FULL MARQUIS: ALFONSO DE PORTAGO

フル・マーキス:
アルフォンソ・デ・ポルターゴ

December 2019

彼が人生を最大限に生きたと言うのは、控えめな表現だ。

アルフォンソ・デ・ポルターゴの人生は、

まさに破天荒というに相応しいものだった。

 

by ed cripps

 

 

愛車ランチア・フェラーリD50をチェックするアルフォンソ・デ・ポルターゴ。フランス・グランプリ、ランスにて(1956年)

 

 

 彼は、スペインのジョッキー、ボブスレー選手、飛行家、ポロ・プレイヤー、ハイアライ(バスク地方発祥の球技)のエキスパート、レーシング・ドライバーだった。20世紀を代表するハンサムな貴族で、グランドナショナル、F1、冬季オリンピックのすべてに挑戦した。

 

 彼のフルネームは、アルフォンソ・アントニオ・ビチェンテ・エドゥアルド・エンジェル・ブラス・フランシスコ・デ・ボルハ・カベサ・デ・ヴァカ・イ・レイトン。略してマーキス・デ・ポルターゴだった。

 

 彼は、大戦後に中年となったドン・キホーテが生きていたら、きっとそうなりたがるような男であり、彼自身が一種のドン・キホーテでもあった。自分自身の溢れ出る空想力によって、死を迎えることになった点で、ドン・キホーテに似ていた。

 

 

 

 

 ポルターゴの血統は本物の貴族であった。彼の祖父はマドリードの知事であり、父親はスペインで最高のゴルファーで、かつてモンテカルロのカジノで200万ドルを獲得した大胆なギャンブラーだった。スペインの前王であるアルフォンソ13世は彼の名付け親だった。

 

 彼の伝記によると、彼は何にでも手を出し、そして何でもできたようだ。 17歳のときには、ロンドンの橋の下を飛行機でくぐれるかどうかに500ドルを賭け、これに勝った。彼は“ジェントルマン・ライダー”としてグランドナショナルに2回参戦した。

 

 1956年、彼はいとこたちをかり出して、冬季オリンピック初のボブスレー・スペイン代表チームを組織し、見事に4位に輝いた(映画『クールランニング』を思わせる話だ)。

 

 

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