ROBERT TATEOSSIAN INTERVIEW
日本を愛する
キング・オブ・カフリンクス
December 2022
text KENTARO MATSUO
photography TATSUYA OZAWA
Robert Tateossian/ロバート・タテオシアン
クウェートに生まれ、ローマへ移り住み、リセへ(フランス学校)へ通う。この多彩な幼少時代ゆえ、7カ国語を操る。米アイビーリーグの一翼である名門ペンシルバニア大学ウォートン校において国際金融を学び、卒業後はウオールストリートのメリルリンチへ入社。その後ロンドン支社に転勤した。1990年にブランド“タテオシアン”を設立し、画期的なカフリンクスのデザインを発表、またたく間に人気を得た。現在ブランドは50カ国以上、数百店で取り扱われる国際的なジュエリー、アクセサリー会社に成長した。革新的な素材使いと上品でウィットに富んだデザインを特徴としている。2020年に創業30周年を迎えた。
目の前は白鳥が棲むことで知られる和田倉濠、その向こうには和田倉噴水公園、右手には皇居の杜が広がっている。晴れた日には遠く富士山を望むこともできるという。東京・丸の内1丁目1-1に位置するパレスホテルのスィートルームから見える景色は、いつ見ても絶佳だ。
「ようやくこの場所に帰ってくることができました」
そういうのは世界的なカフリンクス&アクセサリー・デザイナー、ロバート・タテオシアン氏だ。パレスは氏の定宿なのである。2020年にブランド創立30周年を迎えたが、直後にコロナ禍となり、長く訪日が叶わなかった。再び日本に来られる日を待ち望んでいたという。日本はタテオシアン氏が、世界で一番好きな国なのだ。それには理由がある。
「日本には素晴らしい伝統と文化があります。来る度に、私にとっての新しい発見があるのです」
以来、年に2回必ず訪日し、さまざまな場所を訪ねてきた。
「実は私のコレクションを初めて買ってくれたのは日本人だったのです。32年前、独立したばかりの私はサンプルをトランクに詰めて、右も左もわからない日本へやってきました。そしてあるストアへ持ち込んだら、いきなり数百万円単位で買い付けてくれたのです。私がデザイナーとして自信を持ち、独り立ちできた瞬間でした」
この世界一親日家の巨匠デザイナーについて、われわれはもう少し知る必要があるのではないか? 彼の生い立ちから紐解いていこう。
―小さい頃は、どんな子供でしたか? どういう環境で育ちましたか?
「私の子供時代にはふたつのステージがありました。8歳まではローマに住んでいましたが、私はとてもダメな生徒でした(笑)。いつもおしゃべりばかりしていて、成績も悪かった。先生の邪魔ばかりして、教室に来た校長先生に、大声で叱られていました。両親はほとんどパニックになりました。この子は将来どうなるんだ、とね。そこで9歳になったとき、両親は私をベイルート(レバノンの首都)の寄宿学校へ送り込んだのです。宗教色の強い、とても厳しい学校でした。そこでは無駄口を利くと、尼僧に小さなスティックで手を叩かれるのです。もし手を引っ込めると2回叩かれてしまいます(笑)。仕方がないので、私はいい子でいようと決めました。そしてクラスのヘッドボーイ(級長)になりました。朝起きてお祈りをして、食事をしてまた祈る。そんな生活が続きました。しかし、ベイルートで戦争が起きて、ローマへ戻ることになったのです」
―元インベストメント・バンカーだと伺いましたが、なぜお辞めになったのですか? デザイナーになったきっかけは?
「私はロンドンで7年間銀行員をしていました。でも、どうしても旅がしたくなったのです。起業家になって、ファッションの世界に入りたかった。そして自分自身のボスになりたくなったのです。銀行は政治的で官僚主義的だから、肌に合いませんでした。まぁ、銀行員とカフリンクスはセットのようなものですがね(笑)。そして、ジュエリーを買ってくれそうな店をいろいろと調べて、友人と初めて日本に来たとき、大きな注文が入ったのです。それは原宿の資生堂のお店でした。今はもうなくなってしまいましたが、当時は明治通り沿いに資生堂のビルがあったのです。ラッキーでしたね。初めての日本への旅は、今でもとてもいい思い出です」
―自分でビジネスを始められて、一番難しかったことは? また一番幸せだったことは?
「ビジネスをする上で、最も難しいことはキャッシュ・フローです。われわれの仕事は、毎回どのくらいの注文が入るかどうかがわかりません。最も幸せなことは、ブランドが世界50カ国以上で展開されるようになり、それぞれの国で最高のショップで販売されていて、32年間も存続し、しかもいまだに独立運営されていることですね」
―タテオシアンといえば、素材使いの面白さで有名ですね。どんなものを使われていますか? どうやって見つけられていますか?
「今までカーボン、隕石、化石など、いつくもの変わった素材を採用してきました。月や火星のいつもサプライヤーに新しい素材はないかと聞きまわっています。展示会やオンラインでも常に目を光らせています。最近注目しているものとしては、エコ素材があげられます。例えばリサイクルされたプラスチックや、トウモロコシから作られたフェイクレザーなどです。エコ・フレンドリーであることは、ここ数年の大きなテーマです」
エコ素材を使用したブレスレット。ビーズ部分はリサイクルガラス、紐部分はトウモロコシを再生した素材などから出来ている。
―新しいデザインのインスピレーションは、どこから得られるのですか?
「旅をしていると、多くの展示会や建築、家具に出会います。そして何を見ても、新しいデザインのための大きなインスピレーションになり得るのです。例えば今回の日本滞在では、アートで有名な直島に行きましたが、安藤忠雄氏が設計したミュージアムや収蔵されている作品に、とても感銘を受けました。特にガラスと木を組み合わせた杉本博司氏のファニチャーは、非常に刺激的なものでした。タテオシアンでも、木やガラスを素材としたり、ディスプレイのために使ったら、すごいものができるのではないかと想像を逞しくしています」
“ボーン”をモチーフとした新作。素材にはブラックダイヤモンドが使われている。
―今シーズンのコンセプト、傾向はどんなものでしょうか?
「パンデミックで孤立したせいで、スピリチュアルなものに惹かれてきました。ですから今シーズンの新作は、アジアや日本の仏教のモチーフを取り入れています。タリスマン、八支則、曼荼羅のようなものです。禅の庭などにもインスパイアされました。それからカフリンクス以外のアクセサリーが充実していることもあげられます。ブレスレットやリング、ペンダントなどです。今やわれわれの売り上げの60%をアクセサリーが占めるようになりました。カフスとタイピンは40%に過ぎません。ダイヤモンドなどの宝石を多く使うようになったのも顕著な傾向です。中には1個3〜4,000ドルもする商品もありますが、これがウェブストアでよく売れています。オンラインでのセールスは年々増えており、最近では高額商品でも実物を見ないで買う人が多いのです」
―では、タテオシアンの「名作」と呼べるものは?
「地球儀をモチーフとしたカフリンクスは、25年来のロングセラーです。スターリングシルバーとプレシャスストーンで出来ていて、クルクルと回し動かすことができます。これは同じ形のものがずっと売れ続けています。それから時計の歯車を使ったシリーズ。これは私が最初にデザインしたカフリンクスで、いつの時代もベストセラーであり、一番コピーされた商品でもあります(笑)。こちらは年々進化していて、さまざまなバリエーションが揃っています」
タテオシアンの2大ベストセラー、地球儀と歯車のカフリンクス。
―コロナ禍の間は、どうやって過ごされていましたか?
「最初の3ヶ月間はマイアミにいました。それからロンドンで1ヶ月、その後南アフリカのケープタウンで8ヶ月間を過ごしていました。ケープタウンは小さい街で、私は常に半径1.5kmくらいの中ですべてを済ませていました。ジム、レストラン、スーパーマーケット、ビーチ、ヨガ、マッサージなど……。だから身を潜めるには便利だと思ったのです。しかし、ピーク時には大統領令によって、ビーチも閉鎖され、3ヶ月間アルコールの販売も禁止されてしまいました。でも、私はニューイヤーズ・イブのパーティのために50人分のワイン、ウォッカ、シャンパンを買い込んでいて、それがキャンセルになってしまったため、お酒には困りませんでした(笑)。それにホテルのスタッフは、こっそりとティーポットにワインを入れてサーブしてくれていました……まるで禁酒法時代ですよ!(笑)」
―32年間もブランドを続けられた理由は何ですか?
「決して“安住”しないことでしょうか? 安楽椅子にどっかりと腰掛けて、『万事うまく行ってるぞ』とリラックスしてはいけません。次のコレクションはどうするのか、従業員はちゃんと働いているか、自分はクリエイティブであるか、いつも問い質しています。32年間この仕事をやっていますが、今年が1年目であるような気持ちで仕事に臨んでいます。何事も当たり前だと思わないようにしないと……。今月の売り上げがよかったからと言って、来月も売り上げもいいとは限らないのです」
―プライベートでは何をされていますか?
「私は非常に規則正しい生活をしています。毎日同じルーチンを繰り返しています。そしていつも旅をしています。同じホテルに泊まり、同じ習慣を守り、飛行機ですら同じ席に座ります。毎朝同じ時間に起きて、7時半にジムへ行き、その後朝食をとります。しかし場所だけが違うのです。昨日はマラケシュ、今日はニューヨーク、明日は東京といった具合に……。違う場所で違うことをすると、生活がめちゃくちゃになってしまう。だから、ルーチンを守ることが大切だと思っているのです。テレビや映画も飛行機に乗っているとき以外は見ません。そんな暇があったら、それぞれの土地にいる友人たちと会うことにしています」
―ロンドンのご自宅にいる時は、何をしているのですか?
「本宅はロンドンにありますが、あまり在宅していません。珍しく帰っている時は、友人を呼ぶことが多いですね。私は人をもてなすのが好きなのです。料理もしますよ。日本食とシンプルなイタリアンが多いかな。食器はすべて日本で買ってきたものを使っています。皿も食器も、フォークやナイフですら、全部日本製です」
―いつも日本で行かれる場所があるとお聞きしましたが……
「私は日本へ来ると、いつも神社仏閣を回ります。特に好きなのは明治神宮で、毎回必ず参拝へ行きます。100円のコインを入れて、パンパンと手を叩いて拝みます。しかし、今回行ったらコロナのせいで、鈴鳴らし(本坪鈴)はなくなっていましたね……」
―今回は直島に行かれたそうですが、次は日本のどこへ行ってみたいですか?
「東京と大阪はもちろん、京都は大好きです。伊豆・箱根、日光などへも行きました。次は北海道のニセコへ行ってみたいですね。私はスキーをするのです。それから北海道のザ・ロイヤル・エクスプレスや九州のななつ星などの豪華列車にも乗ってみたいと思っています」
―では、日本の読者へメッセージを。
「あなた方は日本に住めてラッキーです! 伝統、文化、そして食べ物まで、素晴らしいものが揃っています。日本は本当に“アメイジング・カントリー”です。あとは……、ぜひタテオシアンの商品を買ってください!(笑)」
過去32年間において、ロバート・タテオシアン氏はあらゆる種類のカフリンクスをデザインしてきた。歯車、宝石、貴石、パール、カーボン、隕石、化石、骨……。生み出されたデザインは25,000以上に至る。驚くべきクリエイティブの力である。もしあなたが今、新しいカフスのデザインを思いついたとしても、それはすでに彼によって商品化されている可能性が高い。まさに“キング・オブ・カフリンクス”の尊称が相応しい。
しかし、その背後には、元バンカーらしい緻密な計算が働いている。彼はアーティストであると同時に、経営者としても優秀なのだ。そうでなければ、ブランドはとっくに一過性のものとして終わっていただろう。
そして何より、仕事に対する情熱が並外れている。ソフトな語り口、ユーモアを交えたインテリジェントな会話術の向こう側に、強烈なパッションと瑞々しい好奇心が透けて見える。今回、3年ぶりにお目にかかったが、なんだか前より若返っているような印象を受けた。彼は32年目にして、
「今年ブランドをスタートさせたような気持ちで仕事に臨んでいる」と述べた。
これが若さとブランドが古びない理由であるに違いない。
父親から譲り受けたヴィンテージのピアジェ。1970年代あたりのもの。「父は少しずつ私に時計をくれるのです。でもロンドンあたりでは物騒で、高い時計ははめることが出来ないですね」
ブルーサファイア、シャンパン、ブラックのなどのダイヤモンドをあしらったブレスレット。トレードマークである重ね付けで。
採れた状態のままのブラック・ダイヤモンドをブラック・ゴールドで包んだタリスマン・ペンダント。
エルトン・ジョンとのコラボレーションで作られたラペルピン。売り上げの3割はエイズのためのチャリティーに寄付された。