Bartitsu: The Gentlemanly Art of Self-Defence

ジェントルマンの護身術:バーティツ

March 2023

text andi brooks

 

 

 

 

“私は新しいスタイルの護身術を編み出した。素早く技術に長けた者が使えば、非常に強力なものになる”

―E.W.バートン=ライト(1899年)

 

 

 

 19世紀末のロンドンは、活気に満ちた大都市だった。世界最大の街であり、世界の金融と貿易の中枢であり、科学、芸術、文化の中心地でもあった。しかし、その裏側には、貧困と犯罪にまみれた暗黒の世界が広がっていた。街の危険度は日々増加し、不埒な犯罪者の集団が生贄を求めて通りをうろついていた。一歩間違えれば、紳士は待ち伏せされ、乱暴に貴重品を奪われるかもしれなかった。

 

 そんな中、英国人技師エドワード・ウィリアム・バートン=ライトは新しい護身術について考えていた。1860年にインドで生まれ、フランスとドイツで教育を受けた彼は、生涯にわたって武術に興味を持ち続けていた。仕事柄、世界中を飛び回り、行く先々でさまざまな格闘技を研究した。1885年、彼は日本に渡り、神戸のE.H.ハンター社で働くことになった。

 

 3年間の滞在中、バートン=ライトはヨーロッパ人として初めて、神戸で新傳不動流柔術を学び、東京で嘉納治五郎より講道館柔道を習った。彼は1898年に英国に戻ると、ヨーロッパで最初の柔術の師範となった。

 

 さらに日本で学んだ技術を、ボクシング、レスリング、フェンシング、サバット、杖術、スティレットなどと組み合わせ、実際のストリートファイトで習得した知識を加えて、都市におけるさまざまな攻撃に対応できる護身術を編み出した。世界初の総合格闘技であるこのシステムは、彼の名前と柔術を組み合わせた造語で“バーティツ”と名付けられた。

 

 

 

 

 バートン=ライトは、いわく「平和を望む男性に、暴漢から身を守る術を伝授するために」バーティツを考案した。彼がロンドンのシャフツベリー通りに開いたバーティツ・アカデミー・オブ・アームズ・アンド・フィジカル・カルチャーでは、女性のためのトレーニングも行われた。中には、女性参政権を求める暴力的なキャンペーンでバーティツの技を使った女性もいた。

 

 バーティツ・クラブとして知られるこのアカデミーは、ジャーナリストのメアリー・ニュージェントによって、「地下にある巨大なホールで、白いタイル張りの壁と電気灯が輝いており、その周りをチャンピオンたちが虎のようにうろついている」と評された。

 

 

 

“相手が武装していようがいまいが、ありとあらゆる攻撃に対応できるよう考えられた護身術である”

 

 

 

 チャンピオンとしては、柔術の達人である上西貞一や谷幸雄、サバットと杖術のエキスパートであるピエール・ヴィニー、スイスの伝統的なレスラーであるアルマン・チェルピヨドといった国際的に活躍した猛者たちがいた。

 

 当時、新聞などが英国ロンドンやヨーロッパの各都市の治安の悪化を伝えており、人々が強い警戒心を抱いていた。バーティツは時期に広まった。

 

 まず各メンバーは、それぞれの専門である格闘技のトレーニングを修めた。それから彼らはバーティツのグループクラスに入った。なぜならバーティツは違うスタイルの武術を組み合わせたものだったからだ。だからバーティツは、さまざまな国におけるいろいろなシチュエーションにおける危機に対応できたのだ。

 

 バーティツは、全国で公開されたデモンストレーションを通じて大きな関心を集めたが、その人気は短命に終わった。高額な入会金と練習料が、裕福な人以外には法外に高価だったのだ。

 

 維持するのに十分な会員を集めることができず、1902年、バーティツ・クラブは閉鎖された。指導者たちは、それぞれの専門分野を教えるために自分の学校を設立したが、バーティツは衰退し、忘れ去られていった。

 

 バートン=ライトは、紫外線、電気、熱による治療を専門とする理学療法士として余生を過ごした。1951年、90歳で亡くなった時は、“貧民の墓”に無名で埋葬されるほど落ちぶれていた。

 

 

 

 

 バーティツとエドワード・ウィリアム・バートン=ライトは、架空の名探偵シャーロック・ホームズのおかげで再びその名が知られるようになった。1903年の短編『空き家の冒険』の中で、ホームズは仲間のワトソン博士に、バーティツを習っていたおかげで宿敵モリアーティ教授を倒したと説明したが、作者のアーサー・コナン・ドイルは“バリツ”と誤記した。この短いながらも興味深い言及が、やがてバーティツとバートン=ライトの再発見につながったのだ。

 

 2002年、失われた自己防衛術を研究し復活させるために、バーティツ・ソサエティが設立された。現在、バーティツは世界中の愛好家によって教えられ、実践されている。時代を先取りした人物であるバートン=ライトの遺産は、今や確固たるものとなりつつあるのだ。