”ボンボン”に生まれ、ダンディズムを貫く
Kaoru “Tony” Komoriさん
Wednesday, January 10th, 2018
Kaoru “Tony” Komoriさん
エッセイスト
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
“トニーさん”こと、小森薫さんのご登場です。ファッション業界では、ずいぶんと前から、皆トニーさんのことを知っていましたが、それは「お洒落だから」という単純な理由からで、実際に彼がどういう出自で、どんな人生を歩んで来たのかを知る人は、あまりいませんでした。いわばかつての英国のダンディ、ボー・ブランメルのような存在で、お洒落であるがゆえだけに有名になった、ミステリアスな人でした。
しかし、2102年に自らの半生を語ったエッセイ『Tonyさんの優雅な生活』を上梓されたことで、その背景が明らかになりました。
タネ明かしをしてしまうと、トニーさんは、丸大食品創業者兄弟、故・小森達雄さんのご長男です。達雄さんは、一代で一部上場企業を立ち上げたことのみならず、希代の洒落者としても知られていました。
「オヤジはものすごくお洒落な人やった。死んだあと、ワードローブを整理したら、タキシードが6着、一度も穿いていないズボンが20本もありました。しかも背が高くてハンサムで、女性にもめちゃくちゃモテた。どのくらいモテたかというと、彼が商売を始める時に、『お商売には、資金がお要りでしょう』というメモを添えて、店に札束を投げ込んだ女性がいたくらい(笑)。北新地を歩くと、5メートルもいかないうちに、『キャーッ』と女性が寄って来て、動けなくなるくらいやったんや」
達雄さんの写真が、トニーさんの本に掲載されているので、興味のある方は、ぜひ御覧下さい。
「オヤジは一人息子ということもあって、僕のことを溺愛してくれてね。ねだれば何でも買ってくれた。しかも期待以上にね。60年代にフランスへ行ったときは、『お前の好きな、剣道の防具入れみたいなカバンがあったから』という理由で、当時誰も知らなかったルイ・ヴィトンのバッグを34個も買ってきてくれたんや」
というから、その他のことも、推して知るべしです。
トニーさんは、「ホンマに、お坊ちゃんやったわ。神戸のボンボンが、そのままオジンになったのが私です」と衒いなく言える、希有な人です。
スーツは神戸の名店、コルウで作ったもの。
「オヤジが1970年代くらいに着ていたモノを再現する、というのがテーマ。ハリソンズのクリュクラッセという生地を使って作った。珍しく昔風のピンドットが見つかったのでね。70年代風に広めのラペルで、肩もちょっとコンケーブさせたんや」
帽子は大阪・天王寺の西川文二郎さんが作ったもの。リボンのピンドットがスーツとコーディネイトされています。
「足し算のファッションが好き。いまの世の中、みんな『お洒落は、引き算』というけど、あえてモノを重ねる主義。その面白さを伝えたいんや」
帽子に差してあるフラワーピンは、本物のバラを加工して作ったもの。
ブレスレットとラペルピンは、真珠を使ってオーダーしたもの。
「ブレスはタヒチの黒真珠。キズ物を合わせて作ったモノなので、色がバラバラなんやけど、そこが面白いな」
ブルートパーズ×ゴールド製の指輪は、「オヤジの別荘があった」サンフランシスコで買ったもの。
シャツはオリアン、やはりピンドットのスカーフについては「ブランドは忘れた。だいぶん前からしている」と。
メガネは白山眼鏡店のチタン製。ウォレットチェーンは、ストラスブルゴ。
時計はジャガー・ルクルトのレベルソ・デュオですが、時計に関しても豪快なエピソードがあります。
「1970年にスイスで、ロレックス・デイトナ・ポールニューマン・エキゾチックダイヤルを6万円で買った。リーマンショックのあとに専門店に持っていったら、なんと600万円で売れた。100倍やね(笑)。その金を時計屋に持っていって、札束を積み上げて、新品の時計を4本買うたんや」
それらは、黒と白のデイトナ2本、オーデマ ピゲのロイヤル オーク、ゴールドのレベルソだったそうです。
「4人いる甥っ子に、全部あげてしまった。彼らが約束した何かやり遂げた時にね。例えば甥っ子の一人は、『タバコを止めたら、デイトナをやる』といったら、本当に止めたよ(笑)」
はい、私もデイトナをもらえるなら、即タバコを止めます。
クロコダイルのベルトは、香港のマンダリンのアーケ―ドにあるお店でオーダーしたもの。
ブーツは香港の名店、タッセルズで買った、エドワード・グリーン。
実はトニーさんはマスコミ嫌いで、メディアに露出しないことでも有名です。また、服飾評論家や蘊蓄を疎み、本物の経験から来るお洒落を説く人としても知られています。ですから今回、私のブログに出て頂けたのは、ちょっとした“奇跡”だったのです。
しかし、お会いして、じっくりとお話を拝聴して、その印象=“人としての手触り”は、誰かに似ていることに気付きました。こんなことを申し上げると怒られてしまうかも知れませんが、それは故・落合正勝さんです。蘊蓄の帝王として祭り上げられた落合さんは、実は蘊蓄が大嫌いで、自らが服飾評論家といわれることを毛嫌いしていました。
お二人の共通点は、“人に迎合せず、自らの信念を貫き通す”というところです。これこそがダンディズムの真髄であり、今の世の中では、非常に難しいことゆえに、輝きを放つ生き方なのです。