THE LIFE TEUTONIC

ゲルマンの遊び人たち

February 2018

text nick scott

ミス・ベルリンを抱き抱えるロルフ・エデン(1978年)

 所有する土地を1954年にロートシルトに売却し、近くにある24エーカーの農場を自らの邸宅とマルベーリャ・クラブに変貌させたアルフォンソは、10年足らずでこのエリアをビアリッツやサントロペ、カプリ並みのリゾートに育て上げ、グレース・ケリーやオードリー・ヘプバーン、ケーリー・グラント、といったセレブリティを常連にした。

 サミー・デイヴィスJr.がここでライブを行った際のピアニストは、56人の王の血を引くスペイン貴族だったという。その後の10年間も、アルフォンソが同クラブで催したソワレには、ウィンザー公をはじめ、さまざまなハリウッドスターやアラブのシャイフなどが顔を揃えた。

わずか15歳の花嫁「キング・オブ・クラブ」という愛称で呼ばれるようになったアルフォンソは、マルベーリャを世界のジェットセッターの聖地にするだけでは飽き足らず、ペルシャ湾やバハマ、フィリピン、メキシコ、マイアミにもラグジュアリーなリゾートをゼロから建設した。

 もっとも、彼がこのように大胆な起業家精神を発揮したのは高級リゾートの分野だけではない。メキシコ在住時には、フォルクスワーゲンの独占販売権を獲得。世界中でビートルの信頼性を揶揄する輩を黙らせるために、1954年のカレラ・パナメリカーナ・レースに6台も出場させたのだ(6台すべてが2,000マイルのコースを完走)。さらにスペイン(当時はスウェーデンとほとんど通商関係がなかった)でボルボも売り出した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 12
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