WHAT IS A BLAZER?
ブレザーの本質とは?
February 2022
紳士の衣服の中で最も汎用性が高く、エレガントなこの服の歴史と、その本質を紹介する。
by G. BRUCE BOYER
映画『女王陛下の007』(1969年)のジョージ・レーゼンビー。
紳士のワードローブにおいて、これだけははっきり間違いなくいえる。ブレザーは、最もインターナショナルかつ万能であり、不可欠なテーラード・アイテムであるということだ。
家でも役員室でもヨットでも使える多目的ジャケットで、ポロシャツ、ジーンズ、ローファー、またはブロードクロスのドレスシャツとネクタイ、ダークグレイのウーステッド・トラウザーズから、スエードの靴にまで合わせることができる。他のボトムスとしては、フランネル、キャバルリーツイル、ギャバジン、リネン、コットンポプリン、コーデュロイ、カーキ、あるいはタータンチェックなど、まさに“アメリカン・カントリークラブ的”なものであれば何でもありだ。
ドミニカ共和国の外交官ポルフィリオ・ルビローサ(左)が、第6回フロリダ国際耐久グランプリの参加者として、レースディレクターのA・E・ウルマンより説明を聞いている(1955年)。
まず、この“ブレザー”という名称について触れておきたい。男性の装いについてよく知らない人は、スポーツコート(ジャケット)のことをブレザーと呼ぶことがある。これは間違いだ。ブレザーはすべてスポーツ・ジャケットだが、スポーツ・ジャケットがすべてブレザーというわけではない。ブレザーとは、非常に濃いブルーであり、柄がないこと、そして基本的なカットによって定義される。そして、伝統的に金属製のボタンを使用する唯一のスポーツ・ジャケットである。
“本物の”ブレザーについて考えるならば、3つの大きなポイントがある。生地、カット、ボタンである。涼しい季節におけるブレザーの生地は、フランネル、ツイル、カシミアである。暖かい季節には、ライトウエイト・カシミア、シルク、リネン、サージ、トロピカル・ウーステッドなどだ。色については、ネイビーブルーが基本である。黒に近いミッドナイトブルーから、シンプルなダークブルーまでの色合いだ。
今日においては、ブレザーにはシングルとダブルブレステッドがある。どちらも19世紀の英国に起源を持つが、当初はまったく異なるジャケットとして誕生した。
ケルンの英国船団を視察する海軍参謀本部副長エドモンド・フリーマントル提督(1898年)。
英国海軍の軍艦HMSブレザー号の進取の気性に富んだ艦長が、ヴィクトリア女王謁見の際に真鍮ボタンのついた粋な濃紺のダブル・ジャケットを乗員に着せたところ、女王がその凛々しい姿をたいそう喜んだという話は、誰もが知るところである。この話は何度も語られてきており、事実であるに等しいと言える。
英国海軍には少なくとも7隻のブレザーという名の艦があるが、3番目の艦(1845年配備)の艦長が乗組員にストライプ柄のガンジーセーターとブルーのジャケットを着せたとされている。しかし少し複雑なことに、1820年代から英国の海軍士官候補生が着ていたのは、“リーファー”と呼ばれる短くて青いダブルブレステッド・コートだったようだ。HMSブレザーの艦長は、リーファー・コートに真鍮のボタンを付けただけだったのだろうか?
インド提督を務めたルイス・マウントバッテン卿(1976年)。
「ブレザー」という言葉は、19世紀後半に大学のボート部、特にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジのレディ・マーガレット・ボート・クラブメンバーが考案した特殊なジャケットに由来しているようだ。ほとんどのボートクルーはフランネルのジャケットを着ていたが、レディ・マーガレット・クラブのメンバーは鮮やかな真紅のジャケットを着て自分たちを差別化したのである。やがて他のクルーもこれに倣い、1890年代までには英国のボート選手は、赤とオレンジ、ラベンダーとブラック、スカイブルーとクリーム、スカーレットとカナリアイエローなど、さまざまな組み合わせの大胆なストライプジャケットを着るようになっていた。
ボーティング・ブレザーがネイビーになり、リーファージャケットがダブルブレステッド・ブレザーとピーコートに分かれた経緯は定かでない。当時の男性は、海辺の舟遊びで濃紺のサージスーツ(ジャケット+ウエストコート)に白のフランネル・トラウザーズを着る習慣があったため、単にネイビーのシングルブレステッドのオッドジャケットを作ったというのが最もシンプルな説明だろう。各国とも海軍にはさまざまな服装をさせている。しかし船で海に向かう時、ネイビーは特別な色であると言える。
NYにて映画『My Favorite Year』を撮影中の俳優ピーター・オトゥール(1981年)。
19世紀末、フランスやイタリアのリゾート地に英国人が押し寄せ、エドワーディアン・ブレザーが大流行した。1920年代には、アメリカを英国皇太子(後のウィンザー公)が大学スポーツチームとともに何度も訪れ、フェアアイル・セーター、オックスフォード・バッグ、明るいツイード、ダブルまたはシングルブレステッドのブレザーなどカラフルなワードローブを持ち込み、アングロマニアの波が米国に押し寄せた。
これらのスタイルは、アメリカのカレッジやプレップスクールのキャンパスですぐに取り入れられた。ダートマス大学は1930年代、ジュニアクラス全員にブレザーを着せ、胸ポケットに卒業年度を記した最初の大学であったかもしれない。
ブレザーの装飾は、胸ポケットの紋章を除けば、ボタンのみである(ヨーク、ブレード、ハーフベルト、アクションプリーツ、襟カバーなどはブレザーには適さない)。ブレザーには、男性のジャケットの中で唯一、金属製のボタン(伝統的には、ダブルで4個または6個、シングルで2個または3個)が付いている。
作家で雑誌発行者のウィリアム・バックリーと談笑する俳優のデヴィッド・ニーヴン(1968年)。
この金属製のボタンの種類は数百もある。真鍮、ピューター、金メッキ、純金、純銀、アンティークセット、大学やクラブの所属を示すもの、モノグラムやイニシャル、職業のシンボルをあしらった特注品などがある。希少で高価なボタンは、ドライクリーニングの際に取り外せるように、脚付きタイプをおすすめする。また、傷つきやすい光沢のあるボタンよりも、デザイン性のあるボタンの方が良いという意見もある。せっかくの自己表現の機会を逃す手はないというわけだ。
この不景気な時代、気まぐれなファッショニスタでさえ、より良いものを、より安く買うようになった。だからこそ、いつの時代でもよく仕立てられたブレザーは、今でも間違いなく買う価値のある服なのである。
ガーズポロクラブのマイケル・オブ・ケント王子(2007年)。