A BLOODY GRAND FINALE

最後に笑ったのはカミラ妃

December 2023

彼女はどのようにしてそれを成し遂げたのか? 国民から何年も拒絶され続けた挙げ句の果てに、どうやって自らを受け入れさせたのか。チャールズ3世がついに国王に即位した今、カミラ王妃は自らの長く苦しい道のりを振り返っていることだろう。

 

 

text david smiedt

 

 

カミラ王妃/Queen Consort Camilla

1947年、ロンドン生まれ。イングランド南東部イースト・サセックス州で育つ。1972年、騎兵隊大尉アンドルー・パーカー・ボウルズと交際しているとき、チャールズと出会う。ふたりは愛し合うようになったが、結局カミラはアンドルーと、チャールズはダイアナと結婚した。しかし、その後も関係は続き、1990年代初めに携帯電話での会話が暴露され、大スキャンダルとなる。96年、チャールズはダイアナと離婚。97年、ダイアナは事故死。2005年にカミラはチャールズと再婚した。

 

 

 

 恋愛がうまくいかなかったことはあるだろうか? もし初恋の人と大人になってから再会したらどうなっていただろうと考えたことは? では、電話での会話が盗聴され、個人的な秘密が公にされ、それでも前向きな気持ちで、威厳とユーモアを保とうとしたことは?

 

 普通の人なら、最初の2つの質問には「はい」と答え、3つ目の質問には「どんな気持ちなのかわからない」と答えるだろう。カミラ王妃は、この3つすべてを経験してきたのだ。

 

 1990年代のはじめ、チャールズ皇太子(当時)とカミラの不倫が暴露されたとき、彼女は他人の家庭をぶち壊し、連れ子をいじめる魔女だと世間から責められた。しかし、それはあまりにも短絡的な見方であった。その後、彼女は自身の行いによって、国民の誤解を少しずつ解いていった。

 

 カミラ・ローズマリー・シャンドは、貴族的な家庭で育った。両親は地元の保守党協会の夏祭りの場所として、自宅の庭を開放することで知られていた。彼女はポニーに乗り、同級生には1960年代のアイドル歌手トゥインクルがおり、母方の曾祖母アリス・ケッペルは、1898年から1910年まで、英国王エドワード7世の愛妾だったことで知られる人だった。

 

 カミラ妃は幼い頃から土に親しんでいたので、今でも庭いじりをしているときが一番幸せだという。また馬をはじめとする動物を愛し、自分が幼い頃してもらったように、子どもたちに本を読み聞かせるのが大好きである。まさに国民の「新しいおばあちゃん」にふさわしいのだ。カミラ王妃は爽やかで親しみやすく、私たちにとっては村のパブで会話を始めたら、実はそのパブが(そして村全体が)彼女の所有物だったというような人物だ。

 

 彼女は、明らかに裕福な家庭に生まれ育った。しかし、生まれた環境はどうしようもない。大切なのは浮世離れせず、可能な限り現実を見続けることだ。

 

「今の時代だとスノッブな感じがするかもしれませんが、私たちは16歳で学校を出ると、よほど頭脳明晰でない限り、誰も大学には行きませんでした。その代わりパリやフィレンツェに行き、生活や文化、人々の振る舞いや話し方について学びました」と2017年に彼女は『メール・オン・サンデー』紙に語っている。

 

 彼女が力を入れてきた活動のひとつに、家庭内暴力の被害者への支援がある。

 

「私は、勇敢な女性たちが立ち上がり、自らの話をするのを聞きました。彼女たちの勇気によって沈黙は破られ、家庭内暴力について語ることはタブーではなくなりました。他の被害者は、自分はひとりではないことに気づき、希望を得ることができたのです」

 

 彼女はこの問題を真剣に取り上げようとしないマスコミをも動かそうとしている。

 

「家庭内暴力は、虐待される者、暴力を振るう者、そして周りの人々の“ 沈黙”によって助長されるのです。しかし、メディアにはこの沈黙を打ち破る力があります。被害者の声を届け、この凶悪な犯罪を止めるために力を注ぐべきなのです」

 

 カミラは骨粗鬆症の対策にも尽力している。彼女の母、ロザリンド・シャンドを死に至らしめたのもこの病だったのだ。カミラのはじめての公職のひとつは、王立骨粗鬆症協会の会長になることだった。

 

 カミラの容姿やファッションは、コメンテーターやコメディアンによって、いつもバカにされてきた。それはティアラを身に着けたフォトジェニックなプリンセス、故・ダイアナ妃の対極にあるものだった。長年、彼女は毒舌を生業とする人々にとって格好の獲物だった。しかし、献身的な仕事ぶりと、ダイアナ妃にはなかった親しみやすさで、カミラは英国民から尊敬されるようになった。

 

 多くの人々が、「それは愛の力だ」と言うかもしれない。実際、2004年の時点で、『タイムズ』紙に掲載されたポピュラス社の世論調査では、カミラとチャールズの結婚を支持する英国人が過半数を占めた。婚約発表から2カ月の間に、国民から25万通以上の支持のメールが届いたという。嫌がらせや抗議と判断されたのはわずか908通だった。

 

 カミラとチャールズは2005年4月9日に結婚した。証人となったのは息子のトムとウィリアムであり、ウィンザー城でエリザベス2世女王主催の披露宴が開かれた。これは前例のないことであった。

 

 2023年5月6日には、新国王チャールズ3世とともに戴冠式に臨んだ。この儀式は英国が70年来見たことがないものだった。これから英王室の未来がどうなるかは、誰にもわからない。しかし、否定できないのは、カミラ新王妃が堅実な実績を持ち、スキャンダルや失礼な物言いを平然と受け流す能力を持っているということだ。彼女の地位は、彼女自らが築き上げたものなのである。