Il Ristorante Da Vittorio a Brusaporto
ミラノから1時間で行ける食通の桃源郷、ミシュラン3ツ星「ダヴィットリオ」
July 2024
text kentaro matsuo
ロンバルディア州の州都であるミラノからクルマでアウトストラーダ(高速道路)に乗り、北東へ1時間ほど走り、世界遺産の要塞都市ベルガモ付近の出口を降りると、ベルガマスコの丘陵地帯が広がっている。
あたりにはまるで覆いかぶさるように枝を広げる唐松やヒマラヤ杉がそびえ、その間を縫うようにブドウ畑の畝が作られている。なだらかな丘は北へ行くに従って急峻になり、やがてアルプスへと続くのである。
そんな瑞々しい自然に囲まれたカンタルパと呼ばれる丘の中腹に、今回の目的地オーベルジュ「ダヴィットリオ」は位置している。10ha(東京ドームの倍以上)の広大な敷地に、ホテルとレストラン棟、バンケット、プールなどが建ち並んでいる。
裏手にはフィットコース(森の中にウエイトトレーニングやハンモックなどのアクティヴィティが点在)やハーブ菜園、ブドウ畑などが点在している。丘の上にはヘリポートまで設えられている。
訪問したのは6月だったが、手入れの行き届いたガーデンには、野バラやジャスミンが咲き乱れ、あたりには甘い香りが漂っていた。あたりは静寂に包まれ、耳に入るのは野鳥のさえずりの他にない。まるで大富豪のヴィッラ(カントリーハウス)を訪れたような気分である。
ダヴィットリオがオーベルジュとしてこの地に移転・開業したのは、2005年のことである。しかし建物は、まるで中世に造られたようにクラシックである。黄色い漆喰壁の上に、赤茶けたテラコッタの屋根瓦が葺かれている。建物内部の床や柱には天然木や大理石がふんだんに使われている。
エントランスには誇らしげに「ルレ・エ・シャトー」のプレートが掲げられている。ここは世界でもごく限られたレストラン、ホテルしか加盟できないアライアンスの一員なのである(詳細は後述)。またその下には、ミシュランの3ツ星の認定証が示されている。ここは美食の国イタリアでもたった13しかない3ツ星レストランのひとつなのだ。
ダヴィットリオのスローガンは“Welcome Home”である。一歩敷居をまたいだ瞬間から、ゲストはファミリーの一員としてもてなされる。すべてのスタッフが私の名前を覚えていて、親しく声をかけてくるのだ。
オーベルジュであるゆえ、ホテルとしての規模は小さい。クラシックな内装に彩られた客室は10部屋しかない。しかし、その設備は充実しており、最新の機器が備え付けられている。オーディオ・システムはバング&オルフセン、テーブルやチェアはフィレンツェのクラシック家具専門店シルヴァノ グリフォーニ、ベッドはスウェーデンの老舗ハンステン、バスルームには大理石で覆われたカルデバイのジャグジーまであるのだ。室内はさながら、世界の一流品カタログである。
ローテーブルの上には、ウエルカムドリンクとして地域の銘醸フランチャコルタのボトルとフルーツが置かれ、私の名前が記されたホームメイドのクッキーが、まるでロリポップキャンデイのように刺されていた。
ダヴィットリオは一夜にして現在の名声を築き上げたわけではない。その物語は1966年にまで遡る。当年ファミリーの亡父ヴィットリオ・チェレアと妻ブルーナは、ベルガモにたった4席の小さなレストランを開いた。
当時すでにあたりにはたくさんの高級リストランテがあったため、彼らは内地であるにもかかわらず、魚料理をアピールすることを思いついた。たまたま水の都ヴェネツィアやシシリアに知己を得て、新鮮な生魚を取り寄せた。ヴィットリオは厨房で懸命に働き、ブルーナはケーキとカノンチーニ(伝統菓子)を作って、客をもてなした。
これが評判を呼び、1978年にはミシュランの1ツ星、96年には2ツ星が与えられた。2005年に現在の地へ移ると、数ヶ月もしないうちにルレ・エ・シャトーの一員として認められ、超一流の仲間入りを果たした。そして2010年、念願のミシュラン3ツ星を獲得したのだ。
移転して間もなく、残念ながらヴィットリオは亡くなってしまったが、父の名を冠したレストランは現在も母ブルーナと4人の子供たちによって運営されている。昔ながらのファミリー経営だ。
エンリコとロベルトはシェフ、フランチェスコはワインセラーとケータリング、ロッセッラはレストランとホテルのホスピタリティ、バーバラはベルガモ・アルタのカフェ・パティスリー、カヴール1880を担当している。
「私たちの哲学は、何よりもまず質の高い原材料、家族、そしてホスピタリティです。これは、私たちが父と母が受け継いできた価値観です。子供の頃、父からいつも『お客さんには絶対にノーと言うな、お客さんを喜ばせるためには何でもしなければならない』といわれてきました」
そう語るのは、5女のロッセッラ・チェレアである。
「今でも何年も通ってくれているお客さんがいます。その方がどうしても“パッケーロ・アッラ・ペスカトーレ”が食べたいと仰ったら、たとえその時にパッケーロがメニューになくても、なんとかする。それが当店の流儀なのです」
多くのホテル、レストランがコングロマリットに吸収・合併されてしまっている今、家族経営の施設は貴重である。
「家族経営の強みは、オーナーと直接触れ合えることです。より心のこもった接点を持つことができるのです。すみずみまで気を配ることができ、お客様からも感謝されています」
ダヴィットリオではインテリアのディテールや植えられた植栽まで、統一されたセンスが感じられる。どこへいっても、アットホームなもてなしを受けられる。それらは兄弟の絆から生まれたものだ。
5人の兄弟はいつも上手くやっているのか、との問いには、「一番の秘訣は忍耐です。そしてお互いに対する尊敬です。たとえ兄弟であっても人は皆同じではありません。時には対立し、喧嘩をすることもあります。しかし、それは話し合ういい機会なのです。そこから皆にとって最善の結論が生まれるのです」。
ダヴィットリオは酒好きの天国である。丘の山腹を利用したワインカーブはイタリアでも有数の規模を誇る。所蔵本数は23,000本を超え、3000以上のレーベルが揃えられている。イタリアのDOCGやスーパータスカン、ロンバルディアを代表するスパークリングワイン、フランチャコルタはもちろん、フランスのボルドーの5大シャトーやブルゴーニュの逸品、アメリカ、チリ、アルゼンチンと世界中からワインが集められている。
日本のサケも用意されている。兵庫の明石鯛やドン・ペリニヨンの醸造責任者だったリシャール・ジェフロワが手掛けた富山発IWA5などが陳列されている。セラーマスターは流暢に「ダイギンジョウ」と発音した。
もうひとつの至福は「アメリカンバー」である。ロビー横に設えられた空間には、300種以上のスピリッツやリキュールが並べられている。イタリアのディジェスティブ(食後酒)グラッパ、リモンチェッロ、アマーロなどはもちろん、スコッチやジン、ブランデーなども幅広く取り揃えてある。シガーを燻らすことも可能だ。左党垂涎の小宇宙である。
ガラス張りで客席から丸見えとなっているキッチンには総勢30名の料理人が働いている。磨き上げられた銅鍋が山のように積まれている。各料理人はそれぞれのパートに集中し、シェフの号令のもと、整然とした連携を見せている。まるでオーケストラのようである。
ひと昔前は多くの日本人が料理を学びにレストランで働いており、彼らが残していった料理法も多いという。例えば、カツオブシの出汁やシソハーブの類である(最近日本人の料理人は以前に比べて少なくなっているとロッセッラがこぼしていた)。
さてここからは、ダヴィットリオが誇るメニュー(コース料理)を具体的に見ていこう。ロッセッラいわく「初めて当店を訪れる方にはメニューをおすすめします。私たちの伝えたいことを完全に理解して頂くためには、コース料理が必須なのです」。
「ズッキーニ・ラヴィオーロ」
まずはアミューズから(その前にプチアミューズ多数)。ズッキーニにリコッタチーズ、ピスタチオクリーム、ナッツを合わせたもの、ナッツの食感が楽しい。
「トマトとタラのタコス」
手前はメキシコ風のアミューズ。タラにブラックオリーブとチョコレートを混ぜ込み、フライしたタコスで包んでいる。
「フォアグラ・チェリー」
一見チェリーに見えるのはフォアグラのムースを丸めたもの。カカオと英国産マルドンの塩を効かせて。
「エッグ・トゥ・エッグ」
ダヴィットリオのシグネチャーメニューのひとつ。マティーニ・グラスの中に4種類の卵がセットになっており、グラスの底には熱々のキャラメリゼしたリンゴ、スクランブルした鶏卵、ポーチドエッグにしたウズラの卵、サワークリーム、イクラ、ポテトムース、仕上げにイランのキャビアが添えられている。底からすくって食べる。「私が愛してやまない不朽の一品」とはロッセッラの弁。
「アンバージャック・タコス」
アンバージャックはブリ、カンパチの類。生魚をシソ、ミント、レモングラス、バジルなどのハーブと合わせ、さらにオレンジとカツオブシの出汁を効かせてある。ここで使われるハーブ類は無菌室の中での水耕栽培で、農薬を加えることなく、湧き水だけで育てられているという。
「イカとグリーンピース」
生イカにグリーンピースやサワークリーム、ヨーグルト、ミントを添えてセルクルで盛り付けた一品。鮮魚はヴェネチアやシチリアから空輸されているという。
「レチェ・デ・ティグレとタラ」
レチェ・デ・ティグレとはスペイン語で「虎のミルク」の意味。柑橘系のマリネ液のことで、ライム、ジンジャー、チリ、ココナッツミルクが配合されている。これをタラに合わせ、上にコーラル状のビスケットが載せてある。酸味とクリスピーさが舌に心地よい。
「キングクラブとレモン・ズッキーニ」
アラスカ産のキングクラブはカツオブシの出汁が効かせてある。これにレモンマリネしたズッキーニとクリスピーフリットをトッピング。
「キングクラブのテンプラ」
日本の「テンプラ」の用語が使われていた(イタリアでは「テンプーラ」となる)。衣にはチリペッパーが混ぜてあり、日本の天ぷらよりさらにクリスピーな感じだ。
「ポルトフィーノ風リゾット」
まるで「宝石箱」のようなリゾット。生エビ、イクラ、ピエンノロトマト(ブドウのようになるカンパーニャ産のプチトマト)、バジルペーストなど。「人生で食べたリゾットのなかで一番美味しかった」と言ったら、厨房で歓声があがっていた。
「ヴィットリオ風パッケリ」
これを目当てに世界中からグルマンが訪れる、ダビットリオの名物料理。大きな筒状のパスタ=パッケリに甲殻類のダシをベースにしたクリーミーなトマトソースをかけたもの。“Oggi sono goloso(今日、私は飢えている)”とプリントされたヨダレカケを着用して食べる(この時点で記念撮影をする人多数)。料理の仕上げはテーブルサイドのコンロで行われる。今回はロッセッラ自らが調理してくれた。
「鳩のロースト、ピスタチオとレモンを添えて」
ダヴィットリオはジビエ料理も得意としている。これは野生の鳩のロースト。濃厚な赤ワインバターソースと軽快なレモンクリームのハーモニー。別皿にて供されるのは鳩の脚部分。少々グロテスクだが、味は最高だ。
「名物チーズワゴン」
デザートの前にゲストの前に現れる巨大なチーズワゴン。地元ロンバルディアのものを中心に、イタリア各地のチーズが搭載されている。
サーブされたチーズ。左から、ゴルゴンゾーラ、フォルマイ・ディ・ムット、ロッコロ。いずれもロンバルディアが誇る名品だ。蜂蜜、イチジクのジャム、フルーツの砂糖漬けを添えて供される。
「コーヒーとクロワッサン」
メレンゲとティラミス、アイスクリームで満たされたデミタスカップにミニクロワッサンが差し込まれている楽しいデザート。
「ココナッツ・クッキーノ」
チョコレート、クリーム・ココナッツ、パイナップルがあしらわれたデザート。甘みと酸味のハーモニーがたまらない。
「名物キャンディワゴン」
30種類以上ものキャンディが載せられた巨大なワゴン。ベルガモット、ヘーゼルナッツ、コーヒー、レモンチェッロなど数え切れない。
「プティフールの観覧車」
遊園地の観覧車を象ったプティフール。マンゴーケーキ、チョコレート、アプリコットタルト、ラズベリー、ミニティラミスなどが載っている。くるくると回すことができる。
ディジェステブはアマーロで。5大陸から集められた100種類のハーブを配合するバロール100エルベの複雑きわまりない味を楽しむ。氷にはダヴィットリオの文字が刻まれている。
プティアミューズからデザートまで、20品以上が提供された。まさに大饗宴といえる内容だった。ひとつひとつのポーションは小さいが、トータルの量は相当なものである。
ワイン・ペアリングコースもあり、スターターのフランチャコルタからディジェスティブまで、すべてグラスで供された。普段日本では絶対にグラスでは飲めないものばかりだった。
きめ細やかでアットホームなサービススタッフの笑顔に癒やされ、お腹も心もいっぱいになるのだった。
翌朝の朝食も「ビューティフル」であった。搾りたてのフルーツジュース、ミルク、シリアル、ペストリーをはじめ、天然の蜂蜜やホームメイドジャムが所狭しと並べられている。
卵料理やグリルもオーダーすることができる。もちろん朝からフランチャコルタで乾杯してもいい。
ダヴィットリオは、食大国イタリアの粋を集めたガストロノミーの殿堂である。ここでしか得られない体験があるし、食べられないものがある。ミラノからたった1時間で到着する桃源郷だ。
もしミラノを訪れる機会があり、市内の高級ホテルに滞在しようと考えているなら、そのうち1泊をキャンセルして、絶対にダヴィットリオを訪れるべきだ。一生忘れられない思い出になることは、請け合いなのである。
<ルレ・エ・シャトーについて>
ルレ・エ・シャトーは今年設立70周年を迎えた権威ある協会で、世界65カ国に580の加盟店を擁している。すべては協会が設定した高いハードルをクリアした超一流のホテルやレストランである。加盟にあたっての審査項目は500以上にも及ぶという。
日本にも伊豆「あさば」、箱根「強羅花壇」、奈良「登大路ホテル」を含む20の施設がある。ガストロノミー(美食)をウリにしており、ミシュランガイドの星の数は施設全体で370にものぼる。
協会が設立されたのは1954年で、発足には戦後の料理界を代表するシェフ、ピエール・トロワグロが関わった。当初はパリとニースの間に点在するわずか8軒のメゾンからのスタートだった。それらはすべて市街地からは遠く離れており、当時開通したばかりの南仏高速道路の影響もあって、絶滅の危機に瀕していた。
そこで一致団結し、「温かいおもてなし」、「卓越したガストロノミー」、「こだわりのあるアール・ド・ヴィーヴル」という個人経営ならではメリットをアピールしたのだ。お客さまに「もう一度来たい」と思わせるためである。
その哲学は、今も変わっていない。巨大チェーンにはない、多様性ときめ細やかなサービスが身上なのだ。
現在のルレ・エ・シャトー会長、ローラン・ガルディニエは次のようにいう。
「ロワールのブロワの森の片隅で鹿の群れを眺めたり、アイルランドの澄んだ湖でボートを漕いだり、アルゼンチンのパンパをガウチョとともに馬で駆け抜けたり、京都の寺で座禅を体験したり…….現地でしか体験できないユニークなアクティビティの数々、そしてルレ・エ シャトーが得意とする美食の体験を心ゆくまで楽しんで頂きたいと願っています」
ここ数十年で、特に力を入れているのがサステナビリティだ。2014年にユネスコに提出されたマニフェストのなかでは、生物の多様性を守ること、ランドスケープと建築物を保護すること、限りある資源をリサイクルすることなどが謳われている。
近年は画一化されたパッケージ・ツアーよりも、パーソナルでエコフレンドリーな旅のスタイルに注目が集まっている。ルレ・エ・シャトーは、そんなニーズを求めるトラベラーにとって、オアシスのような存在だといえるのである。