Grand Seiko Studio Shizukuishi

いま日本一ホットな街「盛岡」より グランドセイコースタジオ 雫石

August 2023

text kentaro matsuo

 

 

 

 

 今、日本で一番ホットな街といえば、盛岡をおいて他にない。権威あるニューヨーク・タイムス紙が特集した「2023年に行くべき52か所」という記事において、世界第2位にランクされたからだ(1位は戴冠式の行われたロンドン)。

 

 推薦した米人ライター、クレイグ・モド氏が、オールド珈琲やセレクト書店など、街の魅力を上手に紹介したからだが、この快挙に一番驚いたのは、盛岡に住む人々自身だったという。今まで地味だと思っていたわが郷土が、宝石のような存在だと気付かされたからだ。

 

 そういうわけで、いま盛岡には大勢の外国人観光客が押しかけている。ここには彼らのお目当てとなる施設が、もうひとつある。それが日本を代表するラグジュアリー・ウォッチ、グランドセイコーの機械式時計を組み立てている「グランドセイコースタジオ 雫石」である。

 

 

 

 

 盛岡市内からクルマで30分ほど走ると、10万㎡を超える広大な森のような敷地のなかに、ガラスと木材で組まれた超モダンな建物が姿を現す。設計を担当したのは新国立競技場も手掛けた建築家・隈研吾氏である。軽やかに跳ね上がった屋根のラインが、周囲の森林と完璧にマッチしている。

 

 

 

 

 工房は自然との共生をテーマとしている。例えば、雨水を使った池や湿原を備えたビオトープを併設したり、昆虫たちが集まるインセクトホテルを設えたり、野生動物のルートに配慮した森林保護を推進したりといった取り組みである。カモシカが敷地内を横切ることも珍しくないという。

 

 

 

 

 エントランスを抜けると、高い天井と広々とした空間が来場者を迎える。展示ケースの中には、グランドセイコーの歴代モデル、ムーブメント、パーツなどが並べられ、ざっと一回りすれば、クオリテイに対する桁違いのこだわりを学べる仕掛けとなっている。

 

 

 

 

「グランドセイコーに使われるほとんどのパーツは、自社工場にて作られています。われわれは特にマニュファクチュール(ムーブメントから自社一貫製造する時計メーカー)であることを強調しません。マニュファクチュールであることがすごいのではなく、その過程で自社製造している部品が高精度、高品質であり続ける事が我々の責任であり、誇りと感じているからです」

 

 そう胸を張るのは、盛岡セイコー工業、広報課長・山城陽氏だ。

 

 

 

 

 面白かったのは、軸などに使う鉄棒に、強度を持たせるために行う熱処理工程に対する説明だ。実際に3種類の棒を用意して、ゲストに折り曲げさせてみせる。同じ鉄の棒なのに、焼入れ前と焼入れ後、焼戻し後では強さが全然違う。ぐにゃりと曲がったり、ポキリと折れていた棒が、強く靭やかな鋼へと変化するのだ。この熱処理の工程も、自社内で行われている。

 

 

 

 

 展示室は両側にガラス窓を備えた長い廊下へと繋がっており、窓を通して時計師たちが働くスペースを見学できる。ミクロの世界に対峙する彼ら彼女らの目は真剣そのものだ。時計作りが大変な集中力を要する作業であることを、改めて感じさせる。

 

 

 

 

 廊下の反対側の窓からは、盛岡のシンボルである岩手山(2,038m)を望むことができる。つまり時計師側から見ても、雄大な山の姿をいつでも拝めるという設計なのだ。

 

 山岳文学の傑作、深田久弥の『日本百名山』では、岩手山を「雄偉にして重厚、東北人の土性骨を象徴するような山である」と評している。時計師は、地元出身者が多いという。この山が、ひたすら地道な作業を続ける人々の、心の拠り所となっているのは間違いない。

 

 

 

 

「ここにはプロフェッショナル人材制度というものがあります。特に秀でた技術を持つ者を、ゴールド、シルバー、ブロンズに分けて認定する制度です。約700人の従業員のなかで、現在、マイスターやスペシャリストの資格を持っているのは20人にも足りません。彼らは自らの技術レベルを上げる、維持するだけではなく、後進に技術を伝えなければならない。こうして、この工房の技術・技能は引き継がれていくのです」と山城氏。

 

 時計師は時計を組み立てるだけではなく、そのための道具も自作するという。例えば、微小な部品を摘み上げるピンセットは、自分の好みに合うよう、各人が自分で先端を削り上げるのである。もちろん道具の貸し借りは一切行われない。

 

 

 

 

 ちなみに時計師が使っている作業台は、岩手の伝統工芸品、岩谷堂箪笥の工房へ特注したものだという。美しい木目を持つ欅に、漆塗装が施され、飾り金具(南部鉄器金具)が取り付けられている。この土地には、古くから物作りの伝統があることを感じさせる。

 

 翻って、時計師が座る椅子は、人間工学から生まれたハーマンミラーのアーロンチェアである。ここでは新旧を問わず、よいものが取り入れられている。

 

 

盛岡セイコー工業、加藤幸則社長。

 

 

 

 印象深かったのは、盛岡セイコー工業社長、加藤幸則氏の次の言葉である。

 

「クオーツショックを引き起こしたのは、他ならぬわれわれセイコーで、グランドセイコーのムーブメントも一時はすべてクオーツになっていました。しかし、1990年代になると、市場からグランドセイコーの機械式時計の復活を望む声が、またセイコーの若手技術者の間からも、機械式時計の伝統を存続させるべきだとの声があがってきました。そして98年にキャリバー9Sが誕生し、機械式グランドセイコーは復活したのです。それから25年が経ち、今では機械式のグランドセイコーは、世界中から愛されるブランドに成長したのです」

 

 クオーツの本家本元は、若い力によって、再び機械式時計に力を入れ始めたというのだ。

 

 その実力は、時計界のアカデミー賞と言われるGPHG(ジュネーブ時計グランプリ)の2年連続受賞という事実が証明している。

 

 

 

 

 工房の最奥部には、2020年に発表したコンセプトモデル「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」が展示されていた。このムーブメントを基に、さらに進化させることで誕生した「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン」は、世界限定20本、価格は4,400万円である(すでに予約完売)。この複雑時計は2022年GPHGにてクロノメトリー賞を受賞している。

 

 

「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン」、世界で初めて、コンスタントフォースとトゥールビヨンを同軸上に一体化した、革新的なムーブメントを搭載。¥44,000,000

 

 

グランドセイコースタジオ 雫石でのみ購入可能なオリジナルモデル「SBGH283」。毎時36,000回のハイビートムーブメント「キャリバー9S85」を搭載。¥792,000

 

 

 

 そこまでの高額品でなくても、雫石にはここでしか買えない時計がある。深いグリーンの文字盤が印象的な「SBGH283」が代表格で、先日雫石を訪れた香港ジ・アーモリーのマーク・チョー氏も購入した1本だ。しかしながら、こちらも人気急上昇につき、現在欠品中だとか……。

 

 冒頭に述べたように、グランドセイコースタジオ 雫石の見学を中心に据え、盛岡や東北のツアーを組む海外富裕層が増えているのだ。これは東北再生の起爆剤になるかもしれない。

 

 

 

 

 グランドセイコースタジオ 雫石には、機械式時計作りに、並々ならぬ情熱を傾ける人々がいる。ふるさとの山に見守られつつ、東北人らしいひたむきさで、今日も価値ある1本を組み上げているのだ。