METHOD MAN:ED HARRIS
俳優エド・ハリス 独占インタビュー
April 2024
『さようなら、コダクローム』(2017年)でのエド・ハリスとジェイソン・サダイキス。
「父は1985年か1986年に、ポロックの伝記本を俺の誕生日祝いとして贈ってくれたんだ。表紙にはポロックの写真があった。父が言ったんだ。『エド、おまえはこの男に似ている。この中に映画に合ういい話があるんじゃないか?』と。ポロックを撮る1年前まで、監督まですることは考えていなかった。しかし、台本は約10年も書いたり直したりしていた。あまりにも深く、また長くそれに関わっていたから、他の誰にも渡したくない、と気がついたんだ。何人かの監督に話しもしたし、みんないいって言ってくれたけれど、人に渡したくなかった。それで自分で監督することにしたんだ」
監督としてのハリス あまりにも言い古された言葉だが、誰にでも一冊の小説は書ける、と言われる。自己中心的な人間の集まりであるハリウッドでは、多くの俳優が監督をやりたがる。それもわからないではない。俳優たちのキャリアは監督をすることによって“完成する”からだ。偉大な前例もある。
クリント・イーストウッドは『許されざる者』と『ミリオン・ダラー・ベビー』の両方で、メル・ギブソンは『ブレイブハート』で、ケビン・コスナーは『ダンス・ウィズ・ウルブス』で、ロン・ハワードは『ビューティフル・マインド』でオスカー最優秀監督賞を取っている。
逆に、カメラの前にいた方がよかった、というケースも多くある。ニコラス・ケイジの、男娼を描いた『ソニー』はどう見てもハズレだったし、ライアン・ゴスリングの『ロースト・リバー』を誰が忘れることができるだろう? 誰もが、だ。
しかし、ハリスがポロックを世に出したとき、彼の演劇に対するシシフォス的な、疲れを知らないアプローチが、監督の技となって出現していたのだ。8年後にアパルーサを監督したときには、緊張、感情、内なる葛藤を描く、透徹した感情移入のできるクリエーターとしての評価を盤石にした。ハリスは言う。
「俺は監督のプロセスを本当に好きだった。勘違いしないでもらいたいが、舞台で演じることも好きなのだよ。一日の予定を立てる、劇場に行く、舞台の準備をする、舞台を務める。映画で演じるのも同じことだ。しかし、俳優として映画作りで嫌なのは、待ち時間だ。文字通り14時間セットの中にいてカメラの前では10分、ラッキーなら15分、なんてこともある。年を経るに従って、映画作りのそういったところが耐えられなくなってきた。他にすることがいっぱいあるのに。しかし監督は、どんな瞬間にも決断を下さないといけないし、いつも質問していないといけないし、いつもクリエイティブな選択をしないといけない。それが楽しいんだ。もしすべてがうまくいけば、今年の8月か9月には新しい映画を監督しようと思っている。モンタナを舞台にした話で、西部劇ではなく、少し昔のストーリーだ。力強くて、かなりダークな人物の話になる」
どんな映画にインスパイアされたかと聞いたとき、ハリスの答は思いがけないものだった。
「俺はあまり映画マニアではないんだ。これまでたくさんの映画を見てきたが、映画を非常によく知っているとか、偉大な監督とその最高の作品を知っているとか、そういう人物とは違う。しかし、共に働いた人々からは多くの影響を受けた。例えば、ピーター・ウィアー(『トルーマンショー』、『ウェイバック』でハリスを監督)などだ。彼は、映画作りでは、どんな些細なことにも関わっていた。シャツのボタンから、誰かのアイシャドーまで、ディテールにとても厳しい。俺は強いビジョンを持った監督と仕事をするのが好きだ。自分の質を高められるからだ」