BRINGING IT HOME
ハケットの“サヴィル・ロウ”を体験する
August 2020
ジェレミー・ハケットが、クラシックなサヴィル・ロウ仕立てを研究することで、
そのキャリアをスタートさせたのは、40年以上前のことだ。
そしてついに、彼の名を冠したブランドは、伝説のストリートに自らのビスポーク・ハウスをオープンした。
その内容は、長年待った甲斐があるものだった。
そのキャリアをスタートさせたのは、40年以上前のことだ。
そしてついに、彼の名を冠したブランドは、伝説のストリートに自らのビスポーク・ハウスをオープンした。
その内容は、長年待った甲斐があるものだった。
text tom chamberlin photography kim lang
われわれのファウンダーによるラルフ・ローレンの説明を言い換えると、次のようになる。“もしジェレミー・ハケットが存在しなかったら、日本は彼を発明しなければならなかった”。ジェレミーは典型的な英国紳士である。そしてバヌアツ・タンナ島のヤオーナネン村の人々が、フィリップ王配を信仰の対象としたように、日本人は彼を、神として崇めたのだ。
神格化は無理もないといえよう。ジェレミーはユニオンジャックの旗を、そのまま形にしたように見えたのだ。1983年に彼の名を冠したブランドを最初に設立して以来、英国的エレガンスの規範となる存在となった。
ジェレミーは、1970年代にロンドンに初めて出てきたとき、サヴィル・ロウの服の取り扱いを始めた。ビスポーク服の魅力に夢中になり、自らのブランドにその要素を取り入れたいと思った。そして物事は一巡し、(まるで30年前に起こったことのように思えるが)ハケットはサヴィル・ロウに、初めてのストア“ J.P.ハケット”をオープンさせたのだ。
かつてハーディ・エイミスの旗艦店だった14番地の新しいメゾンは、18世紀の肖像画と数々の衣服で飾られた、カラフルなフラッグシップ・ショップとなっている。一部は会員制クラブであり、一部はテーラーであり、壮大で居心地がいい空間だ。