MILES AHEAD

“帝王”の装い

September 2020

 

 1955年、マイルスはコロムビア・レコードと契約。トレンドを追うのではなく生み出す側に転じると、彼のスーツのシルエットはビッグショルダーからナチュラルショルダーに変わった。ジャズに詳しく、マイルスについての著書で知られるジョン・スウェッドはこう記す。

 

「50年代半ばになると、彼はアイビールックに傾倒し、ハーバードスクエアにあるアンドーバーショップのテーラー、チャーリー・ダヴィッドソンに、イングリッシュツイードやマドラスチェックを用いてナローラペルのジャケットを仕立ててもらっていた。ウールやチノのトラウザーズ、ブロードのボタンダウンシャツ、細いニットタイやレップタイに、バスのウィージャンズ(ローファー)を合わせるなど、クールで斬新なそのコーディネイトは衝撃的だった」

 

 

ロンドンのハマースミス・オデオンでのライブ(1967年)。

 

 

 

 その後、マイルスは『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』『マイルス・アヘッド』といったアルバムをリリースし、伝説的な存在になった。当時の彼はまさに“破天荒なジャズの天才”。トランペットを吹く前屈みの姿勢に合わせた特別なカットのジャケットを纏い、観客に背中を向けてひと言も語らず、仲間のソロの間はしょっちゅうステージを離れた。だが、こうした尊大さや傲慢さもまたクールだった。彼の魅力は主として音楽に根差していたが、肉体美とエレガントな装い、美女との複雑な関係、そして何より超然とした姿勢がその魅力をより高めていた。

 

 この姿勢が、ありふれた服をもアーティスティックな表現に格上げしたのかもしれない。1959年の『カインド・オブ・ブルー』のセッションでは、シンプルな白のボタンダウンシャツの袖をロールアップしたマイルスが写真に収められている。裾はパンツにたくし込まれ、身体にぴったりフィットした隙のないその着こなしは、彼の美学を表現していた。

 

 彼はフレッド・アステアやケーリー・グラント、ウィンザー公といったウェルドレッサーを賛美していたが、真の憧れは、上質な服を纏い、高級車を乗り回し、美女に囲まれるライフスタイルを貫いたボクサー、ジャック・ジョンソンだったという。マイルスにとって、ファッション、ボクシング、自己演出を含む壮大な美学の中心を成すのが音楽だった。

 

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