが、このシーンも彼が特別に準備させた場所で撮影されたものである。
同様に、MGM2作目となるアメリカ映画『砂丘』(1970年)は、表向きはディベロッパーによるデスヴァレー(砂漠)の開発に反対する急進的な学生たちを取り上げた作品であるが、ラスト15分間では『イージー・ライダー』や『俺たちに明日はない』を彷彿とさせる雰囲気を消し、モダニズムを象徴する建築や耐久消費財が爆破によって飛び散る様子のスローモーション映像(空中を浮遊するものの中には、冷凍肉のようなものも含まれている)と、ピンク・フロイドの曲に合わせて、『2001年宇宙の旅』のエンディングのような天体ショーの映像が流れる。同じく冷徹で厳格な映画監督として知られるスタンリー・キューブリックは、人物よりもカメラワークを重視した監督であったが、彼がアントニオーニの大ファンで、特に『砂丘』を好んでいたことは何ら驚くことではない。
『さすらいの二人』の撮影風景。
3作目となる1975年公開の『さすらいの二人』は、恐らく彼の作品の中で最もわかりやすいだろう。ジャック・ニコルソン扮する、人生に疲れ切ったジャーナリストは、ホテルで偶然見つけた死体と入れ替わることによって自分の人生からの逃亡を試みたが、その死体は武器密売人のものだった。この映画のラストでは、恐らくアントニオーニにとって初の試みだった10分間に及ぶ華麗なトラッキングショットを取り入れ、登場人物とストーリーの筋を一体化させている。しかし、この作品で興行収入を伸ばすには至らなかった。