GRAND PRIX D’HORLOGERIE DE GENÈVE

飛田直哉氏のジュネーブ時計グランプリ、その舞台裏

January 2024

GPHGは過去1年に発売された時計のなかで、ベスト・オブ・ザ・ベストを決めるお祭りだ。栄えある審査員として参加した飛田直哉氏に、その一部始終を伺った。

 

 

photography natsuko okada (portrait)

 

 

ずらりと揃ったGPHG2023の審査員たち。右端から2番目に飛田氏。その隣にMB&Fのマキシミリアン・ブッサー氏。左端にアーモリーのマーク・チョー氏。その隣にHODINKEE創設者ベンジャミン・クライマー氏。中央の白い服を着た女性はフィリップ・デュフォーの娘、ダニエラ・デュフォー氏。

 

 

 

 

 時計業界の最高の栄誉といえば、ジュネーブ時計グランプリ(GPHG)をおいて他にない。過去1年間に発売された時計のなかから、ベストの1本を選び出す。2023年は、この栄えある賞の審査員に、日本のNH WATCH代表、飛田直哉氏が選ばれた。審査から受賞式を終え、帰国後間もない飛田氏に、その知られざる舞台裏を伺った。

 

―そもそもGPHGとは何ですか?

「時計の都、スイス・ジュネーブで開かれる、年に一度の時計のお祭りです。主宰はGPHG(Grand Prix d’Horlogeriede Genève)財団で、2001年に創設され、現在は公益法人となっています。法人はジュネーブ州と市によって監督されています。GPHGの鷲と鍵の紋章は、ジュネーブシールに使われているジュネーブの紋章でもあります。つまりは公的な性格が強いのです。グランプリには数百を超える応募があり、一次審査を通過した90本の時計より、15に分けられたカテゴリー別のベストが選ばれます。さらに最高賞であるエギュイユドール(金の針賞)が選出されます。現在に至るまで、審査方法やカテゴリーはずいぶんと変化してきましたが、時計界随一の名誉であることは間違いありません」

 

―審査員になったきっかけは? どのようなアプローチが来たのですか?

「GPHGには時計に精通した数百人のアカデミーメンバーがいます。私も2022年からメンバーとなりました。メンバーには一次審査の投票権があり、私も一票を投じました。時計イベント、ジュネーブ・ウォッチ・デイズにも参加しました。すると審査委員長のニック・フォルクスから、いきなり携帯に電話がかかってきたのです。『ハイ! アイム・ニック・フォルクス』って感じで(笑)。そして審査員になることを打診されたのです。どうやら、THE RAKEのファウンダー、ウェイ・コーたちが推薦してくれたようです」

 

 

 

エギュイユドール賞

(金の針賞/最優秀賞)

オーデマ ピゲ/CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ ウルトラ コンプリケーション ユニヴェルセル(RD#4)

グランドソヌリ、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンド・フライバック クロノグラフ、フライング トゥールビヨンなど、23の複雑機構を備えた超複雑時計。ケース径:42mm PG 限定1本

【飛田氏のひとこと】

「これは文句なしといったところでしょう。これだけの複雑機構を使い勝手よくまとめてある。ゴテゴテしたボタンがなく、すっきりしています。グランプリについては、別途投票がありました。年によっては決選投票もあるらしいのですが、今回は一発で決まりました」

 

 

 

レディス コンプリケーション ウォッチ賞

ディオール/ディオール グラン ソワール オートマタ エトワール ドゥ ムッシュ ディオール

メゾンの創設の地、モンテーニュ通り30番地の本店と、創設者の星座であるみずがめ座をシンボリックにデザイン。オートマタ機構によって星星が、パールの雲が漂う夜空を動く。ケース径:38mm WG×YG

【飛田氏のひとこと】

「今、ラグジュアリー・ブランド各社がコンプリケーション・ウォッチに力を入れています。ノミネートされたブランドには、グッチやルイ・ヴィトンもあり、どれも素晴らしい出来でした。ディオールの1本は、オートマタとしての『かわいらしさ』が光っていました」

 

 

 

 

―旅程とスケジュールについて教えてください。

「2023年11月5日(日)~ 12日(日)までの8日間、日本を留守にしました。6日(月)の朝8時15分より審査があり、これは途中休憩を入れながら、夕方6時頃までかかりました。7(火)、8日(水)はオフで、9日(木)に授賞式とガラディナーがありました。その後、メディアのインタビューなどを受け、11日(土)に現地を発ちました」

 

―どの航空会社で、どのホテルに泊まりましたか?

「最初の案内には『できれば自腹で来てほしい』とありました(笑)。欧州の審査員は、お金持ちが多いので、皆フェラーリやポルシェに乗ってやってくるのです。私は最終的にはスイス航空で飛びました。ホテルは一流で、フェアモント グランド ホテル ジュネーブに宿泊させてもらえました。セレモニーとガラの会場になったのも、このホテルでした」

 

 

 

クロノグラフウォッチ賞

ペテルマン・ベダ/クロノグラフ ラトラパンテ

若手時計師ゲール・ペテルマンとフロリアン・ベダによる新進ブランド。スプリットセコンド・モノプッシャー・クロノにオープンワークを施す。本機が2作目とは思えない完成度。ケース径: 38mm PT

【飛田氏のひとこと】

「デザインについてはかなり好き嫌いが分かれたのですが、個人的には好みでした。このクロノグラフ賞は競争が激しく、どの時計も素晴らしかったので、結果は僅差だったという印象を持っています。カテゴリー内の価格差が大きかったことも記しておかねばなりません」

 

 

 

プチ・エギュイユ賞

(小さい針賞)

クリストファー・ワード/C1 ベル カント

小売価格が2,000~8,000スイスフラン(約33~130万円)の腕時計に贈られる賞。クリストファー・ワードは英国設計、スイス製のブランドで、高性能な時計を廉価に提供する。ケース径:41mm SS

【飛田氏のひとこと】

「1時間に1回、チーンと鳴ります。通常はとても高価な鳴り物時計が50万円程度で手に入るというのは驚くべきことです。セリタ社のSW200という自動巻きムーブメントをベースに、スイス製のモジュールが載せてあります。チャイムはスイッチを切ることもできます」

 

 

 

 

―審査はどこで、どのように行われましたか?

「19世紀に建てられた美術館ミュゼ・ラートが審査会場でした。ここに第一次審査を通過した90本の時計が集められていました。30人の審査員は5つの丸テーブルに6人ずつ分けられ、カテゴリーごとの時計を吟味しながら、それぞれの意見を述べます。皆、自らの主張を展開していましたね。言葉はすべて英語です。その後、投票となります。各自10、6、4、3、2、1の持ち点があり、各カテゴリーにノミネートされた6本の時計に振り分けます。つまり一番いいと思ったものに10点をつけ、最低でも1点は入れることになります。審査には10時間以上かかりましたが、途中ランチと1時間毎のコーヒーブレイクがありました。ランチは近くのビストロへ赴きました。ワインをがぶ飲みしている審査員もいましたね(笑)。でも、そこは欧州人だけあって、酔っ払っている人は誰もいませんでした。もちろん私は水だけにしておきました。ブレイクの間に各自の椅子がシャッフルされ、毎回違うテーブルにつくことになります。同じ人とばかり喋るのを避けるためです」

 

―審査員はどんな人たちでしたか?

「多様性が重んじられており、スイス人やフランス人に偏らないよう配慮されていました。性別・職種もバラバラです。東欧や南米などの新興国からは、どうしてもジャーナリストの参加が多くなります。プレスはどこにでもいるからです。その他の国からは、ジャーナリスト以外が多く選ばれていました。例えば、エナメリスト(七宝職人)やオークショニアの女性なども加わっていました。しかし職種は違えど、どの人も時計のプロフェッショナルです。名前だけのセレブなどはいませんでした。審査委員長のニック・フォルクス(THE RAKEのコントリビューティング・エディター)は、極太トラウザーズのハンツマンのスーツを着て、人差し指と親指以外のすべての指に、大ぶりの指輪をしていました。彼はフランス語も堪能で、最初にスピーチをした後は、審査員特別賞の判定に集中しているようでした。感心したのは、委員長を除く実行委員が全員女性だったことです」

 

 

審査会場となったミュゼ・ラート。

 

 

審査会場の様子。

 

 

受賞セレモニーはジュネーブ、レマン湖のほとりに位置するフェアモントグランド ホテルの地下にある劇場で行われた。これは飛田氏が撮影したリハーサルの様子。

 

 

 

―審査は難しかったですか?

「審査そのものは難しくありませんでしたが、いくつかのアクシデントがありました。例えば、出品された時計が動かなかったり……。そのせいか、すべてのカテゴリーにおいて賞が決定するわけではありませんでした。例えば、2023年は、メンズウォッチ部門のベストは選ばれませんでした。その代わり、他のカテゴリーに移されて、受賞した時計がありました。また同じカテゴリー内でも10倍以上価格の違う時計が出品されていたり、どう考えてもその部門にふさわしくない時計がノミネートされていたりといったことがありました。エントリーするカテゴリーは出品者が選ぶので、それぞれのブランドの思惑も絡んでいるのでしょう。われわれ審査員には投票後、セレモニーで受賞時計が発表されるまで、一切の結果は知らされません。また自分がどの時計に何点入れたかを口外することも禁じられています」

 

―セレモニーの会場はどんなところでしたか? どんな人が来場しているのですか?

「受賞セレモニーは、私が泊まっていたフェアモント グランド ホテルの地下にある劇場で行われました。夕方16時からリハーサルで、本番は19時からでした。数百人の観客は時計関係者ばかりで、それこそ知っている顔だらけ。司会はフランス人のコメディアンで、ジョークを連発していましたが、何が面白いのかさっぱりわかりませんでした(笑)。進行はすべてフランス語で、英語の同時通訳機が用意されていました。各カテゴリーの発表はそれぞれの審査員が行います。私はレディスコンプリケーション部門のプレゼンターを務めました」

 

―セレモニーの雰囲気・内容はどんなものでしたか?

「各賞が次々と発表され、プレゼンターがトロフィーを渡し、各受賞者はその場で即興スピーチをします。その合間に、エンターティンメントが入ります。フランス人のミュージシャンやDJが出演していました。受賞発表が終わると、記念撮影タイムに突入し、そのままロビーに人が溢れ出して、大変な混みようでした。ローラン・ペリエが協賛しており、シャンパーニュが飲み放題なので、そのまま何時間も粘る人が大勢いました」

 

 

 

スポーツウォッチ賞

チューダー/ペラゴス 39

ムーブメントに自社製キャリバーMT5400を搭載。70時間のパワーリザーブを誇る。防水機能は200m。チタン素材で軽く、39mmのサイズと相まって、普段使いの1本として最適。ケース径:39mm TI

【飛田氏のひとこと】

「こんな値段で、この品質、かつチューダー王道のデザインをやられたら、もはや誰も太刀打ちできません。まさに『ミスター・パーフェクト』といえます。このカテゴリーでは、個人的には、少し小ぶりになったショパールのアルパインイーグルにも好感を持ちました」

 

 

 

チャレンジウォッチ賞

レイモンド・ウェイル/ミレジム オートマティック スモールセコンド

小売価格が2,000スイスフラン(日本円で約33万円)以下の腕時計に贈られる賞。SS製ケースに、シルバーのセクターダイヤル、インデックスを備え、スモールセコンドを搭載。ケース径:39.5mm SS

【飛田氏のひとこと】

「もう20年以上も前、シイベルへグナー(現DKSH)時代にミーティングして以来、ずっと注目してきたブランドです。いまどき珍しい家族経営の会社で、3代目の若いCEOになってから、ぐっとよくなりました。本機は本当によくまとまったデザインだと思います」

 

 

 

 

― 来場者・受賞者とは、どんな話をしましたか?

「ひたすら時計の話ばかりしていました。面白かったのは、クリストファー・ワードというブランドの人と語り合えたことです。この英国ブランドは、プチ・エギュイユ賞(8,000スイスフラン=約130万円以下の時計に贈られる)を受賞していました。単なる廉価版の時計を製作しているブランドだと思われがちですが、その背景には深い哲学が横たわっており、収穫でした。また時計メディアHODINKEEのベンジャミン・クライマーが審査員として参加しており、旧交を温めることができました」

 

―日本人は他にいましたか?

「セイコーウオッチから、内藤社長、柴崎取締役をはじめ、数人のスタッフがいらしていました。ガラディナーの会場には、グランドセイコーのテーブルがありました。ディナーのテーブルは、各ブランドが予約・購入するのです。他に日本のジャーナリストなどは見かけませんでしたね。こういった国際舞台では、日本人の存在感がどんどん低下しているような気がします」

 

―ガラ・ディナーは、どんな雰囲気でしたか?

「セレモニーからそのまま移ってきた人が大半なので、スーツ姿でめいめいのテーブルに着席しました。出されたのは今っぽいクリエイティブなフレンチのフルコースです。ディナー中はスピーチもエンタメもなく、ひたすら飲み食べ、人と喋るのです。後半では、ほとんどのゲストがテーブルから離れ、立食パーティのようでした。外国の人はとにかく社交熱心です」

 

 

 

メカニカルクロック賞

レペ/タイムファストII クローム

レペは1839年創業、スイスの高級クロックメゾン。本機はヴィンテージのレーシングカーにインスパイアされ、エンジンのピストンが上下するなどさまざまなギミックを搭載している。サイズ:45×18.9×12 cm/4.7kg 真鍮・SS・アルミニウム

【飛田氏のひとこと】

「メカニカルクロック賞も激戦でした。レペは従来からのアプローチで勝利を手にしましたが、メゾンアルセのクロックキットやマシューノーマンも素晴らしかった。ヴァン クリーフ&アーペルのオートマタは実物が作動しているところを見ると息を呑むこと必至です」

 

 

 

時計界最高の栄誉であるGPHGのトロフィーを手に満面の笑みを浮かべる受賞ブランドの面々。

 

 

 

―オフの日は何をしていましたか?

「世界各国のプレスのインタビューを受けていました。それから、アーモリーのマーク・チョーが有名なパテック フィリップ・ミュージアムを見学したいというので、同行しガイドを務めました。そうしたら、いつのまにか次回のコラボ時計の話になってしまいましたが……(笑)」

 

―それでは今回の総評をお願いいたします。NH WATCHはGPHGを狙いますか? もし出品するとしたら、どのカテゴリーですか?

「われわれのブランドは、いずれGPHGに応募したいと考えています。今回、審査員として声がかかり、その内情を知ることができたのはラッキーでした。何賞を狙うのかまでは考えていません。カテゴリーは年ごとに変わるし、まぁお金もかかりますからね。エントリーには10万円、一次審査を通ると100万円以上の経費がかかります。その後、受賞時計は世界中をツアーするので、それらについて回ったら、一体いくらかかることやら……(笑)。ちなみに、このエキシビション・ツアーですが、アジアではマカオ、香港、クアラルンプールなどを回るのに、日本では開催されません。日本は世界の時計マーケットの約10%を占めているのに、残念なことです。今回参加してみて強く思ったのは、ジャーナリストにしても、時計関係者にしても、外国人は皆、グイグイと自分の存在をアピールしてくるということです。日本人ももっとプレゼンスを示さなければなりません」

 

 次は審査員ではなく、チャレンジャーとしてGPHGに参加したいと意気込む飛田氏に、日本人として熱いエールを送りたい。

 

 

GPHGのトロフィー「ゴールデンハンド」。これをデザインしたロジェ・ファンド氏は、ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画にインスピレーションを得たという。

 

 

飛田直哉氏率いるNAOYA HIDA & Co.の最新作。左から 「NH TYPE1D」 「NH TYPE1D-1」「NH TYPE2C」「NH TYPE2C-1“Lettercutter” 」US$ 19,200(現在はすべて完売)。

 

Naoya Hida/飛田 直哉

1990年より複数の外資系専門商社においてセールスやマーケティング業務を担当。F.P.ジュルヌやラルフ ローレン ウォッチアンド ジュエリーの日本における代表を務めた後、2018年にNH WATCH株式会社を設立。