POWER AND THE GLORY

タイロン・パワーの能力と栄光

May 2022

text james medd

ベルト付きのスエードジャケットにスカーフを合わせたスタイルのパワー(1939年)。

 この冒険でモチベーションを取り戻した彼は、再び舞台に立ち、ロンドンやブロードウェイで『ミスター・ロバーツ』(1950年)に出演。1952年には、叙事詩『ジョン・ブラウンの遺骸』の朗読舞台を行うことにこだわった。エージェントや妻など皆に反対されたが、結果は大成功を収めた。また、映画への出演も続いた。特に、長く続いていた20世紀フォックスとの契約から解放されてから、彼のキャリアはより充実したものとなっていった。1956年にはミュージカル伝記映画『愛情物語』が大ヒットし、翌年のビリー・ワイルダー監督作品の『情婦』では殺人事件の被告人を見事に演じ、業界と観客の両方から演技力で高い評価を得た。

 彼が演技派俳優として新たなスタートを切ったことを誰もが確信していた頃、パワーは次の作品、キング・ヴィダー監督の『ソロモンとシバの女王』の撮影のためマドリードへ出発した。そこには彼の3人目の妻で、妊娠中のデボラ・アン・ミナードスも同行した。しかし、彼はこの映画を完成させることはできなかった。剣戟のシーンの撮影中、父と同じように心臓発作を起こして急死したのだ。

 パワーはハリウッド墓地に軍人として埋葬された。葬儀の間、ヘンリー・キング監督が上空で自らの自家用機を飛ばし、パワーの遠い親戚であるローレンス・オリヴィエが、詩人で飛行士であるジョン・ギレスピー・マギーの詩『空高く(ハイ・フライト)』を朗読した。

“私は地球の束縛から解き放たれ 銀翼にのって笑いながら空を舞った”

―この詩は、パワーの第二のキャリアであるパイロットに着想を得たものだが、第一のキャリアにも見事に当てはまる。彼は栄光と成功を手にした後、自由に飛び回ることを許されたのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 44
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