December 2018

IMMORTAL SIREN

妖艶な女流画家
タマラ・ド・レンピッカ

text stuart husband

『四人の娼婦群像』(1925年)。

忘れられた画家が受けた再評価 1939年、夫妻は戦火から逃れるべく、米国へ長期休暇に旅立った。映画監督のキング・ヴィダーがかつて暮らしたビバリーヒルズの家を借り、画廊での展覧会を企画したり、ハリウッドスターと親交を深めたりと東奔西走した結果、米国でも人気を得た。しかし戦後、抽象的表現主義が出現すると、彼女の画風は時代遅れとなった。ニューヨークでの展覧会は不評に終わり、60年代初めにクフナー男爵が亡くなると、彼女は俗世間から遠ざかるようになる。その後、1970年代に再評価されるようになるが、1980年に彼女はメキシコの自宅で息を引き取った。

 その遺灰はポポカテペトル火山に撒かれた。同時代の芸術家の中でも、ひときわ熱量のある作品を生み出した彼女にはふさわしい結末であろう。

 それから数十年が過ぎた今日でも、レンピッカの絵画は世界中で人気だ。2009年にオークションにかけられた『マダムMの肖像』は、600万米ドル超で落札され、大回顧展は「Tamara de Lempicka:Art Deco Icon(アール・デコのアイコン)」と題された。もし彼女がこの称号を目にしたら、当然だと言わんばかりに冷ややかな笑みを浮かべただろう。かつて彼女は自身を、「明瞭に描いた初めての女性」と断言した。「それが成功の基盤だった。たとえ100枚の絵があっても、私の作品はひと際目立つのよ」。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 25
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