BRAVO L’AVVOCATO
イタリアで最もスタイリッシュだった男、ジャンニ・アニェッリ伝
February 2025
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Gianni Agnelli / ジャンニ・アニェッリ1921年トリノ生まれ、2003年没。フィアット元会長。在職中はアルファロメオ、フェラーリ、マセラティなどを次々と傘下に収め、フィアットを一大企業グループへと育て上げた立役者である。イタリア一の洒落者ともいわれ、本誌の名前である“THE RAKE”の由来ともなった人物である。
「レイク・オブ・リヴィエラ(リヴィエラの道楽者)」の愛称を持つジャンニ・アニェッリは本誌THE RAKEのコンセプトを体現する究極の存在であり、このニックネームが、本誌タイトルの由来にもなっている。
貴族の血を引き、知性と卓越したビジネスセンスを備え、国際的な名声を博し、母国イタリアの国民的ヒーローとして敬愛された男、アニェッリは人生を楽しむ達人としても知られていた。
すぐれた審美眼を持つ粋人、プレイボーイ、そして美術品やスポーツカー、美女を愛する男であり、何よりも本誌のテーマにふさわしく、地球上でもっともエレガント、かつスタイリッシュな男性の一人だった。
昨今、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような大物に憧れるビジネスマンや慈善家は多いが、彼らのパーソナル・スタイルを見習おうとする者はほとんどいない。だがアニェッリは成功した実業家でありながら、ファッショニスタのお手本でもあった。
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執務室にてポーズするジャンニ・アニェッリと1996年にフィアットの社長に就任した大物経済人、チェーザレ・ロミーティ。彼はフィアット社の大株主でもあった。
イタリアの影の帝王 一時はイタリア証券取引所に上場している企業の4分の1を手中におさめ、推定30億~50億米ドルもの資産を遺したアニェッリの事業手腕は疑う余地がない。特に、彼の交渉術や政治力は、今も語り草になっている。アニェッリは祖父が創業した同族企業、フィアットの会長として同社をヨーロッパ有数の自動車メーカー、イタリア屈指の大企業に育て上げた。
フィアットの成功はイタリアの歴代政権に対する彼の影響力によるところが少なくない。「イタリアの影の帝王」アニェッリは巨大な利権を確保し、主要国道の整備や公共交通機関の縮小、安価な日本車の輸入規制といった政策の決定を後押しすることで、フィアットが成長するために最適な環境を整えた。
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何にでも果敢にチャレンジしたアニェッリは、ヘリスキーの先駆者であったことでも知られている。イタリアの有名なスキーリゾート、セストリエーレのそばにて。1967年撮影。PHOTO:GETTY IMAGES
華麗なる私生活 もっとも、彼の影響力は政界のエリートや社会の上層部にとどまらなかった。万人に愛されるヒーロー、アニェッリのプレイボーイぶり(アニタ・エクバーグやリタ・ヘイワースといった世紀の美女たちと浮名を流した)や贅沢なライフスタイルは、むしろ彼の評判を高め、イタリア男が理想とするスタイリッシュで、裕福なライフスタイルとして、憧れの的になった。
こうした魅力によって一般大衆の心をつかんだ彼は、労働争議を何度も鎮め、世論を味方につけて、フィアットに対する政府の特別待遇は、結果として国の利益につながると国民を納得させた。その一方で、フィアットは大手紙のラ・スタンパとコリエーレ・デラ・セラを傘下に収め、アニェッリはイタリアのメディアで大きな発言権を確保した。
ファッション界での影響力 最盛期のアニェッリはまず間違いなく、イタリア最強の男だった。彼は2003年に81歳で亡くなったが、いまだにとてつもない影響力を持っており、ことにファッション界で人気が高い。
イタリアらしい「ベッラ・フィグーラ」(かっこよさ)の真髄ともいえるアニェッリの洒脱なスタイルは、今もイタリアをはじめとする国々でよく真似されている。1967年に『LIFE』誌で「極上のテーラード・スーツに身を包んだジュリアス・シーザーの再来」と評されたように、アニェッリのワードローブの中心となるのは、最高の生地を使った上質なビスポークスーツの数々だ。
ローマのカラチェニが仕立てた、クラシカルなスタイルのスーツを、彼は抜群のセンスで着こなした。しかも、アニェッリの型破りでさりげないアクセサリー使いはこうしたスーツに驚くほど映える。「神は細部に宿る」というが、確かにこのカリスマは、ディテールへのこだわりで名を上げた。
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辣腕ビジネスマンだった彼が、最も愛したのは美しい女性たちであった。「私は人生を彩る美しいものすべてを心から愛した。なかでも、美女ほど美しいものはない」。
“外し技”のキング「アッヴォカート」(“弁護士”の意、彼が法学部を出ているため)という愛称で知られるアニェッリにとって、ファッションのルールは破るためにあった。「スプレッツァトゥーラ」――あえて“外す”ことで“抜け感”を演出するアニェッリの着こなしは、それまでの常識を塗り替え、男性のエレガンスのあり方を変えた。
彼は、アメリカでまとめ買いしたブルックス ブラザーズのオックスフォード製のボタンダウン・シャツを、襟のボタンを留めずに着て、あたかもネクタイを結んだ後に、留め忘れたように装ったものだ。
ネクタイもわざと斜めにつけ、ノットを真ん中からずらすことが多かった。ネクタイを生かした巧みなコーディネイトはこれだけではない。彼はウールのセーターにも、よくネクタイを合わせていた。
ファッションの先駆者 アニェッリはフィアット、フェラーリ、マセラティの経営者にふさわしく、心からクルマを愛した(伝説のF1レーサー、ニキ・ラウダはアニェッリと同乗したドライブが、人生で「もっとも強烈な体験」だったと語ったらしい)。
今では一般的になったが、トッズのゴンミーニのような、スポーティなドライビング・シューズをスーツに合わせたのも彼が先駆けだったし、武骨なハイカットのハイキングブーツをエレガントなアンサンブルにコーディネイトすることも多かった。
シャツのカフスの上に時計をつけるのも、アニェッリ独特のスタイルである。彼は金属アレルギーのせいだと言っていたようだが、この理由は信憑性が高い。なぜなら、アニェッリが巨万の富を持っていることは周知の事実で、高級時計を、これ見よがしにひけらかす必要はなかったからだ。
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左:生涯スポーツマンにして、ヨットマンだったアニェッリは、自らのヨット、カプリシアの操船を楽しんだ。1975年撮影。右:ジャンニ・アニェッリはおしゃれを楽しんでいたが、常に本気だった。この写真では、シャツの袖の上に時計をしているが、これは彼のトレードマークともいえるスタイルだ。ちなみに時計はパテック フィリップのワールド タイムである。
こうしたゴージャスな装いは嫌味になりやすいものだが、アニェッリの場合は逆で、いまやエレガントな男性のスタイルの定番になっている。それも、アニェッリの卓越したファッション・センスの賜物といえるだろう。
もちろん、アニェッリにも多少の欠点はあった。経営手法はもとより、夫や父親としての義務を果たすうえで、批判にさらされたこともある。
だがスタイルに関しては非の打ち所がない。ジャンニ・アニェッリは最高のファッショニスタだ。そのスタイル精神は、今でも本誌の企画の根底を成しているのだ。ブラヴォー、アッヴォカート!