Wednesday, February 7th, 2018

RAKES OF RIVIERA

リヴィエラの道楽者たち

text nick foulkes

ルビと並ぶレディキラー

 50年代までに、プリンス・アリ・カーンは伝説になっていた。彼は競走馬のオーナー、ジョッキー、女たらし、ギャンブラー、スポーツカーを駆るスピード狂として知られていたが、どの肩書きも未来の宗教的指導者という立場にはそぐわない。彼の父、アガ・カーン3世は預言者モハメッドの直系の子孫であり、イスラム教イスマイル派のイマーム(指導者)の地位を1885年にわずか8歳で受け継いだ人物だ。

 アガ・カーン3世は禁欲的な原理主義者ではなかった。1908年にはテレサ・マリアーノというイタリア人のバレリーナが彼の子を宿し、1950年までにはその子が成長して、二大巨頭と呼ばれる世紀のレディキラーの一人になった。それが、精力的で疲れ知らずのプレイボーイ、アリ・カーンである。

 アリはまさに神聖な存在だった。いずれ「生ける神」としての役割を父から受け継ぐはずだったのだから。だが、その血筋が女性を惹きつけたわけではない。彼はルビにひけをとらない絶倫ぶりで知られ、きわどい風刺や暗喩の的になった。

 彼はルビと同じようにセックスを一種のスポーツと捉え、そのために身体を鍛錬できると考えていた。アリは、カイロで「イムサック」―自身のオーガズムをコントロールし、遅らせる訓練―を受け、素晴らしい成績を収めた。彼の伝記を書いたレオナルド・スレーターによれば、彼は「イムサックの粋を極め、自分自身をいつまでもコントロールできるようになった」という。

 彼は、サマセット・モームの邸宅「ヴィラ・ラ・モレスク」を設計したアメリカ人建築家バリー・ディエクスが女優マクシーン・エリオットのために建てた邸宅「シャトー・ド・ロリゾン」を1948年に購入し、ジャズ・エイジの栄華を思わせる快楽の殿堂を、真のプレイボーイの館に変えた。その大きなプールに設けられた滑り台からは地中海に飛び込むことができた。

 1949年にアリがリタ・ヘイワースと結婚したときには、このプールが花々と200リットルのオーデコロンで満たされた。リタ・ヘイワースをアリに紹介した豊満なキューピッド、ジェットセッターのエルザ・マックスウェルはこう語っている。

「彼は女性の装い、歩き方、しゃべり方、考え方、感情的な反応……あらゆる面を愛するの。一緒にいるときは、彼にとって唯一無二の女性だと感じさせてくれる。息もつかないほど夢中になって話しかけ、燃えるような瞳で見つめ、あたかも相手を腕に抱くのはこれが最後であるかのように、うっとりしながらダンスするのよ」

モデルのベッティーナと踊るアリ・カーン。彼が4年後に亡くなるまで恋仲だった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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