February 2018

REEL BRITANNIA

ハリウッドを占拠した英国人俳優

text james medd

ハリウッド・クリケット・クラブの集合写真。エロール・フリン、ナイジェル・ブルース、オーブリー・スミス、アラン・ロートン、ハリー・ワーナーら

ハリウッド・クリケット・クラブ誕生 1934年にニーヴンが渡米した頃、“英国支配”は最高潮に達していた。その中でもボスとして君臨していたのは、当時73歳のチャールズ・オーブリー・スミスであった。長身で口ひげ、パイプを嗜み、名門チャーターハウス・スクール、ケンブリッジ大学出身である彼は、1937年のニューヨーク・タイムズで、人間の姿をした“大英帝国”と呼ばれ、「彼がスクリーンに現れるたび、目には見えないバンドが、イギリスの愛国歌ルール・ブリタニアを演奏しているかのようだ」と書かれている。

 大佐、貴族、閣僚、植民地行政官などの役を演じる時以外は、コールドウォーター・キャニオン・ドライブにある彼の大邸宅で、ウエスト・エンドからの亡命者たちをもてなして過ごしていた。ユニオンジャックを掲げ、同じくらいの年代の者らが、彼を交えて紅茶を嗜み、母国について上品な会話を交わしたのだった。

 しかし、オーブリー・スミスの最大の貢献は、1932年にウィリアム・プラットというかなり英国風の本名を持つボリス・カーロフの協力を得て始めたハリウッド・クリケット・クラブだろう。ロナルド・コールマンや、シャーロック・ホームズを演じて名高いベイジル・ラスボーンなど、外国人社交サークルには消極的な者もいたなか、クリケットには全員が参加していたのである。当時のロサンゼルスエリアには、他にも22ものクリケットクラブがあり、彼のクラブはそのひとつだったという。

 オーブリー・スミスは、若い頃サセックスでプレーし、後にテストマッチに分類される南アフリカでの試合で英国側のキャプテンを務めた経験を持つ。彼のカニのようなボーリング助走に敬意を表して、“ラウンド・ザ・コーナー・スミス”というクリケットに因んだ愛称まで持っていたほどだ。後に、風向計がクリケットのスタンプ、バット、ボールでできている彼の家もザ・ラウンド・コーナーと呼ばれた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 09
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