THE GREATEST PARTY OF ALL TIME: STUDIO 54

史上最高のパーティ:スタジオ54の伝説

January 2023

「スタジオ54」は1977年から80年にかけてニューヨークに存在したクラブである。当時は多くのセレブが訪れ、スキャンダラスな話題に事欠かなかった。ここで行われた史上最高の年越しパーティを覗いてみよう。

 

 

 

by CHRIS COTONOU

 

 

 

 

 

 スタジオ54が営業していたのは、1977年から80年までのわずか3年余りの期間だった。その名は今でも、華やかな快楽主義や生きる喜びの代名詞となっている。

 

 クラブの共同創設者であったイアン・シュレーガーは、このクラブが今日私たちの知っているような“セレブリティ”を誕生させたと言っている。彼とそのパートナーのスティーブ・ルベルは、脱税の罪に問われたため、スタジオ54を閉鎖することになった。

 

 しかし彼らはそれまで、政治家や大物スターたちを盛大なパーティに招待し、ニューヨークの裏の世界で“キング”となっていた。彼らの周りはいつも、スキャンダルに満ち満ちていた。

 

 

 

 

 スタジオ54は、金持ちや有名人が羽目を外しに来る場所だった。そして彼らが自分自身を売り込むためのステージでもあった。トルーマン・カポーティとテネシー・ウィリアムズはプライベートなイベントを開催した。ホワイトハウスよりも入りにくいといわれたその招待客リストには、アンディ・ウォーホル、ライザ・ミネリ、マイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイ、作曲家レナード・バーンスタインなどが名を連ね、スマートでクール、そしてセクシーなカルチャーヒーローたちが集まっていた。彼らは派手なドレスやシャープなスーツに身を包み、ディスコミュージックで踊り、サイケデリックな快楽主義に浸っていたのだ。

 

 スタジオ54は、たった2回だけだが、史上最高の大晦日パーティを開催したことがある。そのうちの1回では、伝説のイベントプランナー、ロバート・イサベルがクラブのフロアに4トンものラメを撒き散らし、信じられないほどの輝きに包まれた。「まるで星屑の上に立っているようだった。数ヶ月経っても、服や家の中からラメが出てくるんだ」とシュレーガーは言った。

 

 これらのパーティの目的は、ゲストの自我を解放させることだった。ドアマンのマーク・ベネッケは、厳しく変わった基準を設けて入場客を選んでいた。それは「パーティに何かをもたらす大きな個性を持っていること」というものだった。

 

 

 

 

 一歩足を踏み入れると、そこはなんでもありの世界で、DJトム・サヴァレーゼのグルーヴィな音楽に合わせて、最高にエキセントリックなシーンが展開されていた。ある時は、デザイナーのヴァレンティノがサーカス団長に扮し、本物の生きた動物が登場した。またある時はグレース・ジョーンズが半裸のような衣装に身を包みヒット曲を歌い上げた。

 

 ライオネル・リッチー、ダイアナ・ロス、ミック&ビアンカ・ジャガー、アンディ・ウォーホルらは、その夜、世界のどこにいてもよかったにもかかわらず、皆スタジオ54を選んだのだ。

 

 1980年にFBIがスタジオ54に踏み込んだことは、デカダンスの時代の終わりを象徴していた。それ以来、地球上にこんな場所は出現していない。スタジオ54での大晦日のパーティに参加できた幸運な人々にとって、その日は最も眩しく、素晴らしく、再現不可能な瞬間であり続けている。