POWER AND THE GLORY

タイロン・パワーの能力と栄光

May 2022

text james medd

当時の世の羨望の的となったパワーのサマースタイル(1940年代頃)。

 そもそも彼の結婚を最も妨げたのは、所属スタジオ20世紀フォックスの独裁的なボス、ダリル・F・ザナックの意向だった。“スターは結婚しないほうがいい”というのが当時の常識だったのだ。

 しかしパワーはそれが間違いであることを証明した。1940年の『怪傑ゾロ』でさらなる魅力を振りまき、その人気をキープした。謎めいた仮面の盗賊役は、ハンサムな顔立ちや鍛え上げられた身体だけでなく、彼のフェンシングの腕前を存分に生かしたものだった。共演したベイジル・ラスボーンはこう賛美している。「カメラの前で対峙した中で、最も機敏に剣を操る男だった。エロール・フリンでさえ、彼にはかなわないだろう」。

 ゾロ役や闘牛士、海賊などの役柄を経て、パワーは世界的な剣戟(けんげき)俳優となった。しかしスクリーンの中のヒーローは突然、現実世界の行動派に転身した。第二次世界大戦に突入すると、彼はアマチュア・パイロットとしての経験を生かして極東で活躍し、硫黄島や沖縄で物資や負傷者の輸送を担当したのだった。

 米軍での経験は、人生の優先順位を見直す時間を与えた。その結果、彼は抑えていた芸術的野心を実現するため、ハリウッドに戻った。『剃刀の刃』(1946年)で俳優として再スタートを切り、彼自身が大好きなフィルム・ノワール『悪魔の往く町』(1947年)では、詐欺師役にも挑戦した。しかし後者が興行的に失敗すると、彼は歴史ドラマやコメディー作品への出演が増えていった。

 そこでパワーは、再び空を飛ぶことにした。副操縦士、秘書、そして20世紀フォックスのプレス・エージェントを引き連れ、世界一周のフライトに出発した。南米では、アルゼンチン大統領フアン・ペロンとその妻エビータと食事をした。アフリカでは、リベリアに立ち寄った際に道端で声をかけられ、自分の名声の高さを実感した。ローマではメキシコ人女優のリンダ・クリスチャンと恋に落ちて結婚した。もちろん、数カ月前に涙ながらに彼の出発を見送った長年の恋人ラナ・ターナーは、大いに落胆した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 44
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