MICHELANGELO AND THE YEARNING FOR TRAGEDY

愛の不毛を描き続けた巨匠

Monday, August 10th, 2020

イタリア人映画監督ミケランジェロ・アントニオーニは、実存的な問い、ひいては自らの芸術的純粋性を異なるレベルへと昇華させた。

彼は一体、後世に何を残したのだろうか。

 

 

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Michelangelo Antonioni

ミケランジェロ・アントニオーニ

1912年、北イタリア・フェラーラ生まれ。ボローニャ大学を卒業後、地元紙に映画批評を寄稿。1947年以降、短編ドキュメンタリーを数本製作。1950年、『愛と殺意』で初の長編劇を発表。1960年に既存の映画文法とは全く異なる作品『情事』を発表し、以降は男女間の愛の不毛、社会に生きる人間の不安や孤独などを描き続けた。

 

 

 1960年春の穏やかな夕べ、カンヌ国際映画祭に出席した映画通たちは興奮していた。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『情事』を観終えたそのとき、ブーイングする者、これ見よがしにあくびをする者、大声で野次を飛ばす者、さらには冷笑する者さえもいた。

 

 監督自身が「翻って、一種のフィルム・ノワール」と称するこの作品は、ブルジョアの友人らとヨットに乗って出かけた資産家の令嬢が孤島で突然失踪する、という物語である。厳密に言えば失踪ではないのだが、肝心の失踪の“謎”が解明されないばかりか、彼女の元彼と親友の親密さが増し、成り行きにまかせて情事が始まる。そして観客にとって謎が解明しないまま物語が終了してしまうのである。しかし、ロベルト・ロッセリーニ監督をはじめ、著名な映画評論家や製作者たちは、アントニオーニの反抗心に驚かされたとしてその才能を絶賛した。

 

 アントニオーニは、『情事』とそれに続くふたつの作品(エントロピー的関係の冷淡な人物を描いた1961年の『夜』と、二度と結ばれることのない、感情的に疲弊したカップルを描いた1962年の『太陽はひとりぼっち』)を通して、緻密なプロットやペーシング、明瞭さを蔑視する姿勢を見せた。これらは「愛の不毛三部作」として知られる。

 

 

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