シューシャイナーを「イケてる職業」にした
長谷川裕也さん
Wednesday, March 25th, 2020
長谷川裕也さん
ブリフトアッシュ代表取締役
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
シューシャインの第一人者、ブリフトアッシュの長谷川裕也さんのご登場です。南青山・骨董通り沿いにあるお店は、ウッドやレザーが多用された、アンティーク調の素敵な空間です。
「こんにちは!」と笑顔で迎えてくれた長谷川さん。ふと私の持っていたカバンに注目すると・・
「これは、珍しいカバンですね。なるほど、ギルドの山口(千尋)さんが作られたのですか? 素材は靴底の革? なんとも味がありますねぇ。しかしちょっと傷んでしまっている部分がある・・」
そう言うと、やおらクリームを取り出し、素手の指につけ、しこしこと磨き始めたではありませんか!
「こうやってクリームを入れてやると、艶が出てきますね。ほら、消えかけていた、ギルドのロゴマークも浮かび上がってきましたよ。なんだかカバンが笑っているようですね!」
嬉しそうに私のカバンを眺める長谷川さんを見て「なるほどこの方は、本当に“磨く”ことが好きなのだなぁ」と感心した次第です。
(ちなみに、ブリフトアッシュのオリジナル靴クリーム“THE CREAM”は、現状、間違いなく、世界一の靴クリームです。某化粧品会社と共同開発したそうで、私もひとつ買わせて頂きましたが、その感触はまるで人が使うハンドクリームのよう)
その昔・・、1955年(昭和30年)、戦後の歌姫、宮城まり子さんが、『ガード下の靴みがき』という曲をヒットさせました。その歌詞には、
♫街にゃネオンの花が咲く
俺ら貧しい靴みがき
ああ夜になっても帰れない〜♫
とあります。昭和の時代は、靴磨きは貧しさの象徴だったのですね。ところが時代は、平成〜令和と移り変わり、今やシューシャイナーは、“イケてる職業”ナンバーワンとなりました。そのパイオニアとなったのが、長谷川さんです。
彼の着こなしを列挙すると・・
スーツは、サルトリア・イコア。若手サルトの石津健太さんが手がけるブランドです。
「ピロッティのところで修業されていた方です。ナポリっぽい感じがいいですね。私はO脚でロングホーズを履くので、膝下まで裏地が付いています」
ニットタイは、ブリフトアッシュとセブンフォールドのダブルネーム。背が低い人にも対応できるよう、全長を148cmとやや短く仕上げてあります。
「あくまでも私見ですが、靴好きには、小柄な人が多いと思います。逆に大柄な人は、靴が汚れやすい。きっといろいろなところに、ぶつけやすいのではないでしょうか?」
シャツは、大阪の名店、レスレストン。
「手首が擦り切れて、スレスレトンになってしまいました(笑)」
メガネはモスコット。
「ジョニー・デップが好きなので」
リングは、ナバホ族のトップジュエラー、パット・ベドニー。
カフスは、古いチャーチ。
アンティークの時計は、ヒューセルというベルギーのジュエラーのオリジナルで、1950年代のものだとか。
「靴磨きという職業上、手もとには気を遣っているのです。少しでも動きが美しく見えるように・・」
そしてシューズは、マーキス。以前このブログにもご登場頂いた、川口昭司さんのお手製です。
「2017年にロンドンのシューシャイン大会で、世界一になったときに履いていたのがこの靴です。それ以来、大事なところでは、必ずこれを着用しています」
長谷川さんが、靴磨きを始めたきっかけは、“ふとしたこと”でした。そして金銭的な必要にも迫られていました。
「20歳のある日、気がついたら、全財産が2000円くらいしかありませんでした(笑)。そこでふと思い立って、靴磨きをすることにしたのです。100円ショップで靴磨きセットと風呂用のイス、タオルを買って、東京駅の前でお客さんを待ちました。そうしたら初日だけで7000円稼げた。当時日雇いアルバイトの日給が7000〜1万円くらいでしたから、これは嬉しかったですね。それにお客さんの靴を磨くことが、単純におもしろかったのです」
こういう“ふとしたきっかけ”が、人生を左右しますよね。かくいう私も、雑誌編集者になる1週間前までは、まさか自分が雑誌の編集をやるとは、夢にも思っていませんでした。
その後、アパレルに務める傍ら、週末の靴磨きは続け、その評判は次第に知れ渡っていきます。いつしか長谷川さんの前には、長い行列ができるまでになりました。しかし、場所の問題で警察とモメることも増えていました。
「そんな時に出会ったあるマーケティング会社の社長の方に、私のシューシャインを見てもらう機会がありました。ここぞ!とばかりにカッコつけて磨いたら、一言『ダサいね・・』とつぶやかれたのです。『小さい椅子に座っているのがダサい。同じ視線で磨くことはできないのか?』と言われました。ショックでしたね・・。しかし、ここでひらめいたのです。だったら、徹底的にカッコよくやろうと」
スーツを着てネクタイを締め、まるでバーテンダーのようにカウンターに立ち、お客さんと話をしながら磨くスタイルは、こうして確立されたのです。
「2008年、24歳のときに路上を止め、この店を開きました。お金がなかったので、店内はすべて手作りです。その棚は1500円、このイスは400円。すべてヤフオクです(笑)」
お洒落に見えたインテリアは、センスと工夫の賜物だったのですね。
「最初は路上で知り合った人たちが、店にも来てくれていました。しかし、諸々のコストを考えると、どうしても値上げせざると得なかった。そこで1500円→2500円→2800円と、徐々に価格を改定させてもらいました。今では一足4000円(預かりだと3000円)、自分自身が磨く場合は6000円頂いています。高いとおっしゃる方もいますが、私は技術職の“相場”だと思っています。美容師やマッサージ師などは、大体10分1000円なのです」
その言葉に、自らの仕事に対する強い自負と、パイオニアとしての勇気を感じました。正当な報酬が得られてこそ、業界の未来も生まれる。
彼に続こうとする若者は多く、今では10人の職人を抱えるまでになり、1月には虎ノ門ヒルズに新店もオープンさせました。
「『弟子にしてください!』という若い人も、多いですね。嬉しいことです。目の前で靴磨きをして、お客様の喜ぶ顔を見る。その楽しさを、後進にも伝えていきたいのです」
シューシャインの世界は、これからも、長谷川裕也さんを中心に回っていきそうです。
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