THE LIFE TEUTONIC

ゲルマンの遊び人たち

February 2018

text nick scott

 いうまでもないが、チャーミングで教養があり、人脈が豊富でとてつもなく裕福なアルフォンソの人生は、華やかで複雑な恋模様に彩られていた。マルベーリャ・クラブをオープンした翌年には、カール大帝の末裔であり、フィアット創業家に連なる女相続人でもあるプリンセス・イーラ・フォン・フュルシュテンベルグと結婚。この結婚にマスコミが騒いだのは、16日間にわたる華やかなパーティが催されて400人ものヨーロッパの王族が飾り立てたゴンドラでやってきただけでなく、花嫁がわずか15歳だったからだ。

 この結婚が5年で終わりを告げた後、ジョスリン・レーンとの12年間の結婚生活、そしてエヴァ・ガードナーやキム・ノヴァクとの短いロマンスを経て、彼は3人目の妻とともにマラガの田舎にある静かな邸宅で隠遁生活を送った。

 マス釣りを楽しみ、ボルドーのブドウから評判の良いワインを造り、グルメなレストランを経営しながら余生を送ったアルフォンソは、2003年に79歳で前立腺がんのために亡くなった。「いつも理想の街を探し求めていたが、ついにロンダでそれを見つけた」と語っていた穏やかな晩年には、どんちゃん騒ぎやラリー、狩猟やスポーツはやめてしまい、瞑想を好んだという。「城にも、ベネチアの宮殿にも、世界最高のホテルにも住んだことがある」というコメントも、彼が言うとあっぱれで自慢に聞こえない。アルフォンソが優れたものの持ち味がわかる男であったことは間違いない。単なる“プレイボーイ”ではなかったのである。

理想は腹上死 プレイボーイの好例といえば、冷戦時代の西ベルリンで夜の世界を牛耳ったナイトクラブの帝王、ロルフ・エデンだろう。いまや86歳になった「熟年の女たらし」(マスコミに付けられたあだ名)は、自らの遺言書に「もし腹上死したら、相手の女性には33万ドル超を支払う」と記したことを公表。ちなみに、7人の女性にひとりずつ子供を産ませている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 12
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