August 2018

RETURN OF THE PRODIGAL

フジタ、その愛と芸術

text kazuhiro nanyo special courtecy to musée maillol paris / culturespaces photography sophie lloyd / culturespaces

“フジタ大回顧展” フランスを経て この秋、日本へ 没後50周年の今年前半、パリのマイヨール美術館で「FOUJITA PEINDRE DANS LES ANNÉES FOLLES」展が催され、あらためて藤田嗣治が美術界で大きな話題だ。日本でも7月31日から東京都美術館で、次いで10月半ばから京都国立近代美術館でも、大規模な回顧展が予定されている。藤田嗣治の絵画作品は、フランスや日本、アメリカなどで広く収集されているが、今回は個人コレクションを含む多くの作品が日本で会する貴重な機会。是非、足を運んでみたい。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html

 確かに猫は、苛烈で残酷な一面を隠しもっていることもあれば、撫でられて急に上機嫌で甘えもするし、まるで無関心といった体のこともある。この発言は、現代のフェミニズムのロジックや文脈からすれば、声高に糾弾されそうな男性的視点のようにも見える。だが、藤田の描くさまざまな猫の姿から垣間見えてくるのは、むしろ禅でいう本来無一物のような、しなやかで融通無碍に外界と関わる思考や邪気のなさであり、逆に西欧風にいえば、イノセンス(無垢)またはインテグリティ(純潔性)といった概念だろう。主題や技法では洋の東西に軽々と跨りつつも、悟りと敬虔がシンプルに洗練された形で溶け合うところが、画家として藤田が孤高の独立峰たるゆえんといえる。

パリ再訪、放蕩から叡知へ ユキと破局した後、藤田はモデルのマドレーヌ・ドルマンを4人目の妻として迎え、南米の個展や日本に伴うが、1936年に彼女は突然死してしまう。この帰国では、最期まで添い遂げることになる君代夫人と出逢う。同時に、陸軍の依頼で戦争画を初めて手がけ、祖国でようやく認められたが、藤田は夫人連れで1939年にパリに戻る決断をした。だが大戦が勃発し、再帰国を余儀なくされてしまう。

 1949年に出国して以降、藤田は二度と日本の土を踏むことはなかった。パリ郊外の小さな家のアトリエで、この時期の藤田は宗教的テーマを数多く扱っている。1955年にはフランス国籍を取得し、その4年後にはカトリックに帰依してレオナール(Léonard)という洗礼名を与えられた。よく画家繋がりで、レオナルド・ダ・ヴィンチになぞらえた洗礼名だったという説があるが、その由来はむしろ、日本人イエズス会士で17世紀に長崎で殉教し、福者に列せられたレオナルド木村だった。異国で、それでも自分のルーツに忠実に生きた生涯だった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 23
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