Ferrari Purosangue at the foot of Cima Tosa
そびえ立つ唯一無二の高峰
フェラーリ・プロサングエ
March 2023
text kentaro matsuo
“ブレンタの影に白く輝き、空に静かに浮かんでいる。
トーサ山は死と恐怖と霜に包まれている
ガルダ山脈を登り、ゆっくりと無言で落ちていく。
氷の苦い心臓から、暗い蛇行を通って落ちている“
by アントニオ・フォガッツァーロ
ノーベル文学賞に7回もノミネートされた北イタリア出身の作家、アントニオ・フォガッツァーロ(1842〜1911年)は、イタリア北東部、ブレンタ・ドロミーティのチーマ・トーサ(3,136m)を、“死と恐怖と霜に包まれた山”と形容した。事実、それは山というより、とてつもなく巨大な岩といった存在だ。ひとつの高さが何百メートルもありそうな、垂直に切り立った巨岩が横へ上へと積み重なり、一個の山塊を形成しているのだ。北壁は高さ800mのほぼ垂直な断崖となっている。その圧倒的な量感は、フォガッツォーロのみならず、現地の人々に畏怖の念を抱かせてきた。この山を中心としたドロミーティの奇景は、2009年に世界遺産にも登録された。
去る2月下旬、フェラーリの新型車プロサングエの国際試乗会が、この巨峰チーマ・トーサをぐるりと一周りするコースで行われた。山を常に右側に望みつつ、時計回りに約170kmを走破するのだ。かつては人を寄せ付けない自然で知られたドロミーティは、現在ではウィンターリゾートのメッカとなっている。大岩の間を縫うように走るワインディングロードや、雪に覆われたゲレンデがそこかしこに広がっている。そんな絶景の中で、新しいクルマの性能を思う存分試そうというわけだ。フェラーリが用意した素晴らしいロケーションに、世界各国から集まったジャーナリストたちの胸は高鳴った。
拠点となるのは、チーマ・トーサの麓トレント県ピンツォーロのラグジュアリー・リゾート、リフェイ リゾート & スパ ドロミティであった。2006年にオープンした5つ星リゾートホテルで、2021~22年にかけて大改装が施され、最新の設備を誇っている。ホテルは崖に沿って建てられ、車寄せはまるで清水の舞台のように空中に張り出している。
その舞台の上に、フェラーリ渾身のニューモデル、プロサングエは停められていた。アグレッシブな造形が、山岳風景によく似合う。プロサングエとはイタリア語で“サラブレッド”の意味だという。フェラーリ初の4ドアボディがリフトアップされたシャーシに載せられている。これはどう見てもSUVなのだが、フェラーリはSUVとは呼ばないで欲しいと訴える。プロサングエは、まったく新しいカテゴリーのスポーツカーなのだから、と。
シンプルなフロントから伸びるボディラインはウエストで大きく絞られ、リアエンドへ向かって再びボリュームを増す。まるでグラマラスなイタリア美女のような曲線である。かつてのフェラーリのデザイン・アイコンであったスマイリング・グリルや丸型のテールランプは廃され、腰高なボディを持つにもかかわらず、どこから見てもフェラーリだとわかる造型だ。このあたりが現在のデザイン・ディレクター、フラビオ・マンツォーニ氏が天才といわれる所以だ。
エクステリアは、さまざまなアイデアがカタチにされている。ボディ下部はカーボンで作られており、ホイールハウスのエッジもカーボンパーツに覆われている。これによって、ボディ上部がベースの上に浮いているように見える。ボディ表面には、いろいろな場所にエアインテークが設けられ、精密な整流が行われている。特に車高が上がりタイヤの前面投影面積が大きくなったことによる空気抵抗の軽減に腐心したという。
目を引くのは、ウエルカムドアと名付けられた観音開きの4つのドアだ。プロサングエはフェラーリ初の4ドア車なのだ。観音式にしたのは、それが最もアクセスがいいからという理由による。後部ドアも(フロントドアを閉めたままでも)独立して開くことができる。観音開きの弱点は後部座席からドアを締めるのが遠くて大変ということだが、プロサングエの後部ドアはボタン一つで開閉が可能だ。(フェラーリ初の4ドア車というのは、やや正確ではない。実は1980年のトリノショーで、“ピニン”という名のコンセプトカーが発表されているからだ。しかしピニンは、発売には至らなかった)
インテリアはスパルタンとラグジュアリーを両立させたもの。コクピットというよりは、スポーティ・ラウンジといった趣である。内装の素材としてはカーボンとアルカンターラ(人工皮革)が多用されている。このアルカンターラという素材は、もともと日本の東レが開発したものだが、現在ではイタリアン・ブランドとなっており、ヨーロッパの高級車の内装に好んで使われる。スエードのような質感を持つが本革よりも耐久性が高く、色出しも鮮やかである。クルマのみならず、ファッションやバッグの素材としても人気があり、欧州では最も高級な素材のひとつとして認知されている。
シートはバケット状だが、今までのフェラーリと比べると、ゆったりと座り心地がいい。このシートには、なんとマッサージ機能まで付いているのだ。“ストレッチ”や“SHIATSU”など、数種類のもみ方と強度を選ぶことが出来る。これが日本車並みに快適で、フェラーリもここまで来たか……と感動してしまう。
ドライバーが常に路上をワッチできるように、多くの操作系はステアリング周りに集中させてある。F1ライクなマニュアル式の走行モード切替スイッチ、eマネッティーノも健在である。
充実したのはAV及びナビゲーション・システムで、ついにアップルのカープレイに対応したので、iPhoneのマップをそのまま本体のモニターに映し出すことができるようになった。いつもの携帯を使って検索したり、目的地を設定できるのは有り難い。
オーディオはドイツのハイエンド・ブランド、ブルメスターのシステムが奢られている。何百万円もするようなアンプを作っているメーカーだ。車内にはスーパーウーファーを含む20個ものスピーカーが仕込まれており、臨場感溢れる3Dサウンドを聴くことができる。カーオーディオとしては初めて独エラック社製のリボン型ツィーターが採用され、高音域は特に澄み渡っている。
リヤシートもバケット型でお尻全体が包み込まれるような乗り心地だ。センターコンソールは固定式で、完全なる4人乗車である。しかし、後席の広さは今までのGTC4ルッソやポルトフィーノあたりとはまるで違う。エマージェンシーではない、大人が快適に何時間も座ることができる空間だ。身長180cmの自分が脚を組んで寛ぐことができ、ヘッドクリアランスも悠々である。
カーゴスペースも広大で、リヤシートを倒して長尺物を積み込むことも可能だ。2組のカップルが1〜2泊の旅行に出かけられるだけのキャパシティを十分に持っている。
ラグジュアリータイプのフェラーリが出ると聞いて、エンジンはハイブリッドだと誰もが予想した。先に発表されたスーパースポーツのSF90や296シリーズが、半電動化していたからだ。フェラーリ伝統のガソリンエンジン=V8やV12は、ついにその歴史に幕を閉じたと思われていた。ところが、プロサングエに搭載されたエンジンは6.5L V12(100%ガソリン)という想定外のサプライズであった。こういうところがフェラーリという会社がファンの心を掴んで離さない理由で、V12搭載発表の瞬間に予約が殺到した(納車は約1年半後からだという)。
走り出すと、まずその静かさ、スムースさにびっくりする。8速のデュアルクラッチ・トランスミッションは、巡航ではつとめて高いギアを選ぼうとする。普通に走っていると、エンジン回転数が2,500rpmあたりを超えることはなく、心底ゆったりとしたドライブを楽しめる。これは間違いなく、今まで世に出たフェラーリのなかで、いちばんリラックスできる一台だ。
しかし、クラッチをマニュアルにし、パドルシフトを操作してローギアを選び、アクセルを踏み抜くと、凄まじい咆哮とともに圧殺されるがごとき加速が得られる。さっきまでと同じエンジンとは思えない迫力だ。その最高出力は725ps/7,750rpm、最大トルクは716Nm/6,250rpmにも達する。レッドゾーンの8,500rpmまで、あっという間に吹け上がる。6.5Lという大排気量が信じられない“軽さ”だ。まるでオートバイのスロットルをひねっているようだ。官能的なフェラーリサウンドも健在。このエンジンは低回転時と高回転時はまるで別物である。
大パワーを受け止める足回りは、新開発の電気モーター駆動によるアクティブ・サスペンションとなっており、各サスペンションに取り付けられたセンサーから得られる情報によってダンパーの減衰力を瞬時に変えていくという。つまりは車高が高くても、素晴らしく安定した走りを得られるということらしい。その他にも4WD、4WS、ABS evo、ADADS(先進運転支援システム)など、もうロケットが飛ばせるほどのハイテクが満載されている。
その恩恵は次のステージ、マドンナ・ディ・カンピリオで明らかになった。ここはかつてワールドカップなどが開かれた国際的なスキーリゾートだ。ゲレンデに併設された雪上テストコースの走行である。さすがにドライビングはプロ・ドライバーが担当し、助手席での体験となった。プロサングエはカチカチのアイスバーン状となった道の上を、実にスムースに走り抜けていく。タイヤは滑るが大げさなカウンターを当てずとも、車体はくるりと向きを変え、次々とコーナーをクリアしていく。走行モードを切り替えられるeマネッティーノには、スリッピーな路面に対応するモードもあるから、これも電子制御の賜か、それともドライバーの腕がいいのか……。
ひとつだけわかったのは、クルマが回転するときの軸が、車体の中心にあることだ。ちょうど運転席と助手席の真ん中ちょっと後ろくらい。滑りやすい雪上だとクルマの挙動がよくわかる。重いV12エンジンをフロントに積んでいるのに、決してフロントヘビーではない。これはエンジンをなるべく車体中央に配し、かつトランスミッションをリヤに搭載して前後配分を49:51という理想的な数値としているから。いくらハイテクを駆使しても、最後は物理の法則がモノをいうことを、スポーツカー・メーカーであるフェラーリは熟知しているのだ。
山肌をバックに水を湛える絵葉書のように美しいモルヴェーノ湖沿いを走り、延々と続くヘアピンを抜けてヴァソンの村を目指す。大小のカーブがこれでもかとばかりに続く。こういうときは、マニュアルモードを選び、エンジンをやや高回転に保ちつつ走ると実に楽しい。全長5m近い大型車が、まるでライトウエイト・スポーツカーのようにひらりひらりとコーナーをクリアしていく。プロサングエが一台あれば、もうセカンド・スポーツカーはいらなくなる。
ハイウェイに乗ると、またもや極楽の乗り心地に早変わりする。この2面性がプロサングエの一番の魅力である。結局、グーグル・マップによる予想走行時間が3時間半のコースを、正味3時間ちょっとで回ってしまった。ドロミーティのもうひとつの名物はスパ施設なのだが、疲れを癒やす必要も感じないほど……、あっという間のドライブだった。
このクラスのクルマ(1台5千万円)を買う人にとって、2台持ち、3台持ちは当たり前だろうから、少しピントがズレている意見かもしれないが、あえて述べると、プロサングエはこれ1台ですべてが事足りるクルマである。ゆっくり走れば快適なラウンジ、ブン回せば紛うことなきV12を積んだフェラーリだ。
既存のフェラーリ・オーナーがプロサングエを買ったら、毎日そればかり乗るようになってしまうかもしれない。プロサングエは日常と非日常をいつでも行き来できる、最高にスタイリシュで、エキサイティングで、ラグジュアリーなクルマということになる。このクルマは、オーナーの人生を豊かに彩ってくれるだろう。
ざっと見回したところ、プロサングエ以上のスポーツ性と快適性、そしてステイタスを併せ持つクルマは見当たらない。ワインディング、雪道、そして都会の路上でも、あらゆる意味で現在最強の一台である。それは唯一無二の存在感を持つ、孤高の頂なのである。