From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

まさに不死鳥のような生き様
鎌田一生さん

Wednesday, July 10th, 2019

鎌田一生さん

ミスターフェニーチェ、ヴォランテ クリエイティブ・ディレクター

text kentaro matsuo  photography tatsuya ozawa

 オーダーメイドを中心に、広く洒落者たちの支持を集めるミスターフェニーチェのクリエイティブ・ディレクター、鎌田一生さんのご登場です。他に、ヴォランテというアクセサリーブランドなども手がけられています。

 

フェニーチェというのはイタリア語で“フェニックス(不死鳥)”という意味。その名の通り、鎌田さんの半生は、まさに不死鳥のような生き様です。

20歳で東京に出てきてから、マルセル、ポール・スミス、ライカと渡り歩き、33歳で独立すると、原宿にカフェ・ヴァジーをオープン。ここから快進撃が始まります。

「折からのオープンカフェ・ブームもあり、店は大繁盛しました。それからアパレルにも手を広げ、イタリアからパトリツィア ペペをインポートしたら、藤原紀香さんらが着てくれて、これも大ヒットでした」

 

次にメンズのストリート系のショップ“スタイル・コンセプト”をスタートさせます。

「マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドの“セディショナリーズ”や、90年代のエルメスのダッフルコートなどを仕入れて売ったら、飛ぶように売れました」

カフェブームが去ると、“イ・バンビーノ”というイタリア・レストランに業態変更し、これも大当たり。40代前半になる頃には、大手アパレルやデパートと組んで、数々のプライベート・ブランドをプロデュース。それらのすべてが上手くいったそうです。

「夜、適当にデザインしたTシャツが、数千枚も売れるのです。こんなに楽しいことはないと思いました。ユニクロの社長の気持ちがわかりましたね(笑)」

 

47歳のときに会社をクローズし、数億円の退職金を得たそうです。アストン マーティンやランボルギーニを乗り回す日々でした。

 しかしここからが地獄でした。

「今度はオリジナルのレディス・ブランドを始めたのです。心の中では『オレが負けるわけがない』と思っていました。しかし私は、レディスは素人だったのです。結果は全然ダメでした。あっという間にお金がなくなり、持っていたクルマも時計も、すべて手放しました」

最後には一文無しになり、生まれ故郷の札幌へ舞い戻ることになったのです。

「札幌では、日雇いのような仕事をしていました。作業服を着て、非常階段を作ったり・・。もう二度と洋服の世界へは戻りたいと思わず、自分のクローゼットを開ける勇気すらありませんでした」

 

しかしファッションへの思いは再び募り、自分がやりたいことをノートに付け始めたそうです。そこまで立ち直るのに、2年はかかったといいます。

「とにかくお金がないから、店舗も持てず、仕入れもできなかった。これはオーダーしかないと思いました。そこで自分のスーツを自分で着て、営業に出掛けました。飲み屋やレストランで、知らない人に『スーツを作りませんか?』と声をかけて回ったのです。『もう人間、なんでもできる』と腹を括っていたのです」

 

ここで運命の女神は、再び鎌田さんに微笑みます。

「そうしたら、本当に作ってくれる人がいたのです。それも何人も。当時のお客さんで、今でも買い続けて下さる方がいます。本当に有り難い。そしてこうして東京へ戻ってこられたのです」

まさにフェニーチェ・・不死鳥のような方です。

スーツは、もちろんミスターフェニーチェ。ノーベントでボタン位置が低く、フラップなし。いつまでも着られるスーツがコンセプトです。

「嬉しいのは、ダルクオーレやリヴェラーノなどで買っているお客様も、当店のスーツを買って下さることです」

 

タイはアット・ヴァンヌッチ、シャツはフィレンツェのタイ・ユア・タイ。代表の加賀健二さんとは盟友だとか。

 

時計はオーデマ ピゲのロイヤルオーク デュアルタイム。

ブレスレットは、鎌田さんが手がけるもうひとつのブランド、ヴォランテです。

「ヴォランテとは“希望のハンドル”を意味します。レーサーにして希代の洒落者だった福澤幸雄氏に捧げたブランドです。かつてのレーサーは、本当に生死をかけた仕事だったので、事故に遭ったときすぐにわかるように、血液型などが書かれたIDブレスを着けていました。福澤氏はこれをホワイド・ゴールドで作り、レース以外のときも常に着用していたのです」

先日このブログで紹介したスタイリスト、小川カズさんもこれを着けていましたね。また堺正章さんも愛用されているそうです。

 

シューズは、スピーゴラのビスポーク。自らの好みに合わせて、ややラウンドさせたトゥが特徴です。

まさにお洒落とビジネスの天才ともいえる鎌田さんですが、その血はお父様譲りのよう。

「私が福澤幸雄氏を好きになったのは、間違いなく父の影響です。父は趣味でレースをやっており、サーキットでベレットGTRやスカイラインGT-Rを運転していました。当時小学生だった私は、サーキットにもよく連れて行ってもらいました。父が経営していたカフェには、当時のレース仲間が集まっていました。皆ちょっと不良っぽいというか・・当時のレーサーたちは、カッコよかったんですよ。父の部屋のなかで福澤氏の写真集を見つけたのもその頃でした」

 

お父様は、服道楽でもあったとか。

「いつもテイジンメンズショップで服を買ってもらっていました。いわゆるアイビースタイルです。小学生の頃、ドンキーコートやスイングトップを着て街を歩いていたら、近所の中学生に『生意気だ』とからまれたこともありました(笑)」

 

そんなお父様は80歳を超えた今もお元気で、河合正人さんと大川直人さんが出版した写真集『JAPANESE DANDY』には、親子揃ってご出演されています。写真のなかのお父様は、鎌田さんに負けず劣らずのダンディーぶり。鎌田さんの肩にそっと置かれた父の手が、人生を生き抜く息子への深い愛情を表しているようです。

 

 

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