GREATEST RAKES: GEORGE HAMILTON

偉大なるレイキッシュ・マン
“ジョージ・ハミルトン”

July 2020

洗練されたマイアミスタイル、明るい笑顔、そしてトレードマークの日焼け……。ジョージ・ハミルトンは何十年にもわたって、ハリウッドで最も人気のある人物のひとりであり、“偉大なるレイキッシュ・マン”のリストに載るに値する人物である。

 

by christian barker 

 

 

 

 

 写真家スリム・アーロンが1977年に撮影した、ハリウッド俳優ジョージ・ハミルトンの有名な写真がある。THE RAKEの創刊間もない頃、私たちはその写真を、雑誌の“ムードウォール”に貼り付けていた。THE RAKEのコンセプトを、如実に体現していたからである。

 

 この写真には、ブロンズ色に日焼けし、猫のようなにやけた笑みを浮かべているジョージ・ハミルトンが、サントロペ沖でスピードボートに乗っている姿が写っている。

 

 横には、幸せそうなトップレスのブロンド美女2人(うち1人はキャプションによると、ルース・ルーシーというまるでボンドガールのような名前だった)をはべらせている。

 

 この写真は、われわれにTHE RAKEのコンセプトを具現化していく上で、貴重なインスピレーションを与えてくれた。偉大なるレイキッシュ・マン100人のリストから、彼を外すわけにはいかないだろう。

 

 

 

 

 ジョージは間違いなく、レイキッシュ・マンを代表する存在として、すべての条件を満たしている。若い頃から女性を魅了し(彼は12歳の時から、義理の母と浮気し、情事を重ねたことを告白している)。

 

 結婚したのは、後にロックスター、ロッド・スチュワートの妻となるアラナ・スチュワートと一度だけだ。しかし、ハミルトンが手を付けた女性のリストには、当時のアメリカ大統領リンドン・ジョンソンの娘リンダ・バード・ジョンソン、カポーティの小説『ティファニーで朝食を』の主人公ホリー・ゴライトリーのモデルとなったベティ・ベンソンらが並ぶ。

 

 加えて、スター女優のチューズデイ・ウェルドとブリット・エクランド、小説家のダニエル・スティール、エリザベス・テイラー、そして少なくとも4人以上のミス・ワールドが含まれている。

 

 

 

 

 ハミルトンの映画界での最大の成功は、20代の間に起こったが、多くのレイキッシュ・マンがそうであるように、本当の全盛期は40代以降であったと言ってもいいだろう。

 

 1979年の『ドラキュラ都へ行く』ではディスコ時代の吸血鬼を、81年の『ゾロ』では派手な剣士を演じた。ハミルトンは、生意気なプレイボーイといった自らのイメージを、からかうような自虐的コメディーを演じ、それを楽しんでいた。

 

 

 

 

 その後、1990年の『ゴッドファーザー Part III』でコルレオーネ一家の弁護士役を演じ、シリアスな顔も見せた。限られたスクリーンタイムにもかかわらず、51歳のハミルトンは、この映画で最も記憶に残る人物のひとりとなった。その姿は、完璧な仕立てに身を包んだ銀色の狐のようで、誰もが憧れるようなミドルエイジの姿を見せてくれた。

 

“常に重要なのは、レディのための男であり 男のための男であること”

 

  そうハミルトンの父が言っていたという。 その父は、ジョージのことを、とても誇りに思っているに違いない。