彼の靴を作りに来日する外国人多し
福田洋平さん
Sunday, June 25th, 2017
福田洋平さん
シューメーカー
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
靴職人の福田洋平さんのご登場です。今や、日本を代表する靴職人の一人と言えるでしょう。北青山にあるショップには、世界中から人が訪れます。顧客の半数以上が外国人だそうです。
「フランスとアメリカ、そしてイギリスからの方が多いですね。あとはシンガポールと香港。ブログやSNSなどで知って、来られるようです」
なるほど、こういう話を聞いていると、雑誌屋としては「時代は変わったなぁ」と思います。
「先日、ロンドンでスーパートランクショーという催しがあって、各国の職人たちが集まったのですが、外国人が皆、口を揃えて『日本のモノは世界一だ』と言ってくれました。これは嬉しかったですね」
そうです。今や日本は職人大国です。大勢のリッチな外国人たちが、日本へスーツや靴を作りにやって来ます。日本人は手先が器用でマジメなので、英国やイタリアで学んだ技術に磨きをかけ、本家よりさらにいいモノを作ってしまうのですね。
福田さんも、
「どうがんばっても1カ月に7足が限度なのですが、注文はそれ以上に入ります。納期がどんどん伸びてしまって、申し訳ない」
と嬉しい悲鳴を上げています。
スーツは、近藤卓也さん率いるヴィックテーラーで、8年ほど前に作ったもの。
「ヴィックテーラーでは、もう5着ほど作りました。トレンドを追わず、いい意味で普通な服作りをされているところが好きなのです。今日はスーツですが、普段はジャケットスタイルが多いですね。ボウズにヒゲでスーツだと、初めて会う人に怖がられてしまうので(笑)」
あ、私もスーツを着ていると、いつもその筋の人に間違えられます。
シャツは、水落卓宏さんのディトーズでオーダーしたもの。
「シャツって一番ビスポークのメリットが、わかりやすいものだと思います。既製品のシャツは、どこかが合っていると、どこかが合わないでしょう?」
タイはドレイクス。
「実はドレイクス当主のマイケル・ヒルさんにも靴を作らせてもらい、東京に来ると必ず寄ってくれるのです。その際ドレイクスのタイを、2本ずつお土産に持って来てくれるんです」
シューズはもちろん、ヨウヘイ・フクダ。ヘリテージ・コレクションの“セレスト”というモデルです。さすがに美しいですね。
「私の靴の特徴は、英国の第一次大戦前の靴をモチーフにしているところでしょう。今では英国靴というとエドワード・グリーンの202のような、ぽってりとしたラストを思い浮かべる方が多いと思いますが、それは第一次大戦が始まって、靴の大量生産が必要になってからです。それ以前のエドワーディアン時代(エドワード7世在位時代=1901~1910年)は、スマートなスクエアトゥが主流でした。私はこの時代が、靴作りにおける、ひとつの頂点だと思っています。数えきれないほどの職人たちが工房を構え、互いに腕を競っていたのです」
福田さんが靴職人になるきっかけも、この時代に作られた一足の靴だったそうです。
「英国ノーザンプトンの靴博物館で見た、一足の黒いストレートチップに目が釘付けになりました。『人って、こんなに綺麗なものを作れるんだ』と感動したのです。その瞬間に靴職人になることを決心しました。その靴は今でも、たまに見に行くんですよ。作り手は“アンノウン(わからない)”となっていますが」
そして作った渾身のサンプルは、英国で当時通っていた靴学校の先生を驚嘆させ、「お前はこの道を行くべきだ」と言わしめたほど。その実力が認められ、本場の一流処クレバリーやグリーンのビスポークのアウトワーカーなどを務めました。6年後に帰国して、中野に工房を構えます。しかしそのスタートは、決して順風満帆ではなかったようです。
「最初の工房は中野・鷺宮の自宅アパートの一室で、4畳半しかありませんでした。そこで接客をし、靴を作っていました。でも、ぜんぜん注文がないので、一日中寝ていることもありました(笑)」
しかし、いいモノを作っていれば、必ず評価してくれる人はいるもの。ビジューワタナベという時計店の店頭にサンプルが置かれたことがきっかけで、評判が評判を呼び、前述のような大盛況へと至ったわけです。
さて、ここでオマケ話をすると、福田さんは決して、若い頃から本格靴職人を目指していたワケではなかったそうです。そこにはいろいろな運命のイタズラがあったようで・・・この話は面白いので、もし行かれる機会があったら、採寸の際に突っ込んでみて下さいね!
Yohei Fukuda
Mater Styling ¥280,000〜
Bespoke ¥430,000〜
東京都北青山2-12-27 BAL青山2F
Tel.03-6804-6979