FROM FATHER TO SON

LIVERANO & LIVERANOの新たな世界

December 2021

text yuko fujita

photography rony cadavid, filippo ciccone

 

 

Antonio Liverano/アントニオ・リヴェラーノ

1937年、プーリア州パラジアーノ生まれ。7歳で仕立ての見習い仕事に就いた。48年に11歳年の離れた兄ルイージがフィレンツェに渡って工房を構えたのを機にフィレンツェに移り住む。78年、フィレンツェのフォッシ通りにリヴェラーノ&リヴェラーノをオープン。

 

 

 

 フランキを筆頭に、ディ プレータ、グロッシ、マルタリアーティ、スペチアーレなど、かつてのフィレンツェには素晴らしい仕立ての腕で名を馳せたサルトがひしめいていたが、彼らに後継者はなく、皆仕方なしに工房を閉めた。英国のテーラーが企業として今日までその歴史を受け継いできたのに対し、イタリアのサルトリアはフィレンツェも含めてほとんどが家内制手工業ということもあり、どんなに凄腕であっても、後継者がいない多くのサルトリアはマエストロの引退を機に工房を閉めることを余儀なくされてきた。最近では2015年に工房を閉めたジョヴァンニ・マイアーノがそうだった。が、リヴェラーノ&リヴェラーノは安泰だ。84歳となったアントニオ・リヴェラーノには、“タカ”と13名の弟子という立派な後継者がいるからだ。アントニオはタカに、リヴェラーノ&リヴェラーノというフィレンツェの偉大な“ 文化”を20年近く日々接するなかで、ごく自然に伝えてきたのだ。

 

 

 

アルノ川とポンテ・ヴェッキオ。美しい風景は、リヴェラーノ&リヴェラーノの色彩の源だ。©Filippo Ciccone

 

 

 

 アントニオ・リヴェラーノは、1937年、南イタリア・プーリア州のターラント近郊パラジアーノに、6人兄弟の4番目として生まれた。11歳離れた兄ルイージがサルトの道を歩んでいたこともあって、7歳からサルトの道に入った。アントニオが11歳のときに兄がフィレンツェに渡って工房を構えたのを機に、同時期に兄を追ってフィレンツェに移った。店を構えたのはずっとあと、1978年。世界中の洒落者たちを魅了するリヴェラーノ&リヴェラーノの伝説は、そこから始まった。

 

 フィレンツェスタイルの服は、英国のフレデリック・ショルティがフィレンツェの革新的な仕立て屋の手に渡り、それに手を加えた模倣をきっかけに1900年代初頭の最初の20年間に形成されていったといわれている。リヴェラーノ&リヴェラーノの服は、フロントダーツを排した膨らみのある胸、高い位置に設定されたコンパクトなアームホール、わずかに外に膨らんだナチュラルでゆとりのある肩のライン、全体的に丸みを帯びたカットといった特徴を備えており、言葉だけで説明するとフィレンツェの他のサルトリアの服と変わらないが、その服は圧倒的な個性を放っている。それはサルトリアの服がちょっとした匙加減、美意識の差で、大きくその表情を変えることを如実に表している。

 

 

 

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。フィレンツェは街そのものが美術館だ。©Filippo Ciccone

 

 

ライトベージュのジャケットを着たタカの装いはまさにフィレンツェの街の色彩を彷彿とさせる。

 

 

 

 リヴェラーノ&リヴェラーノの世界は、装いも独特だ。フィレンツェの街の美しい色彩からインスピレーションを得た色彩は他のサルトリアでも多く見られる傾向だが、彼らのはときにもっと鮮やかで、それはトスカーナの海の色だったり、花の色だったり、アントニオ・リヴェラーノのより広大なインスピレーションから生まれている。四季を感じさせる色合わせのコーディネイトはより顕著である。

 

 そんなリヴェラーノ&リヴェラーノの精神を継承し、文化に根差した装いをするタカは、アントニオの意思の代弁者だ。世界中のリヴェラーノファンは今、そんなタカに大きな期待を寄せている。

 

 

ウールのシアサッカージャケットにコットンジャージーポロを合わせたタカ。

 

 

 

 

2022年春夏に始動する“Live”コレクションの第一弾。

タカが手がけた“Wine&Tailor”も先行販売!

 

 

テラコッタ色のジャケットとライトベージュのスーツはともにヘリンボーンのウール生地によるもので、マリーナ・ディ・カッラーラの自社工房で仕立てられたアントニオ・リヴェラーノのもの。シャツ&タイとの合わせに、タカ流のエレガンスが感じられる。

 

 

 

 トルティーノ ディ カルチョーフィ(アーティチョークのオムレツ)とパスタ アル ブッロ(バターがひと切れ乗っただけの究極的にシンプルなペンネ)を頬張り、ドルチェに世界一おいしいメレンゲを口に運ぶタカは、フィレンツェきっての名店トラットリア ソスタンツァでしばしば目にする光景だ。40を過ぎた最近はスリムな体型を維持するべく、昼の休み時間をジムでのトレーニングに割いているそうで(2018年末にお嬢様が生まれ、夜は忙しい)ソスタンツァはややご無沙汰とのことだが、あのクラシックな空間でアントニオ・リヴェラーノと“タカ”こと大崎貴弘氏が向かい合っているふたりのテーブルは、やはり華があって、妙なオーラを感じてしまう。フィレンツェで最も絵になる、知る人ぞ知る光景のひとつである。 タカは1979年生まれの42歳。2002年にフィレンツェに渡り、同年からリヴェラーノ&リヴェラーノでアントニオ・リヴェラーノのエレガンスを常に隣で学んできた。そして、服の装い方だけでなく、考え方、美意識、顧客との接し方なども含めて吸収し、今やリヴェラーノが全幅の信頼を置く存在へと大きく成長を遂げた。

 

 タカの華やかな装いにはタカの個性があるが、それはリヴェラーノ&リヴェラーノのスタイルに基づいたものだとタカはいう。そのスタイリングはフィレンツェ的な枯れた色彩というよりは、フォルテ デイ マルミやエルバ島など、イオニア海のヴィヴァーチェな色彩を謳歌したものだ。リヴェラーノ&リヴェラーノの色彩感覚は、そういった点ではほかのサルトリア フィオレンティーナとは明らかに一線を画すものだし、その華やかさは、アントニオがよく口にする、装うことの楽しさを大いに感じさせてくれるものである。

 

 

 

コットンジャケットとワッフルポロ、5ポケットパンツによる、ブドウ畑の色彩による着こなし。

 

 

 

 フィレンツェのリヴェラーノ&リヴェラーノは奥がサルトリアになっていて、そこではアントニオ・リヴェラーノ氏と13名の弟子たちが働いている。彼らがそこで仕立てているのは「Liverano&Liverano」のス ミズーラの服で、店頭に並んでいる既製のテーラード製品は「Antonio Liverano」レーベル。こちらはフォルテ・デイ・マルミから10kmほど北上したマリーナ・ディ・カッラーラの自社工房で仕立てられたものが中心だ。さらにカジュアルなコレクションもあって、そちらは「“Live” by Antonio Liverano」レーベルとなっているが、この“Live(リヴェ)”レーベルを、2022年春夏よりシーズン毎のテーマを設けて本格的に始動することとなった。

 

 そのリヴェのファーストコレクションのテーマは、「Wine&Tailor」。トスカーナは、ブルネッロ ディ モンタルチーノやキアンティ クラッシコ、あるいは世界に名を馳せる数々のスーパートスカーナに代表されるイタリアワインの銘醸地であり、きれいに手入れされた名ワイナリーのブドウ畑を訪れると、手間暇かけて日夜畑仕事に従事するカンティーナの人たちの“ブドウ畑愛”が自然と伝わってくる。そういった点でリヴェラーノ&リヴェラーノの仕事と共通するのではという思いから、このテーマに思い至ったという。多くのアイテムはブドウ畑での仕事着からインスピレーションを得たものだといい、「Wine&Tailor」の服からは、アントニオ・リヴェラーノの偉大なテロワールを感じずにいられない。

 

 

リネンサファリジャケットにスキッパーポロとシアサッカーショーツを合わせたタカ。

 

 

 

 2015年にアントニオ・リヴェラーノを取材したときに話してくれた言葉が今も印象深く残っている。

 

「私は自分が築き上げたサルトリアをタカに託そうと思っています。私はタカ自身でさえ気づいていなかった彼の多くの才能を引き出せました。タカは私が考えるエレガンスの本質を理解しています」

 

 そういえば、アントニオとタカが愛するトラットリア ソスタンツァは1869年の創業だ。1932年に今のポルチェッラーナ通りに移ったが、その当時から全く変わらない味を今も守り続けているといわれている。ソスタンツァはイタリア語で「本質」を意味する。そして、タカは本質の大切さを誰よりも理解しているはずだ。一方で、進化していくことの大切さもわかっている。

 

 今もサルトリアで元気に仕事をし、お弟子さんたちに仕事を教えるアントニオ・リヴェラーノが見守るなか、タカを中心とするリヴェラーノファミリーの新たなステージが、いよいよ幕を開けた。

 

 

マリーナ・ディ・カッラーラの工房で作られているウールカットソーと、定番デザインのダブルバックルグルカショーツ。