The History of the Hawaiian Shirt

ハワイアン・シャツの歴史

Tuesday, August 31st, 2021

ノベルティ・アイテム、それとも大胆な主張?

意見が分かれるハワイアン・シャツだが、賢明に、そして自信を持って着こなせば、このカウンターカルチャーのアイコンは、ワードローブにおける最高の1着となる。

 

 

text josh sims

 

 

 

映画『ブルー・ハワイ』でハワイアン・シャツを着て、ウクレレを演奏するエルビス・プレスリー(1961年)。

 

 

 

 メンズウェアの中にジョーカーがいるとしたら、それはおそらくハワイアン・シャツだろう。派手な色、ルーズフィット、ワイルドな柄など、洗練された男性の服装が否定するものをすべて備えている。

 

 ハワイで最も尊敬されているシャツメーカー、トリ・リチャードが作るシャツは、すべてがギャンブルのようなものだ。日本の木版画のような波模様をあしらったトリ・リチャードのシャツは、20年間で50万枚以上を売り上げ、ハワイの銀行のクレジットカードに採用されるほど有名になった。機能的には、アロハシャツは湿度の高い気候での着用に適しており、その派手な柄は、汗ジミを目立たなくする効果もある。しかし、スタイル的には独自の世界を持っている。

 

「アロハシャツは、ある人々にとってはノベルティ・アイテムであり、一種のコスチュームでもあります」とトリ・リチャードのCEO兼プレジデントのジョシュ・フェルドマンは言う。

 

「また別のある人々にとっては、地域的なアイデンティティとなっています。もちろんアロハシャツはハワイで愛されていますが、フロリダや日本でも広く着用されています。日本人が、アメリカ人よりもアメリカ的な服装をするという文化の一環となっています。さらに、ある種の人々にとっては、自己主張の手段となっています。ハワイアン・シャツを着ることは、ハワイでもアグレッシブな行為ですからね。アロハシャツにはカウンター・カルチャー的なところがあります。“ 人にどう思われようと気にしない”ということです」

 

 

アロハを着て、拳銃を持ち、ダイナーを襲う役を演じるティム・ロス。映画『パルプ・フィクション』(1994年)より。

 

 

 

 確かにアロハシャツは、ポピュラー・カルチャーの中ではそのように扱われている。また、グループのアイデンティティを表現するために、あるいはポジティブでオープンな精神を表現するために、さらにはその場に溶け込むための手段としてシャツを着ることがある。

 

 映画『ファミリー・ツリー』(2012年)のジョージ・クルーニー(トリ・リチャードが衣装を担当)、ドラマ『私立探偵マグナム』(1980 〜88年)のトム・セレック、そして何よりも映画『ブルー・ハワイ』(1961年)のエルビス・プレスリーを思い浮かべてほしい。

 

 しかし、ハワイアン・シャツをハワイ以外で着用すると、ダークで攻撃的なキャラクターのシンボルとなる。映画『ケープ・フィアー』(1991年)のロバート・デ・ニーロ、『スカーフェイス』(1983年)のアル・パチーノ、『地上より永久に』(1953年)のフランク・シナトラ、『パルプ・フィクション』(1994年)のジョン・トラボルタ、あらゆるパブリシティ・ショットにおけるトニー・カーティス、そして『エース・ベンチュラ』(1994年)のジム・キャリーの着こなしもなかなかマニアックだった。

 

 このように独特でローカル色溢れる衣服が、21世紀まで生き残っているのは驚くべきことだ。しかし、フェルドマンは、それは言葉のアクセントのようなものだという。グローバル化が進むと、地方独特の訛りが消えてしまうのではないかという予測もあったが、実際には訛りが強まっているという研究結果もある。フェルドマンは、衣服についても同じことが言えると考えている。例えば、ドイツではレーダーホーゼン(肩紐付きの革製ショーツ)の着用が復活しているという。

 

 

映画『スカーフェイス』(1983年)にてトニー・モンタナを演じるアル・パチーノ。

 

西アフリカへの訪問時にパイナップルの香りを楽しむチャールズ皇太子。

 

 

 

 フェルドマンによれば、アロハシャツの国際的な人気は、7年サイクルで上下しているという。プリントを受け入れたり拒否したりするメンズウェアのトレンドと同調しているが、完全になくなることはない。

 

「どの世代にもそれぞれの着こなし方がある」というのはデール・ホープだ。アロハシャツの歴史の中で最も重要なブランドのひとつである“カハラ”(現在はトリ・リチャードが買収)のクリエイティブ・ディレクターを務めた男である。

 

「優れたアロハシャツの魅力に抗うのは難しいものです。誰かが、みんながアロハシャツを着ていれば戦争は起きないと言っていました。アロハシャツは、ポジティブで楽しく、気分を明るくしてくれます。それは心理学者にとっては興味深い現象でしょう。特にここハワイでは、誰もがアロハシャツを愛しています。アロハはハワイの偉大な大使なのです」

 

 しかしながら、いつも愛されていたわけではないし、戦争を止めたわけではない。事実、最初にアロハシャツが知られるようになったきっかけは、1920年代半ば、ゴードン・ヤングという人物が、ワシントン大学にアロハシャツを着て行き、大学当局を激怒させたことがニュースになったためである。

 

 

映画『カクテル』(1988年)にてハワイアン・シャツを着て、とびきりのハンサム・ガイを演じたトム・クルーズ。

 

 

 

 シャツそのものの起源はあまりはっきりしていない。ハワイの日本人テーラーが着物の生地を使って作ったのが最初だという説や、フィリピンの“テイルズアウト”と呼ばれるシャツが起源だという説がある。また、ハイビスカスやパンノキなどの、エキゾチックなイメージを布にプリントしていたタヒチから伝わったとも言われている。さらに、昔のハワイでは、樹皮から作った布をククイナッツの樹液に浸して、赤や黄色に染めていたので、それが起源という説もある。

 

 1778年にイギリス人の探検家キャプテン・クックはハワイを訪れ、西洋のシャツを紹介し、その後、宣教師がハワイの人々に裁縫を教えた。その後、砂糖やパイナップルのプランテーションで働く中国人や日本人の移民が、プリントされたシルクや伝統的な布地だけでなく、仕立ての技術も伝えた。“ハワイアン・シャツ”という言葉は、1927年にテーラー兼ビジネスマンのエラリー・チュンがマーケティングのために作った造語で、9年後に“アロハシャツ”として商標登録された。

 

 これがヒットした。ホノルルでは10年後には275軒の仕立屋がハワイアン・シャツを作るようになり、太平洋の小さな島々では、日本からさまざまな布地を輸入した。なぜなら当時の日本は、複雑な手作業によるプリント生地を、小ロットで作るノウハウと意欲を持つ唯一の国だったからだ。もちろんこれは、日本軍がハワイ真珠湾の海軍基地を攻撃し、アメリカが第二次世界大戦に参戦する以前の話である。

 

 平和が戻った1940年代後半、アメリカ人はアル・ジョルソン、ジョン・バリモア、ダグラス・フェアバンクス、ロナルド・コールマンといった戦前の映画スターたちを思い出していた。彼らがビーチフロントの家でアロハシャツを着たことで、アロハシャツは週末の休息とリラックスの象徴となった。

 

 1947年までには、ハワイの市議会でハワイアン・シャツを着て仕事をすることが認められた。サーフィンの先駆者であり、ハワイで最も有名な人物のひとりであるデューク・カハナモクも、ハワイアン・シャツの普及のために引っ張り出された。1958年までには、ハワイアン・シャツの製造は、ハワイで3番目に大きい産業となった。

 

 

映画『私立探偵マグナム』(1980年)で元特殊部隊の探偵を演じるトム・セレック。

 

 

 

 目利きが見れば、シャツはそのプリントのスタイルにより、時にはデザインしたアーティストに至るまで、そのオリジンを辿ることができる。アメリカン、ハワイアン、そして日本風のモチーフがあり、花や植物、風景、海、鳥、龍、虎、そしてフラガールなどが代表的なものだ。例えば、プリントデザイナーの故ケイジ・カワカミは、島やサーフィンに関連するイメージを、数多くクリエイトした。「アロハシャツのアートは本当に素晴らしいものです」とホープは言う。

 

「白いオックスフォードのボタンダウン・シャツとは違ったストーリー性があります。当時は、すべてがハンドペイントで描かれ、ライフスタイルもスローでした。アーティストたちは、大量のメディアやテクノロジーに押し流されることもありませんでした。シャツメーカーとしては、アーティスかつてのハワイは本当の楽園で、誰もが戻れなくなったトに、往時と同じようなイージーさを許すことはできません。それは仕方ありません。今のハワイは、ホテルやらコンドミニアムやらでいっぱいなのですから。しかし、当時のハワイは楽園でした。ウールのスリーピースのスーツを着て汽船でやってきて、花輪で迎えられ、ビーチボーイたちとのサーフィンにハマる。こうなるともうスーツ生活には戻れなくなります。アロハシャツのほうが、絶対によくなってしまうのです」

 

 デューク・カハナモクは1950年代初頭のハワイアン・シャツの広告でまさにこう語っている。“Hoomanau Nui-Take it easy”

 

 

映画『地上より永遠に』(1953年)にアロハ姿で出演したモンゴメリー・クリフト。

 

 

THE RAKE JAPAN EDITION issue41掲載記事