THE ORIGINAL MODFATHER

世界一お洒落だった名ドラマー

August 2022

text james medd

ビスポークスーツを着たワッツ(1992年)。

 ジャガーはかつて彼のドラミングについて「本当に“スウィング”するんだ、それが肝心なんだ」と言ったことがあるが、ここでのジャズ用語の使用は意図的なものであったといえる。実際、ジャズはワッツが愛した最初の音楽であり、唯一愛した音楽だった。彼のヒーローは、デューク・エリントンやマイルス・デイヴィスといったジャズマンだった。レコードに合わせてバンジョーを演奏しようとしたときに、打楽器として打ち鳴らしている自分に気づき、ドラマーになったのである。「一番下らないものだと思っていた」。

 1994年に音楽誌『MOJO』にこう語ったように、彼にとってロックは下等な存在だった。だから彼がロックの世界へ入りこんだのは偶然だった。ロンドンのグループ、ブルース・インコーポレイテッドのメンバーとして活動中、ローリング・ストーンズのメンバーに才能を見いだされた彼は、バンドに加入することに同意。必要としてくれるバンドを見つけたことを喜んだ。

 バンドの共同アパートに引っ越したワッツは、リチャーズからエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーのよさを教えられた。しかし彼がバンドを続けていけたのは、自分がジャズドラマーとしてやっていけると思えなかったからである。自分の演奏を自賛することは決してなかった。皮肉なことに、自信のなさは彼をより輝かせた。彼はエゴを出すことなく曲に仕える者であり、ビッグビジネスの世界におけるミニマリストであり、そしてソロを嫌うドラマーだった。「曲を書くのは、ミックとキース。音楽は彼らのもの。“こう叩け”と求められれば、従うだけだ」。ワッツは謙虚さとともにバンド継続に重要な忍耐力も持ち合わせていた。1986年に自身のキャリアを表現した名言を残している。「5年の演奏と、20年のぶらぶらした生活だった」。

 ワッツにはドラムとは別の偉大な側面があった。かつて自分のドラムスタイルを「能力不足をセンスに変えたもの」と語ったが、彼は素晴らしい美意識と豊かなセンスの持ち主である。ジャズに惹かれたのは、音楽性だけでなく視覚的な魅力も感じたからだろう。『MOJO』誌にこう語っている。

「どうやって叩くか悩むことはなかった。どんなスーツを着るか、バンドがどう見えるかに興味があったんだ」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 45
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