From Kentaro Matsuo

THE RAKE JAPAN 編集長、松尾健太郎が取材した、ベスト・ドレッサーたちの肖像。”お洒落な男”とは何か、を追求しています!

「ちょっと特別な人たち」の中心
岡田大貳さん

Thursday, June 25th, 2015

岡田大貳さん

 

ダイニズテーブル オーナー/ZIG代表取締役

interview kentaro matsuo photography tatsuya ozawa

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今年開店35周年を迎えたモダンチャイニーズの草分け、ダイニズテーブルには、今でも「東京の、ちょっと特別な人たち」が集まっています。華やかなモデルたちのグループの横では、上品な白髪のマダム(推定所得は私の千倍くらい)が談笑していたりします。

 

そのオーナー、岡田大貳さんといえば、私のような世代には、一種“レジェンド”のような存在です。伝説のクラブ、キャステルを皮切りに、ザ・ビー、ダイニズテーブル、ブラッスリーDなど、東京を代表する名店をプロデュースしてきた方だからです。なかでも、千駄ヶ谷にあったクラブDはその白眉で、当時のDは、まるで東京中のお洒落な人たちが、一カ所に集まったような活況を呈していました。

 

当時の私はまだ学生で、恐る恐るという感じでDを訪れ、肩をすぼめながら周りを見回している小僧でした。クラブDの“D”は大貳のDだということは知っていました。岡田さんはいつも華やかなファッション・ピープルに取り巻かれていて、皆から「大ちゃん、大ちゃん」と慕われており、近づくことなど、とても出来ないオーラを放っていました。その姿を遠くから見つめ、「あれが、岡田大貳さんなんだぁ〜」と、目を丸くしていたことを覚えています。

 

昔もカッコよかったですが、現在も、ますますカッコいいですね。

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スーツはキートン。「随分前に安く譲ってもらったもの」とのこと。

「客商売ですから、毎日スーツかジャケットを着ています。ストライプ模様のダブルが多いですね。ネクタイも必ず締めています」とはさすがです。

 

シャツはK’S PAPA。青山にあるオーダーシャツのお店です。

「以前はルイジ・ボレッリもよく着たのですが、今はここでオーダーしたものばかりです。色はほとんど白ですね。ちょっとドビー調の生地で、台襟高め、ダブルカフスのモデル。襟の形も決まっています。同じシャツは10枚ばかり持っていて、毎日着ています。昔はストライプのシャツも着ていましたが、もう面倒くさくなってしまって(笑)」

 

タイは、ユナイテッドアローズで買ったイタリア製。ブランドは?です。

「夏はニットタイが多いです。派手な色のタイは、決してしません」

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ゴールドのチェーンカフスは結婚を祝して友人方がプレゼントしてくれた大切な品で、ホアキン・ベラオ本人が作ってくれたものだそう。

 

靴はベルルッティの“アンディ”で、青山ツインタワーのお店が出来たばかりのときに購入したもの。パティーヌ調のモデルではなく、ブラックというところがお洒落です。他にはジョン ロブもよく履かれるとか。

 

「装いに関してはオーソドックスな形と色を心がけています。そして『お店に出る』ということを意識しています。ほぼ毎日、ダイニズテーブルに顔を出して、来て頂いているお客様に挨拶をするので」

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岡田さんがここまでお洒落になったのは、お父様の影響が大きかったようです。彼は宝塚や東宝などに所属された演出家で、有名ナイトクラブ赤坂ミカドなども手がけられていました。

「父はとてもお洒落な人で、フランスのAdamというメンズ・マガジンを購読していました。私は暁星、上智でフランス語を齧っていたので、よく辞書を片手にそれらの雑誌を読んでいました。ピエール・カルダンをはじめ、そこで紹介されていた人たちは、本当に素敵でした。」

 

神田や横浜の店に行って靴や洋服を漁る傍ら、レストラン巡りも欠かしませんでした。

「当時はなぜかピザ屋がカッコよかった。シシリア、アントニオ、ニコラスといった店によく行きました。そしてピザだけではなくて、酒もよく飲んだ。初めてドライマティーニなるものを飲んだのは、六本木ニコラスでしたね」

 

1969年に渡仏。本場の食文化に触れ、目から鱗の体験をします。

「お金を貯めて、たった一人でスーツを着て、ラセール、マキシム、トゥールダルジャンといった名店を廻りました。なかでもキャステルというプライベートクラブには驚きました。1階がバー、2階がレストランで、地下がディスコ。皆夜の10時くらいからディナーを始めて、その後地下へ行く。ジャンヌ・モローやロベール・オッセンといった有名人が毎晩のように集まっていて、それは華やかでした。当時の東京には、どこを探してもそんな店はありませんでした」

その後、岡田さん本人が、東京にキャステルの支店を開くことになったのは、前述の通りです。

 

「パリ時代は、ロンドンにもよく出かけていました。特にMR CHOWという中華料理店には、影響を受けました。モデルのティナ・ラッツのご主人でもあった、マイケル・チャウの店で、中華なのに、真っ白なテーブルクロスが引いてあって、シルバーの食器と赤白のワイングラスがセットしてあった。コックは中国人で、ウェイターはイタリア人、受付にはキレイな英国人の女の子たちがいた。実はダイニズテーブルのコンセプトは、その店を手本としているのです」

 

今でこそ、エントランスの前にトイレを設けていたり(女性は着席する前に、化粧を直したいであろうから、という配慮より)、内装をクロス張りにしたりすることは当たり前ですが、そういったことは、すべて欧州帰りの岡田さんが、初めて日本に持ち込んだものなのです。

 

今春35周年を迎え、ダイニズテーブルはメニューの大刷新をし、“フレンチの料理人が考案する中華料理”というコンセプトに挑戦し始めたそうです。岡田さんの出自をお聞きするに連れ、今回のメニューコンセプトのリブランドによって、改めてその原点に立ち返られたような気がするのです。